第43話 明日に向けて


 セリナがインクに入校してから2年近く。

 生徒たちのこれからの人生を左右する紋章を授かる受章の儀が、ついに翌日にまで迫ってきていた。


 待ちに待った受章の儀とあって、日を追うごとに生徒たちは落ち着きなくそわそわ。

 前日の今日には全員が授業どころではないほどに浮ついていた。


 もちろん、それはセリナたち特級、特待生クラスも同様だ。


「……以上が明日の段取りになります。皆さん、必ず制服で来るように」


 そんな特級、特待生クラスの教壇には、明日の段取りを説明するトーマス司教の姿。

 居ても立ってもいられず、どうしてもざわついてしまう生徒たちをなだめながら、明日の段取りを説明してゆく。

 そこへ生徒からトーマス司教へ向け、質問が投げかけられる。


「あの、マルク司教様は本当にいらっしゃらないのでしょうか?」

「はい。とある街で起きたトラブルの対処に向かわれました。明日の儀式進行は私が受け持ちます」


 恐る恐ると言った感じで手を伸ばした生徒が出した質問。

 それは当日儀式進行を担当するはずのマルク司教が本当に居ないのかを確認するものだった。

 

 従来、受章の儀では世代主任が儀式進行を請け負う事になっている。

 セリナたちイノハート世代ではマルク司教なのだが、彼はある街で発生したトラブル対処のため出張し、今インクに居ない。


 マルク司教にとっても受章の儀は極めて重要であり、最優先するべきものだった。

 ところが、トラブルが発生した街は運悪くマルク司教と関わりの強い場所。


 街の教会関係者やトラブルの当事者たちもマルク司教を指名し、助力を求めてきた。

 さすがのマルク司教もこれを無下には出来ず、断腸の思いでインクを離れる事になってしまった。


 そんなマルク司教の代わりに儀式進行を行うのが、トーマス司教。

 マルク司教よりもいくつか年下ではあるが、彼もマルク司教同様インクで世代主任を務める司教だ。


 普段は別の世代を担当しているだけに忙しいはずだが、トラブルでは仕方ないと今回進行役を買って出てくれたのである。


「他に、なにか質問のある人は? ……いませんね。それでは、今日はここまでとします」


 受章の儀を明日に控えた今日は、儀式の簡単なリハーサルを午前中に行うのみ。

 これは貴族家にとっても受章の儀が極めて重要であり、午後はいろいろと準備をする必要があるためだ。


 トーマス司教が授業の終了を告げると、担当者が終礼の挨拶を行い、皆が自由に動き出す。

 さっそく迎えの馬車に乗るため教室を出る子、友達とどの紋章を授かるか楽しそうに語り合う子などなど。


 トーマス司教はそんな子供たちを一瞥。

 ある一点で視線が止まったかと思うと、その後何事もなかったかのように教室から出ていった。


 その視線の先に居たのは、セリナの護衛を務めるファリス。

 期待で笑顔溢れる教室にあって、ファリスの表情は正反対。

 眉間にしわを寄せ、警戒感を隠そうともせず、セリナとトーマス司教を見つめていた。


「ファリスさま、どうしましたか?」

「セリナ……いえ、なんでもありません。この後はどうします? また図書館に行きますか?」

「いえ、明日の準備のために部屋に戻ります」


 授業の片づけを終えたセリナが、いつものようにファリスへ歩み寄り、声をかける。

 ファリスはそれまでの険しい表情をすぐさま崩し、優しい笑みを浮かべてセリナに応じた。

 普段セリナは授業が終わった後、夕食の時間まで図書館に行くことが多いが、今日は明日が受章の儀であるためそのまま戻るとのこと。


 クラスメイト達とも簡単な挨拶をかわし、教室を出ようとしたとき。

 イノが小走りで駈け寄ってくると、声をかけられた。


「セリナ、明日は儀式が終わり次第パーティーですので、よろしくおねがいしますわ」

「うん!」

「誕生日ケーキも用意していますから、楽しみにしてくださいましね」

「うん……楽しみ!」


 毎年授章の儀の後は祝賀パーティーが行われる。

 これは入校式の時同様、インク主催の平民、寄宿舎生向けのものと、貴族家主催の外部パーティーの二つがある。


 入校式の時は身の上と礼儀作法の関係でインク主催のものに参加したが、あれから2年たった今では貴族家のパーティーに出席しても問題ないレベルに到達。

 同じ特待生で【聖女】候補のイノの招待もあり、セリナは貴族家主催の方に参加予定となっていた。


 さらに、明日はセリナの誕生日という事もあり、授章記念とセリナの誕生日を同時に祝おうと、イノが家に頼み込みバースデーケーキまで用意してくれているらしい。


 期待しててほしいと笑顔で語るイノ。

 セリナは、そんな彼女に笑顔で応じ、ファリスと共に部屋へと戻っていったのであった。



―――――――――――――――――――――――


 ……寄宿舎の夕食時間が終わり、日も沈み切った時間帯。

 オリファス教会宿舎の自室に、ファリスとラシール、他数名の姿があった。


「……それでは確認します。マルク司教様からの指示は2つ。セリナを何としても守る事、トーマス司教派の動きに最大限警戒する事です」

「……分かったわ」

「了解した。……しかし、本当なのか、それは」

「神聖な受章の儀だぞ? そこで仕掛けてくるのか?」


 部屋に集まったものは全員がマルク司教に繋がる者たちだ。


 マルク司教は郊外授業での一件以降、セリナのガードを固くするとともに、トーマス司教とその周辺に怪しい動きがある事を掴んでいた。

 これはセリナ暗殺を行ったギフディ・オプスに関係するインクの教員の数がかなり絞られていたことなどが理由。


 もともとマルク司教とトーマス司教の関係が悪かった事もあり、対立は悪化の一途をたどっていた。

 そこへ舞い込んできた、マルク司教を指名して助力を求める一報。


 インクの者には何よりも大事な受章の儀があるこの時期にともなれば、疑わない方がおかしい。

 しかも、毛嫌いしている相手が担う世代の儀式進行を買って出るなど。

 何か企んでいると言っているようなものだ。


 だが、トーマス司教派が何を企んでいるのか、出発のその日までついに分からず終い。

 自らを遠ざけるための策略、罠に間違いないのだが、応じない訳にいかなかったのだ。

 

 そこでマルク司教は自分の息のかかった者たちにセリナを守るよう命じていた。

 間違いなく、そこでトーマス司教派が何かしら仕掛けてくる、と。


「トーマス司教派の動きが数週間前から激しくなっています。まず間違いありません」

「神聖な儀式を汚す行為、大司教様や教皇様のお耳に入ったら……」

「それだけあちらも焦っているという事でしょう」

「セリナが【聖女】の紋章さえ授かれば状況は一転します。そこまで何としても彼女を守ってください」

「我が神、オリファスに誓って」

「タルトリオーネ様の守りあらんことを……」


 その後、消灯時間ギリギリまで打ち合わせをつづけたファリスたち。


 さまざまな人々の思いをめぐらせながら、ついに受章の儀を迎えたのであった。

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