第41話 果たせぬ約束


 セリナが紋章を受けない事を決めてから数か月。

 彼女は今、インクの図書館にいた。


 図書館に並んだいくつもの机。

 来館者が本を読むために並べられた机であり、セリナはそのうちの一つに取ってきた本を積み上げる。


「セリナ、今日もそんなに読むのか?」

「うん。ちょっと詰め込んでおきたくて」

「読むって……ページめくってるだけなんじゃないの?」

「やだなぁ、ちゃんと読んでるよ」


 声をかけて来たのは隣の席に座り同じく本を読んでいるパベル。

 今はインクの授業が終わった後であり、彼は毎日下校するまでの時間ここで読書を楽しんでいる。


 入校してすぐの頃、たまたま図書館でパベルと出会ってから、授業後ここで一緒に読書をするのは2人の日課。

 そんな中、数か月前からセリナの読む本の数が急増したのだ。


 机に4、5冊は積み上げるのだが、パラパラとページをめくるだけで熟読している様子はない。

 数日だけならまだしも、それがこの数か月毎日なのだから、パベルが不思議がるのも当然だろう。


 もちろん、セリナがこんな事をするのには理由がある。


(スーおじいちゃん、今日はこれでいいの?)

『うむ。手間をかけるのぅ』

(ううん、ここに居られるのもあと少しだから……)


 セリナが行っていたのは速読による暗記。

 正確にはセリナの視界を介して見ているスードナムが暗記している。

 こんなに大量の本をどうやって覚えているのか不思議だが、どうやらそう言った魔術を使用しているとの事で、セリナにはよくわからない。


 インクの蔵書量はかなりのものだが、当然ここを離れてしまえば利用できなくなる。

 世界情勢や魔法の仕組み、地理など、スードナムの生前とは大きく様変わりしてしまっている物が多いため、こうして覚えておく必要があるのだ。


 スードナムはこれらの本を全て覚えているため、今後彼を介してセリナが読むことも可能。

 インクを離れた後のセリナの教育のためにも必要と、高学年用の教材や資料も片っ端から読み漁っている。


 もっとも、ページをパラパラとめくり続ける様子は本を読んでいるようには見えず、横で見ているパベルは不可思議そうな表情をするばかりだが。


 セリナが読めていると言っている以上、パベルもそれ以上追及することはなく、2人は黙々と読書を続ける。

 図書館には他にもインクの生徒がたくさんいるが、皆私語禁止のマナーを守り、館内は静かだった。


 そんな時。


「ねぇ、セリナは何の紋章を授かると思う?」

「えっ?」


 不意にパベルがセリナに話しかけてきたのだ。

 普段から寡黙で、本を読んでいる時は一層無口になる彼から話しかけられた事に驚くセリナ。

 しかも、話題が来月に迫った授章の儀の事となると心穏やかではいられない。


「私は……【聖女】だと思う。判定もそう出てるし」

「……そう、だよね」

「どうかしたの?」


 セリナの答えに、視線を落とし俯き加減になるパベル。

 受章の儀において授かる紋章については、ある程度インクの成績から推測することができる。


 それは今まで受章してきたインクの生徒数十万人から傾向として示された物であり、確率はかなり高い。

 イノハート世代の特待生たちは軒並み【聖魔導士】や【聖騎士】、【神子】など、上位の紋章ラインに達している。


 それは特級生であるセリナ達も同様だ。

 セリナとイノは【聖女】、ルフジオは【聖騎士】の上位である【聖剣】。

 パベルは【聖魔導士】の上位である【極光術士】のラインにいるという。


 【聖剣】も【極光術士】も【聖女】同様インクの長い歴史の中でも数えるほどしか受章者が居ない極めて珍しく、かつ強力な紋章だ。

 この【聖女】【聖剣】【極光術士】の三つが同じ世代に出る可能性があると分かり、騒ぎになったのをセリナもよく覚えている。


 そんな栄誉ある紋章の可能性があるというのに、パベルの表情はすぐれない。


「パベル?」

「いや、僕が【極光術士】でセリナが【聖女】なら、もう一緒に勉強できないかなと思って」


 インクでは入校時から受章の儀までは全員同じカリキュラムだが、紋章を授かった後はそれぞれの分野に集中するためクラス替えが行われる。

 クラスは大きく武術、聖魔法、回復魔法の3つ。

 セリナ達の紋章が判定通りの結果になれば、セリナとイノは回復魔法、パベルは聖魔法、ルフジオは武術のクラスになるだろう。


 それはインク入校時から分かっていたことであり、今さら気にするような事でもない。

 パベルも【聖魔導士】志望であり、その上位の【極光術士】に聖魔法のクラスにいければ万々歳だと思うのだが、どうも様子がおかしい。


 もう一緒に勉強できないと呟き、黙り込んでしまうパベル。

 セリナはそんな彼の仕草の意味が分からず、首をかしげるばかり。


『ふむ……どうやら彼はセリナと一緒に勉強できなくなるのが寂しいようじゃな』

(そうなの?)


 スードナムに教えられ、ようやく理解した……様な気がした。

 なぜクラス替えで別々になるだけで寂しがるのか、セリナはいまひとつピンとこない。


 だが、スードナムの言う通りそれが原因だというのなら、解消してあげるのは簡単だ。


「大丈夫だよパベル。クラス変わっても一緒に勉強できるよ!」

「えっ?」

「私、授業終ったら図書館に来るから。そしたらまた一緒に勉強しよ?」

「……っ!」


 意気消沈しているパベルを励まそうと、笑顔を作ってそう語りかけたセリナ。

 すると、パベルは一瞬呆気にとられたような表情になるが、すぐに焦り顔となり、顔を赤くして手に持った本に視線を移してしまった。


(……あれ? スーおじいちゃん、これ違ったんじゃない?)

『いんや、あっとる。セリナよ、おぬしも悪よのう……』

(私が? なんで?)

『……いや、よい』

(もう、2人とも変だよ!)


 スードナムの言葉の意味が分からず、顔に疑問符を浮かべるセリナ。

 顔をこちらに向けようとしないパベルに何度か話しかけるも返事がなく、訳が分からぬまま再度持ってきた本に目を通していった。



 「クラスが変わってもまた図書館に来る」という言葉は彼を安心させるためについた嘘、という訳でもない。


 セリナがインクを出るのは確定している。

 が、それは紋章がスードナムの言うエンブレムシステムであり、魔導回路を強制するものだった場合。


 二人の計画では受章の儀を行い、直接紋章を刻む石板に触れ、最終確認を行う。

 そこで本当に紋章がエンブレムシステムだった場合、スードナムが紋章を拒否。

 セリナは【無紋】となり、インクの校則に則り退学処分となる。


 いくらパベルやイノ、ルフジオが大事な友人であっても、それを教える事は出来ないのだ。



 結局2人は言葉を交わすことはなく、時間だけが過ぎてゆく。

 その時、イノの元気な声が図書館の静寂を打ち破った。


「おりましたわ! セリナ!」

「イノ?」

「ちょっとご相談したいことがございまして。ちょっとお時間いただけますでしょうか?」

「うん、いいよ」


 図書館に響き渡る、イノの可憐な声。

 セリナに用事があるとの事だが、彼女もここが静かにするべき場所というのはわきまえている。


 とことことセリナに近付き、大きすぎないよう声のボリュームに気を付けながら、話があると誘い出したのだ。


 セリナもこれを了承。

 すぐに済むという事なので本もそのままにし、図書館を後にした。


 図書館を出た2人が向かったのはすぐ近くの中庭。

 日は少し傾いているがまだまだ明るく、風に揺られた草花が心地よい音を立てていた。


「イノ、話って?」

「来月の受章の儀の翌日ですが、空いていらっしゃいますかしら?」

「受章の儀……うん、空いてるよ」

「まぁ! でしたら、皆でパーティーを開きたいと思っておりますの」

「パーティー?」

「はい。それにぜひセリナも参加していただきたいのですわ!」


 満天の笑顔で語るイノ。

 入校の時のパーティーはセリナがまだ貴族としてのマナーを身に着ける前で、ドレスなども持っていなかった。


 だが、あれから約2年。

 完ぺきとはいかないまでも、それなりには礼儀作法も様になり、インク支給の制服もある。


 今ならば、イノたち貴族のパーティーに参加しても悪目立ちすることはないだろう。

 さらに……。


「受章の儀はセリナの誕生日ですもの。せっかくですので皆の授章と一緒にお祝いさせてくださいませ!」

「えっ……いいの?」

「もちろんですわ! シェフのみなさんにお願いして立派なケーキもご用意いたしますわ!」


 イノから続けて言われた言葉に、思わず表情を曇らせてしまうセリナ。

 完全に偶然だったが、受章の儀が行われるのはセリナの誕生日と同じだった。


 捨て子であるセリナは自身の誕生日を知らないが、孤児院では引き取られた日が誕生日として設定され、皆でお祝いしていた。

 去年はまだ社交の場に出れるほどマナーが備わっていなかったため、食堂で軽くお祝いするのみ。


 前々からセリナを家のパーティーに誘いたかったイノとしては、まさに最高のシチュエーションである。

 それがセリナにとっても、という事にならなかったのは神のいたずらとしか言えないだろう。


「では、わたくしさっそく準備に取り掛かりますわ。勉強中の所ご足労いただきありがとうございますわ」

「ううん、気にしないで」

「では、わたくしはこれで……そうそう、ルフジオから伝言を言い使っておりますの」

「伝言?」

「「明日の模擬戦は負けないぞ」ですって」

「模擬戦……」

「はい。確かにお伝えいたしましたわ。では、わたくしはこれで。また明日ですわ!」


 そう言って笑顔で手を振って去ってゆくイノ。

 そんな彼女を、セリナも手を振って見送った。



 ……その表情は、今にも泣きそうなものだった。

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