第40話 セリナの決断
紋章がスードナムの言うエンブレムシステムだった場合、セリナがこれまで覚えてきた魔法のほとんどが使えなくなる。
その話を聞かされたセリナは今までで一番困った表情を浮かべ、弱々しい声でスードナムに問いかけた。
「スーおじいちゃん、何かの間違いって事はない?」
『紋章を付ける石板じゃったか、それを見ておらんから何とも言えんが、まず間違いないじゃろう』
スードナムは普段から感知魔法を使用しており、紋章を刻んだ者の魔力の流れを確認してきた。
もちろん、一人二人などではなく、インクや教会、はては街の中に行き交う人々など大勢だ。
結果、紋章を刻んだ者の魔力の流れと、エンブレムシステムを用いた者の魔力の流れは極めて酷似していた。
この事から、いま世界に普及している紋章はエンブレムシステムを改良したものだと結論付けたのだ。
「……スーおじいちゃんはどうしたらいいと思う?」
『そうさのぅ。ワシが考えるにアレはおぬしには不要の長物じゃ。受章なぞ拒否した方が良いじゃろうて』
セリナの才能は光魔法のみならず、ありとあらゆる属性魔法に適性を持ち、スードナムですら使えなかった回復魔法の才能も持ち合わせている。
インクの図書館で調べた限り【聖女】の紋章は光魔法と回復魔法に特化したもの。
セリナがこれを授かってもわずかな効果上昇と詠唱短縮が見込まれる程度。
他の属性魔法全てを失うデメリットの方がはるかに大きいのだ。
だが、これは全て損得で考えた場合のみの話。
もっとも重要なのは……。
『あとはセリナの思い次第じゃよ』
「私の……?」
スードナムにそう言われ、思わずきょとんとしてしまうセリナ。
ここまで紋章など不要と言われていたのに、どうして私次第なのかと首を傾げる。
『セリナの夢じゃったのじゃろう? 【聖女】の紋章は』
「うん……」
『【聖女】でなくとも、紋章を授かれなかった者はここには残れん。友達もおるじゃろう?』
「うん。みんな大事なお友達……」
インクの校則では、2年次に行われる受章の儀において、紋章を授かる事が出来なかった者は退学と明記されている。
どういう対応をされるかは分からないが、少なくともこのままインクで生活することはできなくなるだろう。
セリナの大事な友達、イノやパベル、ルフジオたちとはもう一緒に学べなくなってしまう。
『ワシはセリナの意志を尊重するよ。【聖女】の紋章を受け入れ学友と過ごすのもよし、友と別れ魔術の頂点を極めるもよし、じゃ』
「私が選んでいいの?」
『こと、これは人生を左右する重大事。おぬし自ら決めねばならん』
「でも、私……」
『答えは今すぐ出さなくてもよい。これだけの事じゃ、正解はなかろう』
どちらを選んでも正解だったと思う時もあれば、後悔する時もあるだろう。
スードナムは生前そのような場面に幾度となく遭遇した。
成功し歓喜する時もあれば、失敗し後悔する時も数多くあった。
唯一言えるのは、必ず自らで選ばければならないという事。
このままスードナムがどちらかにしろと言っても、セリナのためにはならない。
これは彼女の人生における大きな分岐点なのだから。
『今日はもう遅い。明日以降に考えるかの』
「…………ううん、今決める」
静かに、そして深く考え込むセリナ。
スードナムは回答はまた次にしようと促すも、セリナはこれを拒否。
黙り込んだまま時間だけが過ぎてゆく。
「……ねぇ、スーおじいちゃん」
『なにかの?』
「私が【聖女】の紋章を授かったら、スーおじいちゃんはどうするの?」
『どうもせんよ。じゃが、教えられることはほとんどなくなるのう』
正直に言えば、スードナムはセリナから離れる事も可能なのだ。
死にかけていたところに宿り命を救い、ここまでいろいろな事を教えてきたセリナ。
それを自分に都合の悪い紋章を授かったという理由だけで、見捨てるように離れることなどできるはずもなかった。
なにより、インクにはまだキャンプで暗殺を仕掛けてきた敵対勢力が残っている。
スードナムが離れた場合、セリナがこれらから狙われ生き残れる可能性は低い。
そうした意味でも、セリナから離れるという選択肢はないのだ。
せめて、彼女が自分の身は自分で守れるようになるまでは。
……とはいっても、紋章の制約は厳しく、8~9割の魔法は使用出来なくなるだろう。
それでも、スードナムならば一定以上の威力のもった魔法を使う事は出来る。
だが、セリナに教えられる事はほぼなくなってしまう。
それほど、紋章の強制力は強いのだ。
「スーおじいちゃん、もう一つ教えてくれる?」
『ほっほっほ。このおいぼれでよければ、いくらでも答えようぞ』
「【聖女】の紋章を授からなくても、みんなを助けられる?」
『もちろんじゃ。【聖女】なぞなくても紋章以上に人を助け、救う事が出来るじゃろう。わしが保証する』
「そっか……」
スードナムの笑い混じりの回答に、静かに頷くセリナ。
そして、意を決したかのように口を開いた。
「……私、紋章いらない」
『よいのか?』
「うん。私、強くなる。紋章なんて目じゃないくらい強くなって、困ってる人を助けたいの」
そう力強く語るセリナ。
だが、体は小刻みに震え、目じりには涙も浮かんでいる。
インクで出来た大事な友達。
身分を気にせず、暖かく接してくれるイノ。
寡黙ながらも知識が豊富で、図書館ではいつもいっしょに本を読み、勉強を教えてくれるパベル。
世代トップの力強さと剣術の腕で、いつも皆の先頭に立ち、頼りになるルフジオ。
1年と少しの付き合いであっても、思い出はたくさんあふれてくる。
そんな皆との別れは、まだ幼さの残るセリナにとっては辛い出来事になるだろう。
それでも、セリナは紋章よりも魔術の道を選んだ。
スードナムに出会うまで、全く知らなかった魔法の世界。
一つ一つ教わるごとに身について行くのが実感でき、奥深さに魅入られていった。
同時に、この力があれば困っている人たちを助けてあげる事も出来ると。
【聖女】の紋章も物心ついた時からの夢。
聖典を何度も読んで、孤児院の皆の聖女様ごっこでたくさん遊んだのは忘れない。
スードナムに【聖女】になれるといわれた時は何よりもうれしく、こんな自分でもみんなの役に立てるんだと心が震えた。
しかし、その紋章はまやかし。
紋章を授けてくれるのは神様ではなく、エンブレムシステムと呼ばれる魔道具。
それも、あれほど手ごたえを感じ、まだまだ先に行けると思えた魔法を使えなくする呪いの様な代物だった。
……ならば、私が本物の聖女になればいい。
まがい物の聖女などではなく、さまざまな魔法を使い、困っている人々を助ける。
そんな聖女に。
「なれるよね? スーおじいちゃん」
『おぉ、もちろん。もちろんじゃとも』
「えへへ……」
『……泣いてよいのじゃぞ。辛いとは思うが、友人とはいずれまた会えるじゃろうて』
「うん、うん……う、うわああぁぁぁん!」
自分の思いをひとつひとつ確かめるように語ったセリナ。
不安そうにする彼女を、スードナムはやさしく後押しし、大丈夫だと言い続けた。
この子は今まで見てきたどんな子よりも才に恵まれ、意欲もある。
そんな子が人のためになりたいと語るのはとてもうれしく、彼女に魔法のすべてを教えようと決意した。
その後、ひとしきり泣き続けたセリナはそのまま寝入り。
翌日からはインク出立へ向け、準備を始めるのであった。
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