第39話 紋章の正体
受章の儀。
それはインクで生活する者はおろか、この世界で生きる人々の人生をも左右する重要な儀式である。
内容は至って簡単。
神々と交信できるとされる『運命の石板』に触れる事で手の甲に紋章が浮き上がるのだ。
この紋章は、石板に触れた者の適正を神々が見定めたものであり、その者がもつ才能の中で一番高いものが刻まれる。
儀式はインクでなくとも街の教会や冒険者施設でも行え、その種類も多種多様。
オーソドックスなものは【剣士】や【武闘】、【炎術士】、【治癒士】など。
剣や魔法に覚えのある親の子であれば、比較的この手の紋章が出現しやすい。
逆になんの才能も持たない者は紋章が浮き上がらず【無紋】として一生を終える事になる。
差別されるようなことはないが、就く事が出来ない職が多く、肩身の狭い思いをする事になるのだ。
実際に貴族家の子が【無紋】となり、廃嫡されたという話もある。
もちろんこれは世間一般の話。
入校に一定以上の神聖力という項目が設けられているインクの生徒に【無紋】はまずありえない。
むしろ入校から儀式までの2年間、養成機関で育った子供たちは上位紋章である【神子】【聖騎士】【聖魔導士】が出現する。
特級生ともなればさらに上位【聖女】【聖剣】【極光術士】すらも見込めるのだ。
神聖魔法と回復魔法に長けた女性のみ授かる【聖女】。
類まれなる剣技を身に着け、神聖魔法をも扱う者が授かる【剣聖】。
神聖魔法を極限まで収得した者が授かる【極光術士】。
この3つはインク800年の歴史においても数名しか受章すること叶わず、今では誰も持っていない奇跡の紋章とされていた。
これらは既にインクの授業で何度も教わっており、セリナが居た孤児院でも物心つく前から聞かされている事。
そんな大事な授章の儀について話があるとスードナムから言われ、さすがのセリナも身構える。
『セリナは【聖女】になりたいんじゃったかの?』
「うん。イノと一緒に、たくさんの人を助けたいの!」
スードナムの問いに、元気いっぱいの笑顔で答えるセリナ。
孤児院時代、生死に関わるほど生活に困るという事はなかったが、贅沢な事は出来なかった。
自分の物などほとんどなく、着る物も皆で共有。
誕生日にケーキも買えず、代わりに土でケーキを作り、ろうそくに見立てた小さな木の枝を刺し皆で祝っていた。
そう、孤児院にはいつも笑顔があったのだ。
神父さまやマザー、シスター、孤児院の子供たち皆で助け合い、笑い合い。
街や人々や守衛隊も非常に友好的で、街の清掃を行った時には食材を差し入れてくれた事もある。
暖かい人々に囲まれて育ったセリナ。
10歳のときに行われた神聖力検査で、インクに入れると分かった時は孤児院はお祭り騒ぎ。
皆の憧れでもあるインクに入れることを羨ましがられながら、快く送り出してくれた。
そんな皆に、恩返しがしたい。
インクに向かう馬車が地すべりに巻き込まれ、生死の境を彷徨ってからはその想いは一層強くなった。
貧困していても笑える、死の危機に瀕した人を救ってあげられる、そんな【聖女】になりたいと。
『そうか、セリナは良い子じゃのう』
「えへへ……」
そんなセリナの想いを、スードナムは優しく肯定する。
セリナも尊敬するスードナムに認められたようで、思わず笑みが出る。
『その【聖女】……いや、紋章なのじゃがの』
「紋章がどうかしたの?」
『実はの、わしの時代にもあったのじゃよ』
「そ、そうなの!?」
『正確には「そのような物」じゃがの』
「ようなもの?」
スードナムの歯切れの悪い言い方に、思わず首を傾げるセリナ。
以前、スードナムは紋章については覚えがないと言っており、相反する答えに疑問は深まるばかりだ。
『当時、あれは「エンブレムシステム」と言われておった』
「エンブレム……システム?」
『うむ。能力が低い者の能力を向上させるのじゃ』
「能力の低い者?」
スードナムが初めて聞いた時分からなかったのは、当時と名前が変わっていたからだ。
エンブレムシステムはスードナムが生きていた乱世の時代、兵力の底上げを目的として開発された。
その効果は対象者の一番優れている能力の限界値を大幅に引き上げるというもの。
当時の一兵卒他、才能はあるが伸び悩む者に実施し、大きな効果が得られたという実績を持つ。
「それが……今に伝わって紋章になったの?」
『それがの、アレは不採用になったはずなのじゃよ』
「ふさいよう?」
エンブレムシステムはスードナムがいた国の軍部が開発している。
効果こそスードナムをして舌を巻くほどのものだったが、致命的な欠点があるため不採用となっている。
……それというのも。
『一つの能力は劇的に上がるが、それ以外が一切出来なくなってしまうのじゃ』
「どういうこと……?」
エンブレムシステムの基本は、魔導回路が才覚ありと判断した一点を極限まで引き上げる事。
対象の魔導回路に干渉し、特定の術式に最適化する形で再構成。
それまでよりも高威力の魔法を使用することを可能にする。
これだけならばもろ手を挙げて歓迎される技術だが、そうは問屋が卸さない。
エンブレムシステムにより最適化されるのは一系統のみ。
複数の術式を使えるようには作られていないのである。
さらに、一度エンブレムを刻まれてしまうと再修正するのが難しく、威力も数段落ちるものになってしまう。
火属性魔法に長けたものは最上位の火魔法が使えるようになる代わりに、他の属性魔法が。
剣術に長けたものは身体能力のさらなる向上が見込めるが、魔法全般が使えなくなってしまう。
もちろん全く使えないという訳ではないのだが、それはあくまで生活レベル。
とても戦闘に使用出来るものではなかった。
「でも、能力が大きく上がるなら採用してもいいんじゃないの?」
『一芸に秀でた部隊は使い道が難しいのじゃ。軍は様々な状況に対応せんといかんからのう』
「なるほど?」
『他にも卓越した兵士や魔術師に使えないというのも問題じゃ』
「使えないの……?」
セリナの問いに、ため息まじりに語るスードナム。
エンブレムシステムを採用した場合、確かに兵力の底上げにはなるが、特化しすぎた性能は軍としての汎用性を失う結果となる。
一芸に特化した部隊は、得意な状況に持ち込めれば無類の強さを発揮するが、弱点も多く臨機応変な対処が難しい。
実際、エンブレムシステムを行った者で部隊を編成。
模擬戦を行ってみたところ、序盤はエンブレム部隊が優勢だったが、中盤以降は弱点を突かれ敗北する結果となった。
また、3つ4つ才を持っている者に使用しても1つだけが伸び、他2つ3つが大きく下がるなど。
多方に秀でた者に使用しても、デメリットしかなかったのだ。
こうした試験をふまえ協議を重ねた結果、エンブレムシステムは不採用となり、国の兵器資料庫にしまい込まれたのである。
「そうだったんだ……」
『じゃが違いもある。当時は【聖女】や【聖魔導士】のエンブレムなどなかったからのう』
「ふぅん……」
ここまでの話を、若干他人事のように聞いていたセリナ。
スードナムの話は800年も前の話であり、今と関係があるようには思えなかったからだ。
だが、続く彼の言葉を聞いて、セリナは現実を直視するとこになる。
『ここからが本題じゃよ。このままおぬしが【聖女】の紋章を受けた場合、光魔法と回復魔法以外すべて使えなくなるじゃろう』
「ええっ!」
それはつまりこの1年半、人目を忍びスードナムと二人三脚で訓練してきた魔法全てを失うという事。
最初は上手くいかない事も多かったが、今ではある程度は形になり、手ごたえを感じてきていたところだ。
それがすべて使えなくなるというのは、冗談で済まされる事ではない。
「な、なんで!? スーおじいちゃん!」
『言った通りじゃ。エンブレムシステムは秀でた才能に魔力を集中させるするシステムじゃからのう』
「そんなぁ……」
それまでの元気は何処へやら。
セリナはがっくりと項垂れ、気の抜けた声が部屋に響き渡ったのだった。
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