第38話 戻った日常


 森での一件から数か月後。

 平時でも襲われたり罠を張られるのではないかと構えていたセリナだが、そう言ったことはなく、変わらぬ日常を過ごしていた。


「それでは次の文をリティアさん」

「はい。アスリア歴598年、連合軍と戦いを繰り広げた魔王ストライトフは、死ぬ間際に周囲を巻き込む大爆発を引き起こしました。その地はグラウンド・ゼロとされ、周囲に瘴気をまき散らす死の土地となってしまいました。これにより……」


 今行われているのは聖典の授業。

 幾多の神の名の他、神話、戒律、歴史や世界史も入っている。


 孤児院育ちのセリナは当時のシスターにいくつかの神話を読み聞かされていた程度のため、歴史や世界史の授業は新鮮でとても楽しいものだった。

 横を見ればイノとパベルも真剣に取り組んでいる様子だが、唯一座学が苦手なルフジオだけはやや舟をこいでいる。


 担当教師から指名を受けた生徒が教科書を朗読。

 区切りの良い部分まで読み終えたところで予鈴が鳴った。


「はい、では今日はここまでです」 

「ありがとうございました!」


 区切りがよかった事もあり、延長はなく授業は終了。

 この後は待ちに待った昼食だ。


「腹減った! 今日は何にするかな」

「ルフジオ、あなたは座学にもそれくらい本気になったらよろしいのではなくて?」

「落第点は取ってないから問題ないさ」

「僕よりは低いだろ?」

「学年トップのパベルと一緒にしないでくれ!」

「この間のテストは私より低かったよね?」

「たまたまだ、たまたま!」


 インクには食堂があり、生徒、教師とも基本的に食堂を利用する。

 生徒数が多いため食堂も複数用意されており、種類も豊富だ。


 一等生以上のみが利用できる食堂もあるが、テーブルマナーを求められるため生徒からはあまり人気が無い。

 普段から家でマナーには口うるさく言われている貴族の子供たちにとって、インクの食堂は唯一気を抜いて食事ができる場所なのだ。


 セリナたちが向かったのもそう言った気兼ねなく食事ができる食堂。

 既に生徒で賑わっており、受付口には列が出来ている。


 食堂では等級や家の爵位に関わらず列に並ぶルールのため、セリナほかイノ達も列の最後尾に並ぶ。

 インクに入校した時から変わらないいつもの風景。


 しかし、あの一件以後少し変わったところがある。


「ファリスさまは食べないのですか?」

「私は大丈夫ですよ。あとでラシールと交代した時に取りますから」


 セリナのすぐ横、列からはみ出す形でファリスが一緒にいる事だ。

 例の一件は「無かった」事とされたが、インクの中にセリナをよく思わない勢力がいるのも事実。


 その為、日中はファリスかラシールのどちらかが必ずセリナに寄り添い身辺警護を務めている。


 実際にはスードナムが虫一匹も逃さない高度な感知魔法を二重三重かつ常時発動しているため、襲撃される可能性は皆無。

 ではあるのだが、さすがに「スーおじいちゃんがいるから警護はいらない」等と言えるはずもなく。


 結果、少しばかり申し訳なく思いながらもファリスたちの警護を受け入れている。


 食事をする場所も、万が一を考えファリスが指定。

 イノたちも先の事件の当事者であるため、いやな顔一つすることなく指定されたテーブルについて食事を楽む。


「へへっ、やっぱりここのステーキは最高だぜ」

「あなた、今日も肉ですの?」

「ルフジオは食べた分が全部筋肉になるからね」

「そういうパベルは食が細すぎるんだよ。セリナより少ないんじゃないか?」

「それ、私が大食いって意味?」


 今日のメニューはルフジオがステーキ、イノが白身魚のムニエル、パベルがバゲットサンド、セリナが魚介パスタ(やや多め)。

 ここに来た時は孤児院での粗食から同世代よりも体が細く血色も悪かったセリナ。


 インクでの美味しく栄養満点の食事のおかげでだいぶ改善されはしたが、影響は残っているようでイノよりは一回り小柄な体格となっている。

 しかし、食欲はしっかりあるようで食べる量はイノよりも多い。


 むしろ男子でセリナより上背があるはずのパベルの食がかなり細い。

 運動が苦手、たくさん食べるのが苦手という彼の今日の昼食はハムとチーズ、葉野菜のバゲットサンド。


 大食漢のルフジオ、セリナであれば当然足りず、昼休み明けには空腹を覚えてしまうだろう。


 とはいえ、そんなパベルと比べられ暗に大食いを示されたことに頬を膨らませるセリナ。

 そんな彼女にルフジオは「食べれるのは良い事だぞ!」と方向を変える事に注力し、話題も逸らす。


 何事もない平和な日常。

 賑やかなインクの食堂には、どこの席も笑顔であふれているのであった。



―――――――――――――――――――――――


 そして、その夜。


『セリナよ、分かるかの?』

「え~っと……屋根の上に一人、寄宿舎の中に一人、かな?」

『おしいのぅ、向かいの建物にもう一人じゃ』

「うぅ、難しい……」


 授業も終え、寄宿舎の自室で恒例となっているスードナムとのトレーニングの真っ最中。

 最初のトレーニングは、あの一件以来日課となったセリナを見守る護衛の位置把握トレーニングである。


 セリナ暗殺未遂を受け、マルク司教は日々彼女の周囲に護衛を張り巡らせるよう手配した。


 日中はファリスとラシールのどちらか、もしくはその両方が。

 夜間はマルク司教の息のかかった者数名が、朝までセリナの部屋を監視。

 時折室内にいるセリナの位置を感知魔法で確認しているらしい。


 もちろん、これらは全て初日のうちにスードナムにバレている。

 魂だけの存在であるスードナムは寝る必要はなく、24時間周囲を監視可能。


 襲撃者対策用感知魔法の精度も護衛とは比較にならない。

 故に夜間護衛など不要……どころか、下手に探られるとセリナが神聖魔法以外を練習してしまう事がバレてしまう。


 そこでスードナムは護衛の感知魔法を誤認させ、魔法の練習などせず部屋に居るだけだと認識させた。

 同時に、セリナには周囲で気配を殺して潜む護衛の位置を把握する、感知魔法のトレーニングを科す。


 セリナの身を守るとともに、精度の高い感知魔法のトレーニングを行うという理想の環境となっていた。


「向かいの建物……あっ、これか。スーおじいちゃん、これ言われないと分からないよぅ」

『ほっほっほ。相手もなかなかの玄人じゃて。こういう場合は「何もなさすぎる」事に疑いを持つのじゃよ』

「なるほど……?」

『ほっほっほ。いずれ分かるじゃろうて』


 セリナの護衛は相応に腕の立つ者がついているらしく、隠蔽魔法の練度が高い。

 これを相手に悟られずに把握するのは至難の業であるが、そこは英知の粋を集めたスードナム。


 トップレベルの相手に気が付かれないまま感知する、という超高等技術をまだ幼いセリナに教え込む。

 もちろん、セリナの魔法センスと魔法収得に対する意識の高さがあってこそだが。


「よし、護衛の人達の位置は分かったよ。スーおじいちゃん、後はどうするの?」


 闇夜にまぎれた護衛の位置把握を終えたセリナ。

 普段はここからスードナムによる魔法講座が始まる……のだが。


『そうじゃのう……セリナよ、少しばかり大事な話があるのじゃが』

「なに?」


 突如としてスードナムの声のトーンが下がり、場の空気が重くなる。

 普段、スードナムとは常に一緒にいるセリナは瞬時にこれを理解し、ただ事ではない事を悟った。


『もう少ししたら行われる受章の儀についてじゃ』

「えっ……」


 受章の儀。

 それはこの世界に住むもの皆が憧れる、紋章を神から授かる大事な儀式だ。


 マルク司教の聖魔導士、ラシールの武僧など、紋章によってその後の人生を大きく左右する。

 そんな大事な紋章の話がスードナムから出た事で、セリナは事の重大さを覚悟するのであった。

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