第35話 イノのお礼


「う……ここは?」


 セリナが目を覚ました時、視界に入ってきたのは布の屋根と、屋根に吊るされた灯りを発する魔道具だった。

 寝ていた体を起こし、周囲を見渡す。

 四方は天井同様布で仕切られて、そのうちひとつが出入り口になっている。


 形状が郊外授業で組み立てたテントと同じ事から、キャンプに戻ってきているのだろう。

 簡易布団に寝かされ、ボロボロになった服は綺麗な物に変わり、体には包帯が巻かれている。


 おそらく誰かが手当てをし、着替えさせてくれたのだろう。


『目が覚めたかの?』

「スーおじいちゃん……みんなは? あの魔物は?」

『安心せい、みな生きておるよ。魔物はワシが倒した』

「……ありがとう、スーおじいちゃん」

『いや……こちらこそすまぬ。罠に気付けぬとは』

「ううん、気にしないで」


 周囲を見渡し、そのままぼんやりしていると、スードナムが声をかけてきてくれた。

 同時に、敵の罠にはまったことを謝罪。


 スードナムは生前、このような策略や謀略を張り巡らされることも多かった。

 その為、罠感知や魔力感知などで常に警戒していた。


 しかし、それも軍を辞し、国を去るまで。

 その後の隠居生活ではそこまで警戒は行っておらず、セリナに宿ってからはその周辺のみ。

 あのような待ち伏せ型の大掛かりな罠までは想定していなかった。


 そう申し訳なさそうに話すスードナムに、セリナは気にする様子もなく語りかける。


「スーおじいちゃんが居なかったら私達みんな死んじゃってたから……」

『本当にすまんのう。今後はもう少し警戒を強めるとするわい』

「……でも、なんで私を?」

『それはじゃな……おっと、誰か来たようじゃ』

「えっ?」


 正直、セリナには待ち伏せされ、殺されなければいけないようなやましい覚えは一つもない。

 確かにキガソクとの仲は悪かったが、人を殺そうとする理由には到底なりえない。


 さらに言うなら、彼にあのような大掛かりな仕掛けを用意できるとも思えないのだ。

 セリナはそう不思議そうに顔を傾げるが、スードナムは何か心当たりがある様子。


 その理由を聞こうとした所、「誰かが来る」と会話を打ち切った。

 同時にテントの出入り口の布が開き、セリナのよく知る人物が入ってきた。


「イノ!」

「セリナ、目を覚ましましたの!?」


 そう、入ってきたのは共にミノタウロスに立ち向かったイノハートだった。

 水でも入っているのか、桶とタオルを持ちながらテントの中に入ったイノ。


 すると、先ほどまで眠っていたセリナが目を覚ましているとあって、目に涙を浮かべ駈け寄ってきた。


「セリナ、セリナ、あぁ、よかった……どこか痛いところはありませんの?」

「私は大丈夫だよ。イノは? どこか怪我してない?」

「あなたが守ってくれたのです。怪我などあろうはずがありませんわ」


 戻ってきてそれほど時間がたっていないのか、イノは服こそ着替えているが、髪は乱れたまま。

 いつもの気品のある笑顔を絶やさない彼女からは想像できないくらいに表情を乱し、セリナの無事を喜ぶイノ。


「イノ、パベルとルフジオは?」

「大丈夫、二人ともわたくしたちと一緒に救出されてますわ」

「よかった……」


 全員無事という言葉に、胸をなでおろすセリナ。


 聞けば、セリナたちを救出したのはキャンプにいない事に気が付いたファリスとラシールらしい。

 二人はみんなを見つけ、唯一意識があったイノから状況を聞くとすぐさまキャンプへと帰還。


 マルク司教に報告、全員の治療を行うと同時に厳戒態勢を敷いたという。

 イノは無傷、パベルは魔力切れで大事には至らなかったが、セリナとルフジオは重傷。


 幸い二人とも応急処置レベルには回復魔法がかけられていたため、命の危機は脱していた。

 再度キャンプに同行していた回復術師が回復魔法をかける事で二人とも全快。


 あとは意識が戻るのを待つだけ。

 それでもセリナがなかなか意識を取り戻さなかったため、イノは不安いっぱいだったようだが。


「ごめんね、心配かけちゃったね」

「気にしないでくださいませ。セリナが居なければわたくしたち全員死んでいましたわ」

「ううん、あれは私を狙ったもので、危うくみんなを巻き添えで……」

「セリナ! その先は言ってはいけませんわ!」

「えっ?」


 セリナが皆を巻き添えにした事を謝罪しようとした瞬間。

 それまでのイノの表情が一変。


 眉間にしわを寄せ語気を強め、謝ろうとするセリナを諭す。


「もっとも悪いのは罠を張り、はめようとした不届き者です。セリナが謝る必要などありません!」

「で、でも……」

「わたくしたちは貴方に命を救われたのですわ。もっと堂々としていてくださいまし」

「うん……」

「セリナ、わたくしたちを助けていただき、ありがとうございました」

「や、やめてよイノ!」

「いいえ、これはしっかりとやっておかなければならない事ですわ。あの黒髪の方に対しても」

「……えっ」


 イノが放った言葉に、セリナの表情が凍り付いた。

 彼女が言う「黒髪の方」と言うのは間違いなくスードナムの事だろう。


 ミノタウロスとの戦闘になった時、すぐにスードナムと代わらなかったのはミノタウロスの強さが分からなかったのもある。

 が、一番の理由はやはり「姿を見られたくなかったから」である。

 いつもスードナムと一緒にいるセリナは、彼が魔王でないと分かっている。

 しかし、他者から見れば黒髪紅眼は魔王ストライトフそのものだ。


 見つかれば騒ぎになるか、怖がられるか。

 魔王の生まれ変わりとして処罰される事すらあり得る。


 スードナムに代わらず対処できるのが一番良い。

 そう考えていたのだが、ミノタウロスの強さはセリナたちをはるかに凌駕していた。


 実際、セリナもスードナムが咄嗟に張ってくれた防御結界がなければ死んでいただろう。


 何より嫌だったのは自分の巻き添えになったイノたちもが犠牲になる事。

 だからこそ、セリナはイノにスードナムの姿を見られるのを覚悟の上で彼に頼み、後を任せた。


 が、セリナが覚えているのはそこまで。

 ミノタウロスから受けたダメージでスードナムにバトンタッチした時から記憶がなく、目を覚ますまで眠っていたのだ。


 そんなイノの口から放たれた「黒髪の方」。

 セリナの表情はこわばり、背中を冷たい汗が伝うのを感じる。


「……あの方、魔王ではないのでしょう?」


 続くイノの言葉に、セリナは応答ではなく首を縦に激しく振って返す。


「わたくしはセリナを信じますわ。今もセリナの中にいらっしゃるのかしら?」


 再度首を縦に振る。


「3人を代表して、感謝の意を示しますわ。……あの方にお伝えいただけるかしら?」

「分かった、伝えるね」

「ありがとうございます、セリナ。では、わたくしは貴方が目を覚ましたことを伝えてきますわね」


 セリナに確認をとった後、貴族のやり方で感謝を示すイノ。

 その姿と作法はとても美しく、着ているのがインクの汎用服であるにもかかわらず気品にあふれたものだった。


 あまりの事についつい見惚れていると、気付いたイノが声をかけセリナをこちら側に引き戻す。

 仕草や反応からセリナに異常がないと安心したらしく、表情も穏やかになってゆく。


 そして、マルク司教や回復術師にセリナが目を覚ましたことを伝えるため、テントを後にするのであった。


『ふむ、いい子じゃのう』

「うん。平民の私にも優しくしてくれる、大事な友達だよ」


 イノは気を付けていたようだが「黒髪の方」と口にした時、わずかに表情が強張り、震えていた。

 いくら自分を助けてくれたとは言っても、物心つく前から教えられていた魔王ストライトフの恐怖はあったのだろう。


 それでも、彼女は悟られぬよう恐怖を押し殺し、感謝の意を示した。

 目を覚ます前に皆に話し、拘束することも出来たのに、である。


 セリナはそんなイノの優しさがとにかくうれしく、一層表情をほころばせるのであった。

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