第29話 不穏な影


 インクがある街の貴族街。

 ここはインクに通う貴族の子共達の家がある場所だ。

 貴族の中にはインクの寄宿舎に住む子も多いが、子供が複数いる上級貴族は子供たちが全員インクを卒業するまでの間だけ通学専用の別邸を用意している。

 

 そんな豪華な家屋敷が並ぶ一角、日も沈み星々と月が夜空を照らす中……。


「この愚か者が!」

「ぐはっ!」


 男性の怒号と共に、キガソクの顔面を拳が襲う。

 殴られた衝撃で後ろによろめき、置いてあった机を壊しながら床に倒れ込むキガソク。


「なんだこの成績は。入校前主席を取ると豪語していたのは何処のどいつだ」

「しかし、父上……!」

「黙れ。日頃の傲慢な態度に目をつぶっていたのはお前に才能があったからだ。才に浮かれ、己惚れる愚か者の戯言など、聞くに値せん」


 キガソクを殴り飛ばしたのは彼の父親であり、この家の当主だ。

 眉間にしわを寄せ怒りを隠そうともしない父親は、キガソクが何か言おうとする前に口をつぐませ、足元へ紙を放り投げる。

 それはインクの成績表であり、去年のキガソクの成績が記されていた。


 キガソク・ナイネターカッシュ

 神聖魔法・不可

 剣術・良

 回復魔法・不可

 礼儀作法・可


「ぐっ……」

「あれほどいきがっていた剣術ですら『良』とはな。失望したぞ」


 父親に殴られ、頬をつたう血をぬぐうキガソク。

 普段は他の者を下に見て横暴な態度の彼だが、さすがに父親相手では分が悪く、拳を握りしめる。


「タルトリアーネ様は全てを見ておられる。精進を怠ればこのような成績になって当然だ」


 そう言うと執務机の上に置いてあったベルを鳴らし、メイドを呼ぶ。


「旦那様、お呼びでしょうか」

「机が壊れてしまった。片付けてくれ」

「承知いたしました。人を呼んでまいります」


 ベルに応じ、ノックしてから入室し要件を伺うメイド。

 目の前でいまだ立ち上がれずにいるキガソクには目もくれず、主人の指示を受け人を呼びに部屋を出ていく。


「お前もいつまでそこにいる。戻れ」

「……はい」

「今年の成績と、授かる紋章次第では継承権を弟に変更する」

「父上、それは!」

「誰が口をきいて良いと言った? 下がれ」

「くっ……!」


 父親から放たれたとんでもない言葉に、反論しようとするも、これも止められ有無を言わさず部屋を追い出される。

 自分の部屋へ戻る途中メイドや使用人たちとすれ違うが、皆キガソクには目もくれず、横を通り過ぎてゆく。


「クソッ、どうして俺がこんな目に……!」


 壁を殴りつけながら、不満を隠そうともしないキガソク。

 インクに入校して1年、彼の生活は大きく変わってしまった。


 それまでは最初に力の差を見せつけ、圧倒すれば相手はそれ以後小動物のように怯え震え、許しを請うてきていた。

 口ごたえすれば再度力に物を言わせて黙らせ、優越感に浸ってきたのだ。


 インクに入校する時もそれは変わらず、特待生クラスに入った時は特級生ごとクラスを牛耳ってやろうと息を巻いていた。


 歯車が狂いだしたのは、剣術の授業が始まったあの日。

 体力がなく授業に付いてこれなかった連中を冷やかしてやろうとした矢先。


 平民であるにもかかわらず自分を差し置いて特級生になった少女、セリナが割って入ってきた。

 調子に乗っているこいつも、近いうちに痛い目に合わせてやろうと思っていただけに、いい機会だとキガソクも剣を構えた。


 ところが、セリナは自分が知る誰よりも速く動き、尋常ならざる力で攻撃を防ぎ、こちらの剣を弾き飛ばしたのだ。

 ならばと子分である2人に複数で襲うよう仕向けたが、背中に目でもついているかのような動きで躱され、同じように剣を弾かれる結果となってしまった。


 その後、キガソクがセリナに負けたという事実が広がり、クラスメイト達もどこかあざ笑うかのような視線をこちらに向けて来るようになる。

 ならば剣術の腕を見せつけ、馬鹿にしたことを後悔させてやろうと意気込んだ。


 のだが、いくらランニングや筋トレ、剣術の訓練をしてもタルトリオーネとの道が開かれ、力が湧いてくる感じがしない。

 半年ほどたったころには騎士貴族のクラスメイトどころか、平民出の特待生にまで遅れだしてしまった。


 神聖魔法、回復魔法は元からやる気がなく、覚えようとも思わなかったため祈りも形だけ。

 礼儀作法も教わってはいるがこれも知らないよりかはマシ程度。

 当然習得など出来るはずもなく、さんざんな成績になってしまったのだ。


「アイツだ……あいつが同じ平民連中に変なこと教えるから……!」


 セリナは同じ平民出の子達に少しだけ魔力操作を伝授をしていた。

 下手に魔力の事が広がると問題になるというスードナムの助言を受け、祈りの届かせ方や、扉の開け方と言った言い回しで。

 貴族家の子達に対してはイノが率先して教えることで、イノハート世代の特級、特待生は例年よりレベルの高い子が多くなった。


 そんな中、キガソクほか平民に偏見を持つ子は教えてもらう事を拒んだ。

 否、貴族家出身というプライドから教わろうとも思わなかった。


 結果、セリナやイノから教えてもらった子達と拒んだ子達の間で大きな成績の開きが発生。

 神聖魔法、回復魔法はおろか、剣術でさえ平民出の子達に勝てなくなり始めてしまった。


「……あいつは神の御子なんかじゃない。俺を破滅に導く悪魔だ!」

「なるほど、悪魔ですか。良い表現ですね」

「だ、誰だっ!!!」


 自分の部屋にたどり着いたキガソクは、不機嫌を隠そうともせず扉を乱暴に開け、うっぷんを少しでも晴らそうと悪態を吐き捨てる。

 すると、誰もいないはずの部屋の中から返事が返ってきたのだ。


 慌てて声の主を探すキガソク。

 そこにいたのは黒いマントとフードで全身を隠し、顔には面をはめた明らかに不審な人物だった。


「貴様、どこから入ってきた!? ここをナイネターカッシュ家の屋敷と知っての事か!」

「ククク……さすが威勢がいい。これを見れば少しは分かりますかな?」

「な……その面は!」


 灯りの魔道具を付けていても夜の暗い部屋と、フードで面がよく分からなかったが、フードを外したことでしっかりと把握することが出来た。

 それはオリファス教会の審問官だけが付けることを許される、裁きと断罪の神リュフトフをかたどったもの。


「し、審問官様とは知らず、ご無礼を……すぐに父上を」

「待ちなさいキガソク君。私は君に用があるのです」

「俺……いえ、僕にですか?」


 オリファス教会の審問官は教会の教えを歪める異端者や、魔王ストライトフとつながるものを抹殺する教会の暗に住む人間だ。

 審問官一人で騎士数人を相手に出来ると言われるほど戦闘力が高く、目を付けられて生き残る者はいないとされている。


 キガソクも相手が審問官とわかると、それまでの威勢のよさは何処へやら。

 態度を急変させ、オリファス教会の挨拶をし、父親を呼んで来ようとする。


 しかし、審問官は部屋を出ていこうとするキガソクを呼び止め、開いた窓から入り込む月明かりに照らされながら、再度口を開く。


「全能なる神オリファス様は聖女候補生セリナを魔王ストライトフに通じる悪しき者と判断いたしました」

「それって!」

「明日、郊外活動時に裁きが下ります。あなたにはそれを手伝っていただきたい」

「お、俺が……?」

「ええ。あなたにしかできない事です」


 面から受ける印象そのまま、淡々と冷徹に告げる審問官。

 その内容に最初は驚きを隠せなかったキガソクだが、次の瞬間には顔をほころばせ、不気味な笑みを浮かべるのであった。

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