第7話 お風呂
馬車を降り、教会の中へ入るファリスとセリナ。
マザーとハンスは別用があるという事で一度別れ、今は二人だけで教会の中を歩いている。
さすがこの辺り一帯を統括する教会本部とあって、造りは豪華絢爛。
歩みを進める廊下の天井は高く、窓にはめられたガラスは歪みや曇りひとつない。
柱に使われている石も凹凸なくなめらか。
壁にも細かい模様が彫られているなど、この建物がただ大きいものではない事を教えてくる。
「すごい、おっきい……」
『ほう、これは見事じゃな、これほどの細工、わしの時代ではできんかったわ』
「スーおじいちゃん、見えるの?」
『スーおじいちゃん?』
「うん。おじいちゃんのお名前、スードナムだから、スーおじいちゃん」
『む……そ、そうか』
突然のスーおじいちゃん呼びに動揺するスードナム。
名前呼びに訂正しようかとも思ったが、セリナの悪気無さそうな表情の前に断念。
好きに呼ばせることにした。
「スーおじいちゃん、外見えるの?」
『見えるぞ。セリナの視界は共有させてもらっておるし、魔法もあるからのう』
「すごい」
スードナムは魂だけの存在であり、基本的にはセリナの中に居る。
それでどうやって外の景色を見ているのか気になったが、どうやらセリナの視界を介して見ているらしい。
しばらく歩いていると、ファリスが同じシスターの服を着ている女性に話しかけられ足を止める。
彼女もこちらに用があるのか、何度か視線をこちらに向けつつファリスと言葉を交わす。
会話が終わるとシスターは教会の奥へと消えて行き。
ファリスはセリナへ向き返ると、膝を追って屈み、セリナと視線を合わせた。
「セリナ、司教様がお会いになるそうです。でもその恰好では会えないので、先にお風呂に入りましょうか」
「司教様?」
どうやら先ほどのシスターはファリスに司教が会いたがっている事。
その前にセリナを入浴させるよう伝えに来たようだ。
セリナは事故に巻き込まれたそのままの恰好な為、全身泥だらけ髪はボサボサ。
孤児院を出る時の服装も普段使いの物だったため、お世辞にも綺麗とは言い難い。
セリナとしても拒否する理由はなく、再度ファリスに連れられて移動を開始。
たどり着いたのは教会内にある関係者用入浴所。
勝手がわからないセリナため、ファリスが体と髪を洗ってくれるとの事。
石鹸やシャンプーを取ってくる間に服を脱いでおくよう言われ、脱衣所までやってきたセリナ。
だが、服を脱ごうとした所で動きが止まり、躊躇してしまう。
『どうしたのじゃ?』
「ス、スーおじいちゃん、見てるの?」
『見ておるが?』
「み、見ないでぇッ!」
そう言って顔を赤くし、しゃがんでしまうセリナ。
彼女も年頃の女の子。
老人とは言え異性であるスードナムに裸を見られてしまうのは、お年頃のセリナにとって看過できる事ではない。
それがいくら魂だけの存在であったとしても、だ。
『ん、んん? ……おぉ、あい分かった! セリナが風呂から上がるまでワシは目を閉じ、口をつぐもう。これで良いか?』
「ぜ、絶対だからね!」
実際のところ、スードナムが目をつぶる事が出来るのかは分からない。
しかし、そうでもしないとセリナが服を脱ごうとしないのは彼も理解していた。
その場任せの言葉ではあるが、セリナはそれで安心したらしく、服を抜いで浴場へと脚を進める。
ちなみに、生前は齢数百に達していたスードナム。
若い女性にお酌をしてもらうなど、もてはやさせるのは大好きだったが、それはあくまで成熟した女性の話。
まだ幼いセリナに対し思うところは何もない。
スードナムはロリコンではないのだ。
決して。
「うわぁ、広いお風呂!」
教会の浴場は腐食対策で石造りで、大人数が同時に入れるよう広く設計されていた。
中央には壁や床と同じく石造りの浴槽があり、その中にはお湯が入っているようで、暖かそうな湯気を出している。
セリナがいた街でも民衆用の公衆浴場はあったが、孤児院の経営上数日に1回行けるかどうかであった。
それこそ、資金が厳しい時には浴場に行かず、井戸からくみ上げた水で体を拭くだけの日も多かった。
それがどうだ、今目の前には天国の様な美しい浴場が広がっているではないか。
これで心躍らせるなど言う方が無理である。
『ほう……』
「スーおじいちゃん?」
『…………』
「もう、見ないでッ!」
『…………』
浴場の造りが気になったのか、はたまたセリナとの約束を守る気がないのか。
セリナが浴場の広さに感銘を受けていると、どこからかスードナムの声が聞こえてきた。
その声にセリナはすぐさま反応再度スードナムに釘を刺し、ファリスを待つ。
「お待たせセリナ。こっちへ」
「はい、シスター」
ファリスは手に持った桶に石鹸や布を入れ、修道服のスカートと裾をめくり上げた姿で浴場に姿を現した。
教会に勤めるファリスは当然この浴場を頻繁に利用している。
セリナを浴槽近くに座らせ、お湯をすくい頭からかけ、手慣れた手つきで洗ってゆく。
「泥がすごいわ……これは血の塊ね」
「うわぁ、すごく気持ちが良いです」
全身泥だらけだったセリナだが、ファリスの手によりみるみるうちに汚れが落ち、本来の美しさを取り戻す。
それでも栄養不足なのか、同年代に比べれば血色が悪く細身ではあるが。
「よし、汚れはこんなものね。セリナ浴槽に入る?」
「いいの?」
「少しだけよ。上がった後も支度が残ってるから、手早くね」
「はい!」
彼女のの提案に元気よく答え、浴槽に浸かるセリナ。
ファリスはその間に落ちた汚れを流し、片付けを済ませ浴場から外へ。
セリナは久しぶり、かつ初めての豪華なお風呂をゆっくりと楽しみたかった。
しかし、ファリスを待たせるのも悪いと、ある程度体が温まったところでお湯から出て浴場を後にする。
「シスター、上がりました」
「じゃあはい、タオル」
「ありがとうございます。すごい、ふわふわ」
浴場から出てきたセリナに渡されたのは、手触りバツグンのタオル。
孤児院に居た頃は大勢でタオルを使いまわしていた。
そのためヨレていくつもの穴が開き、そこら辺の布よりも拭き心地が悪かった。
セリナは渡されたタオルに顔をうずめ、感触を心行くまで堪能する。
「ふふ、気持ちいい?」
「はい、とっても」
「これからは毎日使えるわ。さぁ、ちょっと時間が押してきたから急ぎましょう」
「はい」
渡されたタオルで体を拭き、その間にファリスが別のタオルで髪を拭き上げる。
そして体を拭き終えたところで、ファリスは服の入ったかごを差し出した。
「シスター、これは?」
「子供用の修道服よ。あなたが着ていた服はもう使えないから、これに着替えなさい」
「わかりました」
こと、ここにきてセリナに拒否権はない。
もともと着ていた服も使いまわしの御下がりであり、伸びてクタクタになっていた。
そこへあの土砂災害。
もはや服としての機能すら失っていた。
むしろ、今目の前にある修道服の方が、セリナの人生の中で一番豪華な服である。
着慣れない服ゆえ着るだけでも時間がかかってしまうが、そこはファリスに助けてもらいながら着用。
次に連れていかれたのは脱衣所に併設された鏡台だ。
「うわぁ、大きな鏡……」
「さて、あとは髪を乾かして、長さをそろえましょうか」
目の前の鏡にまたしても衝撃を受けるセリナ。
鏡自体が高価なため、孤児院にも公衆浴場にもなく、街の教会で行われる式典の時だけ神具として見かけた事がある程度だ。
「シスター、それは?」
「温風を出す魔道具よ。これで髪を乾かすから、じっとしててね」
ファリスがどこからか取り出したのは、温風の出る筒。
この筒には特殊な細工がしてあり、魔導士でなくとも魔法の様な事が出来る魔道具。
当然極めて高額であり、孤児院はおろか、公衆浴場でも教会でもお目にかかったことはない。
温風で髪を乾かすという、初めての体験に微動だに出来なくなるセリナ。
ファリスはそんなセリナをお構いなしとばかりに魔道具で髪を乾かし、櫛を入れて髪をとかしてゆく。
最後に今までの生活と事故によりボサボサになっていたセリナの髪にナイフを入れる。
時間が押しているため、傷んだ毛先を切り落とし、全体の長さをそろえるだけ。
「よし、これで終わり!」
「うわぁ……!」
ファリスが「やり切った」という満足そうな声を上げ、視線を目の前の鏡へ移すセリナ。
そこに映っていたのは「孤児院の少女」でもなく「災害に巻き込まれた少女」でもなく。
間違いなく「小さなシスター」であった。
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