最後の王命 3

 スパルタ一とも言われたクレオンブロトスの剣が鋭く閃き、次々と血しぶきがあがる。


 しかしながら、それでも多勢に無勢。


 取り囲んだ何十もの手が、次々とクレオンブロトスの体にかかり自由を奪っていく。


 カーギルとクラディウスも、何とかクレオンブロトスのそばに行こうと懸命に戦うが、はばんで切りかかってくる相手の数が多すぎて、たどり着けない。


 クレオンブロトスを押さえつけている部隊の隊長らしい、熊のような巨漢が部下をかきわけ、テバイ兵が鈴なり状態で身動きのとれなくなったクレオンブロトスの前に立った。


「覚悟しな、黄金獅子きんじし。俺の名はダリウス。


 テバイ軍総司令官、ペロピダス兄者あにじゃの三弟だ。


 だがおまえをこの手で殺せば、次からは俺さまが総司令官って訳だ。


 へっへっへ……


 そいじゃ、あばよ、でえええいっ!!」


 大音声だんおんじょうのかけ声ととも、熊のような巨漢ダリウスが、王の首元に向かって真横に剣を振る。


 が、下半身や手足は押さえ込まれて身動きのとれないクレオンブロトスも、その大柄な体ゆえ、胸から上はまだ動かせた。


 大振りするダリウスの剣を、胸と首を後ろにらせて、見事によけた。


「こん畜生めっ、じっとしてろっ!」


 空振りしたダリウスが、今度は上から斜めに剣を振り下ろす。


 歯を食いしばった王が、力を振り絞って上半身と首を左斜めに傾け、紙一重で再度、剣をよける。


 勢いあまった剣が、王の右腕を押さえていたテバイ兵のひとりの首を、すぱーんと飛ばした。


 ざあぁぁぁっ!! と音をたてて噴水のように血が噴き出す。


「ひゃっ!」


「うわあぁぁっ」


 上官に仲間の首を飛ばされ、その血を思い切り浴びて、テバイ兵たちの腰が引け、力が弱まる。


 その隙に、クレオンブロトスがスパルタ人らしい凄まじい筋力で、群がっている兵を一気に振り払おうと、右に左に体をひねった。


 テバイ兵数人がばらばらと落ちて、離れる。


「くっそ――っ、てめぇらもっとしっかり押さえとけっ!」


 腹立たしげに叫ぶダリウス。


 そして、熊のような巨漢ダリウスは、長大な剣で、あろうことか押さえ込んでいる前方の部下の兵もろとも、クレオンブロトスをくし刺しにしたのである。


「ぎゃあああああっ!!」


 凄まじい断末魔だんまつまの悲鳴を上げたのは、背後からくし刺しにされたテバイ兵。


「ひいいいいぃ!」


「うあああぁぁっ!」


「そんなっ、ひでえっ」


「やってられるかよっ!」


 今度はたまたまではなく、承知の上で部下ごと刺す、という上官のとんでもない所業しょぎょうに驚き、恐れをなしたテバイ兵たちが、悲鳴といきどおりの声をあげ、クレオンブロトスのまわりから一斉に引いていった。


 刺されたテバイ兵とクレオンブロトスが、支えを失って重なって後ろに倒れる。


「うわあああっ、クレオンブロトスさま――――っ!!」


「クレオンブロトスさま、クレオンブロトスさま、 クレオンブロトスさま――――っ!!!!」


 狂ったように絶叫しながら、カーギルとクラディウスがテバイ兵の逃げていった隙間すきまに駆け込んでいく。


 が、その時。


 飛んできた一本の矢によって兄弟の命運めいうんは分けられた。


 矢は、カーギルのももに深く突き刺さり、王に向かって全力疾走していた彼は、もんどりうって激しく転倒してしまったのである。


「クレオンブロトスさまあぁぁぁぁ!!!!」


 王の名を呼びながらクラディウスがひとり、半狂乱になって突っ込んでいく。


 自分の上のテバイ兵の死体を押し退け、なおも起き上がろうとするクレオンブロトスに、巨漢ダリウスが、その巨体に見合った長大な剣をまた上げる。


「こいつっ、しぶとい奴だ!」


 剣が、弧を描いて振り下ろされた。


 クレオンブロトスの前には、かろうじて間に合ったクラディウスが立ちはだかっていた。


 たてなどとうに失っているクラディウスの、乱戦でぼろぼろの剣が、凄まじい怪力で振りおろされたダリウスの長剣を、左肩上で見事に受け止め、そして……


 折れた。


 ざしゅっ!!


 土を噛んで半身を起こしたカーギルは、折れた剣を持った弟の体が、血を噴き上げて倒れるのを見た。


「こ、こいつっ、邪魔しやがって、今度こそ!」


 悔しげに叫んでダリウスが、五たび目にクレオンブロトスに剣を振る。


 しかし、次の瞬間。


 死体をどけ、片膝をついて体勢を立て直したクレオンブロトスの剣が一閃し、振り下ろされる途中だったダリウスの右腕は、剣を握ったまま体から離れて、宙を飛んでいた。


「うぎゃあああああっ!!」


 血の噴き出す右腕を抱えて、転げ回るダリウス。


 クレオンブロトスが、刺された腹を左手で押さえ、右手で剣を杖にして、ゆっくりと立ち上がる。


 血まみれの黄金獅子きんじしの、蒼鬼迫そうきせまる形相。


 誰も、挑む者はいない。


 王者の凄まじい迫力に、誰もが恐れをなし、気をのまれていた。


 スパルタの黄金獅子きんじしは、固唾かたずを飲むまわりを睨みまわした。


 そして王者の琥珀こはくの目が、最後に残ったカーギルにあてられた。


 最後の王命を告げる声。


「行け、カーギル、アフロディアの元へ。


 おまえが最後のアギスを守るのだ!」


 見つめあうふたりの、共に過ごした過去の全ての時間が、一瞬にして凝縮された。


 ふたりの心はひとつになり……


 カーギルは、頷いた。


 そして王に背を向け、振り返らずに走った。


 背後には、再び剣戟けんげきの音。


 幼いころから側近く仕え、友愛と忠誠を誓った主君、クレオンブロトス王。


 スパルタ戦士であるには、あまりにも優しすぎた弟、クラディウス。


 カーギルにとって、それがふたりとの最後の別れとなった。

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