裏切り 3

 部屋の壁に叩きつけられ、ごほっ、とクラディウスの口から血が飛び散る。


 血に染まったずたぶくろのような体が、壁に沿ってずるずると崩れる。


 殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、叩きつけられ……


 クラディウスはもう、ずたぼろだった。


 制裁を行っているのは、兄のカーギル。


 その後ろでは、腕を組んで横を向き、険しい表情で床を睨むクレオンブロトス王。


 凄まじい怒りの声でカーギルが怒鳴る。


「首を失くしただなどとっ!! きさま、よくもぬけぬけと……でえっ!!」


 兄の蹴りを腹にうけ、鼻と口からさらに血があふれる。


 倒れたままの弟をカーギルは何度も踏みにじった。


 さしもの、鍛え抜かれたスパルタ戦士のクラディウスの体も、もはや指一本動かすことが出来ない状態となって、ついにカーギルが腰の剣を抜く。


 蝋燭ろうそくのあかりをはじいて、ぎらり、と不気味に刀身が光る。


 裏切りの弟の体を力まかせにくし刺しにしようとしたカーギルに、制止の声。


「待てっ、カーギル!」


 剣を構えたまま振り向くカーギルは、鬼の形相である。


 琥珀こはくの目を冷たく光らせたクレオンブロトスが、言う。


「殺さずともよい」


「それはなりません、王っ!!


 今度ばかりはこいつを生かしておいては、他の兵にも示しがつきませんっ!!」


 叫んで、剣を突き刺そうとするカーギルに、クレオンブロトスがえた。


「やめろっ! これは王命だっ!!」


 力のこもった剣先がぶるぶると震え、やがて激しい舌打ちの音ととも、いまいましげに下に降ろされる。


 クレオンブロトスはカーギルを後ろへ下がらせ、血だるまで倒れるクラディウスのそばに歩み寄り、屈んだ。


「きさま、またアフロディアとはかったな」


「………」


「アフロディアに奴を逃がすよう、また頼まれたんだろうがっ!!」


 血の洞窟の口から、蚊のなくような声。


「……ち……がいま……す……」


「本当か?」


「……は……い」


「では本当に奴を殺したのか?」


「………は……い」


「もう一度きく、本当に殺したんだな?」


「………はい……こ……ころし……ま……した」


 クレオンブロトスは立ち上がった。そのまま廊下に出て衛兵に命じる。


「アフロディアを連れてこい!」


 間もなく、アフロディアが衛兵に連れて来られた。


 カーギルによって、部屋の壁にもたれかけて座らされたクラディウスの悲惨な姿に、悲鳴を上げる。


「きゃあああっ、クラディっ!


 どうしてこんなことに?! どうしてっ?!」


 青ざめて駆け寄り、アフロディアは震える手で血まみれの幼なじみの頬を撫でた。


「ひどい、ひどい……どうして?


 どうしておまえがこんなひどい目にあわされるんだ?!」


 冷えきったクレオンブロトスの声。


「クラディウス、アフロディアにおまえが今日やったことを言え」


「え? あに……うえ……なんのこと?」


 いままで見たこともない冷たい兄王の表情を仰ぎ見て、アフロディアは兄に対して初めて恐怖を感じた。


 再度、クレオンブロトスが言い放つ。


「クラディウス、おまえは今日、命じられたことを果たした。その成果を報告しろ!」


 耳の痛くなるような静寂。


 ずたずたのクラディウスの唇が、わずかに動く。


「………こ……ろ……しま……した」


「おまえが誰を殺したか、はっきり名前を言えっ!」


「………たし……は……ィリ……ンを……ころ……し……」


「聞こえんっ! もっとはっきり言えっ!!」


 これ以上はないほど大きく見開かれたアフロディアの目の、その前でクラディウスは言った。


「……わ……たし……は……ティリ……オンを……ころ……しま……した」


「もう一度だ、言えっ!!」


「わた……わたし………は……はうっ!」


 クラディウスの口が大きくあえいで息を吸い込む。


 そして告げる。


「わたしは……ティリオンを……ころしました」


 アフロディアの体がぐらりと傾き、そのまま気を失って、倒れた。

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