裏切り 2

 草原を抜けて山のふもとまでくると、クラディウスはティリオンを乗せた馬車を止めさせた。


「よし、奴を下ろせ」


 部下に囚人を馬車から下ろさせると、ティリオンを後ろ手にきつく縛ってある縄の先を自分で持った。


 そして言った。


「おまえらは、ここで待て。後は俺が始末してくる」


 クラディウス隊長の言葉に、ともの5人の部下たちは顔を見合わせた。


「しかし隊長、我々はカーギルさまに、一緒に行って手伝い、処刑を確認するよう命じられております」


 部下たちと視線を合わせないようにして、クラディウスが言う。


「いいんだ。後は俺がひとりで始末する。


 責任は全て、俺が取る」


 動揺して、騒ぎ出す部下たち。


「責任って? 隊長!」


「隊長、それはまずいかと……」


「よく考えてください、隊長!」


「なんでしたら、我々だけで始末しますから」


「すぐに済ませます、さあ、そいつをこちらへ」


 しかし、決然と言い放つクラディウス。


「おまえたちは、ここで待て。命令だ!」


 何の抵抗もしないティリオンの体を押して、ひとりで行こうとする彼に、たまりかねた部下のひとりが駆け寄った。


「隊長! もし……もしこいつを逃がしたりしたら、本当に……隊長は殺されます」


 耳元でささやく部下を、クラディウスは初めて、横目でじろりと見た。


「わかっている」


「どうか我々にお任せください。苦しませはしません」


「心配するな、俺がちゃんとやる。いいからここで待て」


「クラディウス隊長!」


「隊長!!」


 悲痛な声で叫ぶ部下たちを後にして、ティリオンを連れ、クラディウスは夕暮れの山に登った。


 夕日に全身を紅く染められて、ふたりの青年は急な山道を登り続けた。


 ずっと、どちらも無言であった。


 話す事は、いや、話せる事は、もはや何もなかった。


 ふたりの土を踏む音だけが、静まりかえった斜面に響いていた。


 やがて、小さく開けた場所に着き、縄を後ろに引かれたティリオンは止まった。


 眼下にはラコニア平原。


 遠くに、守壁しゅへきを持たないスパルタ・ポリスの街並みが長くのびる。


 ティリオンは、後ろを振り向かずに両膝をついた。


 覚悟を決めている表情は、穏やかだった。


 (父上、あなたの大きな愛に気づけず、そむいてしまった私をどうぞお許しください。


 私は愚かな息子でした。


 この命ひとつでは、到底、つぐないにはなりませんが、今の私にはこれが精一杯のお詫びです。


 申し訳ありませんでした。


 フレイウス、オレステス、ゼウクシス、パトロクロス、マイアン、ビアス、ギルフィ、アルヴィ……アテナイのみんな……


 私のために大変な迷惑をかけてしまった。


 本当にすまなかった。


 アテナイで、みんなが健勝けんしょうで暮らせることを祈る。


 クラディウス……私のスパルタ人の友。色々とありがとう。


 最後までいやな事をさせてしまって、すまない。


 そして、アフロディア姫。


 私の凍えきった心を暖かく溶かしてくれた、太陽の姫ぎみ。


 あなたのおかげで私は、大切な多くの事に気付くことが出来ました。


 私はあなたに出会えて幸せでした。


 心からの愛をあなたに、さようなら……)


 静かに目を閉じ、クラディウスが切りやすいように銀の髪を軽く振って払い、首を前に差しのばす。


 愛しい人々の顔を思い浮かべ、力を抜いて最後の時を待つ。


 だが、後ろの両手をぐいと引っ張られ、剣で荒々しく素早い動作で断ち切られたのは、命ではなくいましめだった。


 ぱらり、と縄が落ち、急に自由になった両手を目の前にして、ぽかんとして見つめるティリオン。


 それから、驚愕して体ごと振り返る。


 その膝の前に、カシャン、という金属音ととも、銀の短剣が投げられる。


 クラディウスの怒鳴り声。


「姫さまの手向たむけだ。持ってけっ!」


 言葉の意味をかいし、緑色の目を大きく見開くティリオン。


  首を振り、縄を切った剣を収めるクラディウスに向かって、つかむように手を伸ばす。


「待て、だめだクラディ!


 そんなことをしたら、おまえが殺されるぞ!!」


 クラディウスは顔を真上にして夕空を仰いだ。


 体の脇で両のこぶしをにぎりしめ、喉も裂けよと大きく絶叫する。


「俺は、姫さまに約束したんだ――――っ!!!!」


 くるり、ときびすを返すと、一気に山道を駆け下ってゆく。


 呆然とそれを見送るティリオンの前には、短剣のエメラルドがきらきらと輝いていた。

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