第二十章 最後の王命

最後の王命 1

 紀元前371年『レウクトラの戦い』


 無敵といわれた覇者スパルタが大敗北をきっした戦いとして、ギリシャ史上名高い戦いである。


 テバイのレウクトラで行われたこの戦いによって、ギリシャの勢力図は大きくぬりかえられることとなる。


 テバイ軍の参謀長エパミノンダスは、テバイ本陣天幕の中で次々と入ってくる勝利の報告に有頂天になっていた。


「はははははは、かかった、かかったぞ!


 きれいにはまってくれたっ。


 早いとこ黄金獅子きんじしの首を持ってこい!


 それで、アフロディアの隊はどうなった?


 アフロディアは殺さず、必ず捕らえろよ。


 折角ご丁寧に、兄妹きょうだい一緒にはまりにきてくれたのだからなっ」


 報告に来ていた兵士が返答する。


「はっ、それが、アフロディア姫捕獲のために向かった部隊が、同盟軍アテナイと部隊の進路のことでもめておりまして、協議のため進軍停止しております」


「なぁにいっ。


 何だっ、さっきからアテナイ軍は我々の邪魔をしてばかりではないか!


 フレイウスめ、まともに戦う気があるのかっ。


 同盟軍コリントスはどうしたっ、コリントスは?!」


「はっ、まだ到着いたしておりません」


いくさが終わってから来るつもりかっ、悪徳商人コリントスめ!


 また算盤そろばんはじいて損得勘定そんとくかんじょうしてやがるなっ。


 もういいっ、我々だけでやってやるっ。


 『レウクトラの戦い』は我々テバイだけの勝利だ、と。


 このエパミノンダスさまの天才的頭脳の勝利だ、と後世こうせいからなっ」


 もうひとり別の兵士が飛び込んできた。


「報告します! 黄金獅子きんじし、完全に包囲しました!」


「よぉーし、行けっ、行けっ、残る戦力を全部投入しろとペロピダスに伝えろ!


 黄金獅子きんじしを殺せ――――――っ!!」



                 ◆◆◆



 レウクトラ……


 そこは戦風の吹き荒れる地獄だった。


 クレオンブロトス王率いるスパルタ軍にとって、戦況は絶望的となっていた。


 無敵といわれたスパルタの、約1万の重装歩兵部隊じゅうそうほへいぶたいと1千の騎馬隊きばたい


 それが、エパミノンダスが考案した新戦法、『斜線陣しゃせんじん』及び、テバイの特殊選抜部隊『神聖隊しんせいたい』のために、総くずれとなり、次々と壊滅していった。


 後退して白兵戦はくへいせんで巻き返しをはかろうとしても、無駄だった。


 あらゆる場所に罠があり、待ち伏せがあった。


 テバイ軍は、スパルタ軍の総ての作戦と動きを知りつくしていた。


 それが、アギス王クレオンブロトスに対する、エウリュポン王アゲシラオスの裏切りの結果であることは、あらゆる観点から見て、もはや明白となっていた。


 あとは殺戮さつりくにつぐ殺戮さつりくであった。


 戦煙のレウクトラの地は、スパルタ軍兵士たちのしかばねで黒く覆われていった。


 カーギル近衛隊長はクレオンブロトス王をまもって、林の中で退却の血路けつろを開こうとしていた。


 雨のように降り注ぐ矢を切り払い、雲霞うんかごとく群がってくるテバイ兵に剣を振るう。


 王の直接警護にあたるカーギルの部下たちは、強いスパルタ兵の中でもさらによりすぐりのごうの者ばかりだった。


 が、スパルタの黄金獅子きんじしの首を自らの手で落として名声を上げんと、野望の炎を燃やす敵兵は、あまりにも凄まじい数であった。


 次々と、数限りなく襲い来る敵兵に対し、クレオンブロトス王の身をまもる生き残った近臣兵きんしんへいは、カーギルはじめ弟のクラディウスと数人だけなっていた。


 カーギルと背中を合わせ、血にまみれた剣を構えるクレオンブロトスが言う。


「カーギル、おまえは正しかった。


 私はやはり、底抜けのお人好しであったよ。


 よもや……よもや一国の王が、他国に自らの市民を……兵を売るとは思わなんだ。


 それも、これだけ多くの忠実な兵を総て犠牲にするとは。


 これだけのたみを失えば、おそらくスパルタはもう二度と立ち上がれないというのに……


 愚かだ、愚か過ぎる、とんだお笑いぐさだ、ははははははは!」


 自身をもあざわらいながら、クレオンブロトスは剣を振るい、テバイ兵数人を切り裂いた。


「クレオンブロトスさまっ、何としても生きのびて、スパルタにお戻りなさらねばなりませんぞっ!


 クレオンブロトスさまを失えば、スパルタは滅びます!!」


 そう叫んでカーギルも血刀けっとうを振るう。


 クレオンブロトスは苦く笑った。


「ふ……、もう私はともかく、少しでも多くの兵が落ちのびてくれればいい。


 しかしそれでも……すまぬな。


 大勢の勇敢な兵の命を、私の浅慮せんりょのせいでみすみす失うはめに……


 ぐっ!!」


 クレオンブロトスの声が途切れ、がくり、と片膝が折れた。


「クレオンブロトスさまっ!


 おいっ、クラディウスっ、来い!」


 カーギルは膝をつくクレオンブロトス王を抱えると、弟を呼び寄せ援護えんごさせた。


 激戦で割れたクレオンブロトスの鎧の隙間、胸板の上に深々と矢が刺さり、血があふれだしていた。


「クレオンブロトスさまっ、しっかりなさいませ!


 浅手あさででごさいますぞっ」


 カーギルは言ったが、それがはかない嘘であることは、クレオンブロトスには分かっているはずだった。


おうとも! まだまだ、これからだっ!!」


 それでもクレオンブロトスは力強く応えた。


 カーギルの手を振り払って、突き刺さった矢の尾を自分でへし折り、立ち上がる。


 スパルタの黄金獅子きんじしと呼ばれた男の、さすがの気力であった。


「クラディウスはどこかっ!」


 クレオンブロトスの声に、テバイ兵と剣をかみ合わせているクラディウスが、じりじりと下がりつつこたえる。


「はいっ、ここにおります!」


 立ち直ったクレオンブロトスとカーギルが、今度はクラディウスの加勢かせいをし、テバイ兵の群れをひとしきり倒す。


 敵兵の流れが一時おさまったところで、クレオンブロトスは草むらにカーギルとクラディウスを呼び寄せ、屈ませた。

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