影の王家 5 *

 オレステスとテオドリアスは、静かに顔を見合わせた。


 ベッドからテオドリアスの小さな声。


「最後の望みを、フレイウス、おまえにたくそうと思う。


 もし、それでだめならば……私は……私は……


 ……我々は、あきらめる」


 フレイウスの唇が震える。


「最後の望み? 私に?」


 オレステスが、ベッドのそばの小机の引出しから羊皮紙を一枚取り出した。


 フレイウスに近寄って両手で渡しながら、言う。


「これは、今度のいくさのアテナイ軍総司令官の辞令だ。


 本来なら、この総司令官席は、将軍位等級しょうぐんいとうきゅうが務めるべきもの。


 若年じゃくねんのおまえにはまだ許されない指揮権だ。


 だが特例として、我々はおまえを総司令官に任命する。


 議会で指摘されたり反対が出れば、それはこちらで抑える。


 おまえには、アテナイ軍総司令官として、テバイのレウクトラに行ってもらう」


 茫然としたまま、思わず両手で辞令を受け取ったフレイウスが尋ねる。


「テバイのレウクトラに?


 それがどうして、ティリオンさまを救うことになるのです?」


 オレステスは少し笑った。


「考えてみるんだ、フレイウス。


 アテナイがテバイと同盟を組めば、アギス王クレオンブロトスはみせしめとして、ティリオンさまの処刑を決定するだろう。


 では、ティリオンさまの命と引き換えに、今度のいくさに同盟し協力しろ、という要求をはねつけた、我々アテナイ。


 そのアテナイへのみせしめとしての処刑を、どこで行うのが最も効果的、とアギス王クレオンブロトスは考えるか?」


 理解が、フレイウスの頭にしみ通ってゆく。


「今度のいくさに同盟し協力しない、我々アテナイへのみせしめ……


 アテナイ軍の目の前で……今度のいくさの戦場だ……テバイのレウクトラ!」


 頷くオレステス。


「そうだ。


 ティリオンさまを救えるのは、もうそこしかない。


 おまえに与えるこの辞令は、そういう意味だ」


 受け取った辞令を見つめるフレイウスの喉の奥から、くっ、くっ、と音がする。


 いつもは冷たいあおの目が温かくうるんでいる。


「……オレステス将軍、いや、父上。それからテオドリアスさま。


 おふたりの予測や洞察、心から敬服いたします。


 私の浅はかな考えなど、まだまだ到底かないません」


 オレステスとテオドリアスはもう一度顔を見合わせた。


 テオドリアスの穏やかな声。


「そうでもないさ、我々は後方にいるからな。


 それでたくさん情報が入るし、物事の全体が、現場のおまえより少しばかりよく見えたりするだけなのだ。


 おまえはがんばってくれている。感謝しているよ」


 オレステスの厳しい声。


「だが、がんばっていても成果を上げなければ意味がないぞ。


 もちろんこのいくさ、負ける訳にはいかない。


 同時に、ティリオンさま救出の最後の機会も逃してはならない。


 分かっているだろうが、もう失敗は許されん。


 ティリオンさまが処刑される前に、何が何でも必ず救い出せ!


 フレイウス、我々は全てをおまえにける、おまえはそれにこたえろ!!」


「はっ!!」


 胸にこぶしをあてて敬礼するフレイウスの、もう片方の手には、しっかりと総司令官の辞令が握られていた。



――――――――――――――――*



人物紹介(学問と芸術の盛んなアテナイポリスの人たち)


● フレイウス(25歳)……アテナイ軍の将校。『アテナイの氷の剣士』と異名をとる剣の達人。ティリオンの『第一の近臣』


 ティリオンを保護するために追っているが、ティリオンのほうは、フレイウスが処刑をするために追ってきている、と誤解している。


● テオドリアス(46歳)……ティリオンの父。アテナイ・ストラデゴス(アテナイの将軍長)


 ティリオンに誤解され、斬られてしまったが命をとりとめた。息子ティリオンを愛し、戻ってきてくれることを切に願っている。


● オレステス将軍(51歳)……『アテナイの論理頭脳』と密かに呼ばれている、頭脳明晰な将軍。テオドリアスの『第一の近臣』

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