影の王家 3

 アテナイ市近くの某所ぼうしょ、深い森の中。


 その森に隠されて、ひっそりとるアルクメオン家の別邸べっていに、夜遅くフレイウスは黒馬で乗りつけた。


 扉の小窓で顔を確認された後、いくつものじょうが外される音がしてから扉が開かれる。


 三人の氏族兵に囲まれ、マントと剣、身に着けていた細々こまごました物もその場で全て外して渡し、加えて身体検査をされてから、長衣ひとつとなって奥へと通される。


 屋敷の警備は厳重だが、内部はしんと静まり返っており、案内役の氏族兵とフレイウスの足音だけが、長い絨毯を敷いた廊下に忍びやかな音をたてる。


 この屋敷のあるじの寝室に通されたフレイウスは、二人の人物に無言で頭を下げた。


 ひとりはベッドの枕元まくらもと近くに立つ、オレステス将軍。


 もうひとりはベッドの中でいくつかの大きな枕に痩せこけた体を支えられ、上半身を起こしている、テオドリアス・アルクメオン。


 アテナイ・ストラデゴスである。


 フレイウスはオレステスに手招きされて、ベッドの足元近くに歩み寄った。


 ひざまずこうとしたフレイウスを、テオドリアスが小さく指を動かしてとどめる。


 低い声。


「そのままでいい。


 スパルタ・アギス王家から書簡しょかんがきた。


 スパルタはテバイに宣戦布告する。


 アテナイがスパルタに同盟し協力すれば、ティリオンの命を助ける、とな」


 フレイウスは頷いた。


「やはりそうですか……


 ティリオンさまがアフロディア姫によってスパルタ王宮に連れていかれたのは、去年の秋。


 なのに今頃になって、平和会議の帰りに偶然出会った私たちを襲って来た。


 これは何かがあって、クレオンブロトス王がティリオンさまの素性すじょうに初めて気づいたのだろう、とは思っておりました。


 それでもちろん、スパルタと同盟していただけるのですね?」


 フレイウスの問いに、沈黙が降りる。


 ベッドで緑の目をかげらせ、無言でうつむきかげんのテオドリアスの顔色はひどく悪かった。


 重傷だった怪我による衰弱から、今だになかなか回復できないでいる顔色の悪さよりも、ずっと青い顔だった。


 フレイウスは背筋に悪寒が走るのを覚えた。


 いやな予感に冷や汗がじっとりと浮き上がってくる。


 場所が傷病人しょうびょうにんのいる寝室だというのに、大きすぎる声が出てしまう。


「テオドリアスさま、スパルタと同盟されるのでしょう?!」


 テオドリアスのかわりにオレステスが答えた。


「アテナイは、スパルタとは同盟しない」


 息を飲んで養父を見、顔色を変えて抗議しようとしたフレイウスを、手を上げて制するオレステス。


「まず私の話を聞け、フレイウス」


 氷の剣士は懸命の自制心を発揮して、口をつぐんだ。


 オレステスがそんなフレイウスをじっと見据みすえて、言う。


「スパルタと同盟しないまず第一の理由は、アテナイ市民はテバイと同盟することを望んでいるからだ。


 宿敵スパルタとの同盟など、アテナイ市民は想像すらしていないだろう。


 調査するまでもなく、今回のいくさではテバイとの同盟に賛成する者が圧倒的多数だ。


 今度の民会で、テバイに同盟することが決議されるのは確実だ。

 

 アテナイは民主主義を実践しなくてはならない。


 今回のティリオンさまの件は、あくまで我々、氏族組織内部の問題であり、民主主義を行う市民の未熟さでは全くない」


「しかし、それではティリオンさまのお命が!」


「最後まで聞け!


 第二の理由は、その市民の意思が、今回のいくさにおいては正解である、といくさつかさどる我々も判断したからだ。


 だから我々は、議会の決議を動かす地下工作はしていない。


 弁論による誘導も用意しない。


 市民の決定のままに任せるつもりだ。


 ではなぜ、テバイに同盟する方が正しいのか?


 それは、このいくさでスパルタが負けるからだ。


 おそらくスパルタは、この敗戦によって滅亡寸前まで追い込まれるだろう。


 我々アテナイは、そんなスパルタと運命を共にするわけにはいかない」


「なっ!!」


 愕然がくぜんとするフレイウス。それは彼の予想と反していた。


 フレイウスは、スパルタの黄金獅子きんじしクレオンブロトス王の指揮力とスパルタ戦士の戦闘力を、高く評価していたのである。


「信じられません!


 確かにテバイの『神聖隊しんせいたい』は強い。


 スパルタが負ける可能性が全くない、とは思いませんが……


 しかし、それほどの確信をもって、それも滅亡寸前までとは、どういう根拠でそのようなことをおっしゃるのですか?」

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