露見 3

「ああ、済まない、道に迷ってな」


 大男カーギルはのっそりと歩いて、男のすぐ前に立った。


 腰に手をあてて見下ろし、顔を近づけて睨みつける。


「わぁーるかったなぁぁ」


「い、いえ、いえ、いいいっ、いあああああ……」


 男の抱えていた巻き書物が、ばらばらと全部下に落ち、ころころと転がっていく。


 カーギルは凶暴そうに、にやりと笑った。


 怯えて、弓なりに背中をそらせた男にのしかかるような姿勢のまま、親指で背後の運動場を指して、問う。


「さっき、あそこで子供に剣の訓練をしていたのは、誰だ?」


「そそそそそ、れれれれれ……」


「あんまり見事な手並みだったのでな。


 あの男の名前くらい、教えてくれよ」


「こここここ、ままままま、りりりりりり……」


 カーギルは、男の胸ぐらを片手でつかんで、ひょいと持ち上げた。


 あっさりと男の足が宙に浮き、きいぃぃぃ、とねずみのような悲鳴があがる。


「教えてくれよ」


 ささやくように脅すと、怯えきった男は催眠術にかかったように頷いた。


「誰だ? あの男は」


「フフフフフ、フレイ、フレイウス……」


「フレイウス、というのか。


 凄い男だな。大した剣の腕だ。


 それじゃ、子供はなんていうんだ?」


「そそそ、それ、それは、それは、かかかかかんべんして……」


「言えないってのか」


「はははは、はい、ははい」


「どうしてだ」


「いいいい、いや、そそその」


「ちょっと教えろよ」


「だだだただ、だめ、だめです」


 実はカーギルは、美貌ではあっても子供のほうにはそれほど関心がなかった。


 剣の達人の男の名をきいたついでに、軽く尋ねたまでだった。


 だが、この弱々しい男が、勇気をふりしぼってこれほど懸命に隠したがることに、かえって猛然と好奇心をかきたてられてしまった。


 腕を振って体をがたがた揺すってやる。


 紙のように白くなって、男はもう気絶しそうだった。


「おまえに聞いたってことは誰にもいわない。


 さあ、言ってしまえ!


 あの子供の名前は、何というんだ?」


「だだだ、だめ、だめ、いえない、おおおお、おゆる、し……」


 カーギルは大きく息を吸い込んだ。


 男の耳に口を寄せる。


「言えといってるだろうがぁっ!!!!」


 耳元で凄まじく怒鳴られて、男は思わず、口走った。


「ティリオンさまっ!」


「ティリオン?」


 男名を言われて、カーギルは一瞬、きょとんとした。


 どうやらさっきの子供は、女の子ではないらしい。


 そして自分のうかつさに、はたと思い至った。


 ここは、アテナイ・ストラデゴスの館だ。


 その館の最奥にいて剣を習っている子供といえば、それはアテナイ・ストラデゴスの子供に決まっているではないか。


 その子供の教育関係者らしいこの貧弱男が、突然の闖入者ちんにゅうしゃに危険を感じ、名前を隠したがるのも無理はない。


「ふーんなるほど、わかった。


 あれがアテナイ・ストラデゴスの息子か。


 綺麗な子供だな」


 カーギルは手を離した。


 男は、どさり、と下に落ちて尻餅をついた。


「邪魔したな」


 軽く言って去ろうとしたカーギルに、悲鳴のような男の声がかかった。


「待ってくださいっ!」


 振り返ったカーギルに、よつんばいになって涙をぼろぼろとこぼしながら、貧弱男は叫んだ。


「おおお、お願い、お願いです。


 ティリオンさまを、ティリオンさまを連れていかないで!!」


「?」


「ままま、まだ、ご幼少なのです。


 どどど、どうか、どうか、お許しををっ!」


「幼少? それほどでもあるまい。子供ではあるがな」


「そんな!


 わわわ、我々アテナイには、かか、金でよいというスパルタとの、おお、お約束のはずです!」


 土下座どげざをする男の言葉の意味に、カーギルはやっと気づいた。


 この男は、カーギルが人質をとりにここへ来たと思っているのだ。


 アテナイ・ストラデゴスの息子を、人質にとりに来たと……


 カーギルの頭に、コリントスから連れて来られた人質の少女の顔が浮かんだ。


 カーギルは舌打ちして言った。


「俺は、本当に道に迷っただけだ。余計な心配はしなくていい」


「あっ、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます――っ!!」


 床に頭をこすりつける男をそのままに、カーギルは歩きだした。


 もと来た道をたどるカーギルは、行きとは違って、館の柱や彫刻の陰から、鋭い視線が浴びせられてくるのを感じた。


 (何もせず、ちゃんと帰るかどうか監視されている。


 たぶん、さっきの黒髪の男が、見張れ、と指示を出したんだろう。


 確か、フレイウスとか言うんだったな。

 

 アテナイ人にしておくのは惜しい男だ。


 スパルタ人なら、一番に俺の隊にれるのにな。


 それと、アテナイ・ストラデゴスの息子、ティリオンか……)


 カーギルは、剣の達人フレイウスの印象的なあおの目と、走り去るフレイウスに不思議そうな顔でしがみついていた銀髪緑眼ぎんぱつりょくがんの美しい子供ティリオンとを、交互に思い返しながら、クレオンブロトスのもとへ戻っていった。

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