露見 2

「なにいっ!!」


 デルポイへ行軍中、一時休息のためのテントの中で、クレオンブロトス王は簡易机を叩いて立ち上がっていた。


「それはまことかっ、カーギル!」


「はい、間違いありません。


 あれは、アテナイ・ストラデゴスの息子です」


 絶句し、机の前に立つカーギルの険しい顔をしばらく呆然と見つめた後、クレオンブロトスは、どさり、と倒れこむように椅子に腰を下ろした。


「信じられん……まさか……」


「はい、私も、まさか、という先入観せんにゅうかんがありましたので、なかなか思い出せませんでした。


 しかし、やっとさっき思い出しました。


 6年、いや、7年前、アテナイ視察のお供をした折、私はあの美しい子供と、あおい目の黒髪の男を見たのです」


 カーギルは語り始めた。



                 ◆◆◆



 その日、アルクメオン家の館を訪れた19歳のクレオンブロトス王とアテナイ・ストラデゴスの会談は、当初の予定時間をとうに過ぎても終わらなかった。


 (アテナイ人などとこんなに長く、一体何を話すことがあるのか。


 クレオンブロトスさまも物好ものずきなことだ)


 アテナイ人嫌いのカーギルは、苦々しく思いながら会談の終わるのを待っていた。


 昼になっても会談は終わらず、クレオンブロトスがアテナイ・ストラデゴスと昼食まで一緒にとることになったと聞かされ、カーギルはあきれ、心配した。


 (クレオンブロトスさまが、アテナイ人から悪い影響を受けなければいいが)


 そこでカーギルは、この際、自分でもアテナイ人を観察してやろう、と思い立った。


 交代で昼食をとる時間になったので、指定された場所へ昼食にいくかわりに、小振りの城のようなアルクメオン家の館をぶらぶら歩いた。


 急に決まったスパルタ王とアテナイ・ストラデゴスの昼食会で多忙のせいか、運よくカーギルは誰にもとがめられなかった。


 もちろん、戦闘のプロであるスパルタ人の、敵地潜入術てきちせんにゅうじゅつもさりげなく使ったのだったが……


 やがてカーギルは、館の一番奥近くまで入り込んでいた。


 かすかに聞こえてきた木剣の音にカーギルは気を引かれ、そちらへ向かって進んだ。


 すると、円柱の廊下に面した運動場のような庭があって、剣の訓練をうけている子供の姿が見えてきた。


 これさいわいと、円柱の陰に隠れてカーギルは訓練を観察し、驚いた。


 まず第一に、銀髪の子供に訓練をつけている、黒髪の若い男。


 自分と同年くらいのその男の剣さばきは、子供を相手に手加減しているのを少し見ただけでも、並大抵なみたいていの腕ではなかった。


 (アテナイ人でも、これほどの剣技けんぎの持ち主がいるとは!


 私やクレオンブロトスさまでも、この男と立ち合えば危ない。


 これはあなどれんぞ)


 訓練をつけられている10歳ぐらいの銀髪の子供のほうも、いい動きをしていた。


 将来が期待できそうな剣筋である。


 次にカーギルが驚いたのは、隠れたカーギルの位置からは背中しか見えなかった子供が、師の木剣をよける時に身軽な動きでくるりと宙を舞い、位置を変えて降り立って、顔をみせた時だった。


 (女の子だったのか!)


 その子供の美貌は、人の美醜にあまり関心をもたない性格のカーギルにも、十分に衝撃的なほどの美しさだった。


 てっきり女の子だと思い込んだカーギルは、唸った。


 (うーむ、女子を戦士とするのはスパルタだけかと思ったが、アテナイも真似をしはじめたらしい。


 これもクレオンブロトスさまに報告せねば)


「こっ、ここは部外者は立ち入り禁止ですっ!


 あ、あなたは誰ですかっ?!」


 急に後ろで怒鳴られて、訓練を夢中で見ていたカーギルは、しまった! と思いながら振り向いた。


 巻き書物を大量に両脇に抱えた若い男が、青い顔でぶるぶると体を震わせて立っていた。


 木剣の音が、ぴたりと止まった。


 はっとして運動場を見ると、訓練をしていた黒髪の男が銀髪の子供を抱いて、凄い速さで走り去る所だった。


 男と美貌の子供の姿は、反対側の建物の中にすぐ消えた。


「だ、だ、誰の許しを得て、こ、こ、こんなところ、ま、で」


 巻き書物を抱えた男が、細い首に筋を浮かせて言う。


 ぼさぼさに乱れたくすんだ色の金髪の、出っ歯で小柄で、いかにもひ弱そうなごく若い男だった。


 スパルタで生まれたら、真っ先にタイゲトス山に捨てられて、絶対に存在しないような奴だった。


 男の細い体は、カーギルが片手で軽くつまんで天高く放り投げれば、今からでも存在しなくなるのは確実だった。


 そして、カーギルを必死でとがめようとしているものの、この男が怯えきっているのは明らかだった。

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