幕の内側 5

 ざわっ……


 初めて幕の内側から現れた人物に、食堂中がざわめいた。


 かたそうな黒髪に赤いバンダナを巻き、スパルタ士官の軍鎧をつけた青年に、皆の注目が集まる。


 注目のまと、クラディウスは声を張り上げた。


「そこで、何をもめているのか!」


 舞台から降り、食堂中の視線を浴びながらクラディウスが歩む。


「敏感な楽士どのが、気が散って琴がひけんと言われておる。


 何事か?!」


 フレイウスと向かい合っていたスパルタ男たちが、おどおどと後ろへ下がる。


 スパルタ男たちが下がった空間に進み出る、クラディウス。


 クラディウスの濃い灰色の目と、座ったままのフレイウスの蒼色あおいろの目が、食堂のテーブルをはさんで真正面からぶつかり合う。


「失礼、他国のお客人。


 私どもの兵が、何か無礼を致したのでは?」


 そう言ってクラディウスは、意識的に右側に首をかしげて、微笑んだ。


 (ティリオンは、何もしなくても気づく、と言ったが、これくらいはしておこう。


 飾り紐の出来が、良すぎたからな。


 しかし本当にこいつ、飾り紐で気づくのか?)


 クラディウスの右肩には、革鎧の上のマントを留めている金具から、美しい飾り紐が幾重いくえかの輪になって下がっていた。


 朱と緑に染めた革紐と、絹のような光沢をもつ銀の糸が、複雑に組み合わさって織られている、とても美しい飾り紐が。


 一瞬、大きく目を見開いたフレイウスは、椅子から立ち上がると同時にテーブルに飛び乗り、次の瞬間、向こう側に飛び降りていた。


 はっとして後ろへ飛び退すさり、剣の柄に手をかけ、体を低くして構えるクラディウス。


 その前に立ち、両手のひらを向けて害意がいいのないことを示し、フレイウスが早口で言う。


「待たれよ!


 急に失礼した。私は何もしない!


 ただその……その、あなたの肩の飾り紐を見せていただきたい」


「飾り紐だと?」


 かかった! と思いながらクラディウスは、戦闘の構えを解き、練習した演技でとぼけた。


 飾り紐に左手をあてて、尋ねる。


「この紐のことか? お客人」


「そうだ、それだ。


 はずしてよく見せてくれ」


 あわて気味に、右手を差し出すフレイウス。


 困った顔をしてみせる、クラディウス。


「わざわざ、お客人にお見せするほどのものではないと思うが」


「いや、ぜひ見たいのだ。見せてくれ!」


「しかし、これは……ちょっとな……」


「お願いだ、見せてくれ! 頼む!!」


「うーん……」


「どうか頼む、見せてくれ!」


「……仕方ない、それほどお客人が言われるなら」


 わざとゆっくり紐を外し、差し出された手の上にのせてやる。


 フレイウスの顔は蒼白だった。


 銀の飾り紐をのせた手も、確かめるようにそれを撫でる手も、小さく震えていた。


「こっ、これはやはり髪、……人の髪だな。


 これを……これをどこで手に入れたんだ?」


 クラディウスは苦笑いして頭をかいた。


「そうだ、髪だ。やっぱりわかってしまうかな?


 綺麗だったので、つい持ってきてしまったのだが……


 やはり、死人のものを取るなど、縁起えんぎの悪いことをしたかな」


「死人!!」


 殴られたようによろめく、フレイウス。


 クラディウスは、台本通りのセリフを話した。


「それは、山で死んでいた者の髪だ。


 多分、脱走奴隷が冬の間に凍えて、たれんだんだろう。


 体はすっかり山犬に食い荒らされて、骨になっていたんだが、残っていた銀の髪が美しかったので、拾ってきてに織ってもらい、飾り紐にしたんだ。


 だが、よく考えてみれば、たれにした死人の髪など縁起えんぎのいいものではないし、捨ててしまおうかと思っていたところだった。


 お客人にまで一目で見破られるようでは、いくら美しくてもやはりダメだな。


 後で捨てることにするよ」


 (どうだ、喜べ! おまえの仕事は終わったんだからな)


 そう思っていたクラディウスの予想と、フレイウスの反応は全く違っていた。


 フレイウス……アテナイの氷の剣士、とまで呼ばれる男が、がくり、と貧血を起こしたように両膝をついてしまったのである。


「「フレイウスさまっ!!」 」


 異口同音いくどうおんに叫んで、テーブルを回ってきた双子が駆け寄る。


 フレイウスと同様に、完全に血の気を失っている双子に両脇からかかえられても、フレイウスは立ち上がれないようだった。


 長い黒髪を流して首を垂れ、震える手で命綱のように、銀の飾り紐をしっかりと握りしめている。


 下手をすれば、このまま失神して床に倒れ込んでしまいかねない様子に、クラディウスは唖然としていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る