氷の剣士 5

 だがフレイウスは顔を上げた。


 背筋をのばして養父を見上げるあおの目には、すでに決意の色があった。


「いえ、父上、もう決心はつきました。


 そのお役目、引き受けさせていただきます」


 見下ろすオレステスの視線が、鋭くなる。


「まだ時間はあるぞ、そんなに早く決めていいのか?」


「はい」


「では、決心した理由を聞かせてもらおうか」


「はい。


 まず第一に、私は、このお役目を断る選択肢を与えてもらいました。


 しかし、ティリオンさまにはそれすらない。


 ご自分のお役目を拒むことができない。


 そんなティリオンさまを、私は放っておけないと思ったからです」


「同情か?」


「同情です。


 だが、情とは心の動き。


 命令されて出来ることを超える、とは、そういう心情を持って、自ら望んでおそばにつくことなのではないですか? 


 アルクメオンの血によって虐待され、アルクメオンの血によって否応いやおうなく課せられる、重く厳しい責務。


 そんなティリオンさまを放っておけない、と私は思い、おちからになりたいと、おそばにつきたいと望みます。


 第二に、父上と将軍たちが私を選んでくださった、ということは、私にティリオンさまの『第一の近臣』となる実際的な能力がある、または見込まれる、と判断されたということ。


 ならば、この役目を引き受けても実際に大丈夫だろう、と考えました。


 それから最後に……」


 言いよどむフレイウス。


 オレステスが穏やかな声で、先を促す。


「それから最後に?」


 フレイウスは少しだけ頬を染めて、答えた。


「最後に……というか、本当はこれが最初に、なのかもしれませんが……


 ティリオンさまのお名前を父上から初めてお聞きしたとき、大きな喜びのような、不思議な強い感動を覚えたのです」


「ほう」


「父上は、私とティリオンさまは温かく心を通い合わせることができるだろう、と。


 分かちがたい心の絆で結ばれ、お互いにかけがえのない存在となるだろう、とおっしゃいました。


 最初に感じた、あの大きな喜びのような強い感動は、ティリオンさまと私がそういう良い間柄あいだがらになれることの、しるしのような気がするのです。


 この出会いは、まさしく万に一つの幸運のように思えるのです。


 ただの勘といえば、勘なのですが……」 


 急に、オレステスが楽しそうに声を上げて笑い、フレイウスはびっくりして椅子の背もたれに背中をぶつけた。


 笑いながらオレステスが言う。


「ハハハハ、さすがだフレイウス。


 13歳でその思惟しい、見事だ。


 おまえの決心した理由はよくわかった。


 納得し承諾したよ。


 特におまえの勘は、素晴らしい。


 その勘を大切にするといい」


 そして、いたずらっぽくつけ加えた。


「実際にティリオンさまとお会いしたとき、おまえはもう一度、別の意味でも強い感動を味わうことが出来るだろう」


「別の意味で?」


「そうだ。そこはまあ、お会いしてからのお楽しみとしよう。


 どうだフレイウス、おまえがもう決心したというのなら、今からでもアルクメオン家と連絡をとって、ティリオンさまとお会いできるかどうか訊いてみてもいいが、どうする?」


「ぜひ、お願いします!」


「ではまず、こちらへ来い。


 そして私の前でひざまずけ」


 ふたりは応接セットから離れ、大理石の床に敷かれた絨毯の上でフレイウスがひざまずき、オレステスの前で頭を下げた。


 フレイウスの頭に右手を置き、張りのある声でオレステスが宣言する。


「アテナイ将軍ストラデゴイ、オレステス・アンティオキスが任命する。


 訓練生フレイウス・アンティオキス、おまえをアテナイ陸軍特務兵に任ずる。


 所属はアテナイ・ストラデゴス直属とする。


 職位の辞令と紐章ひもしょうは後日、追って渡す。


 了解したか?」


「了解しました。ありがとうございます」


「よし、顔をあげろ」


 オレステスは上半身を屈め、今度は顔を上げたフレイウスのあごの下に、軽く手をあてた。


「私の目をしっかり見ろ、フレイウス」


 オレステスの目を覗き込んだフレイウスは、その奥に、凄まじい意志の力を読み取り、それが自分の内にも激流となって流れ込むのを感じた。

 

 おごそかなオレステスの声。


「フレイウス、おまえは次世代の氏族長しぞくちょうティリオンさまを、あらゆる危険からまもってゆかねばならない。


 それはとりもなおさず、次世代のアテナイそのものをまもってゆくことだ。


 フレイウス、おまえの全てを捧げてティリオンさまにおつかえし、任務をまっとうせよ!


 誓え!!」


 そして、口にされた誓い。


「はい! 私は、私の全てを捧げてティリオンさまにおつかえし、必ずティリオンさまをおまもりします!」


 フレイウスという男の行く道が、この時、決まったのである。

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