氷の剣士 4

「それは……一刻も早くお助けせねばならなかったのでは?」


 と、危惧きぐの表情でフレイウス。


 眉間に深く皺を刻む、オレステス。


「もちろんテオドリアスさまは、ティリオンさまを引き取ろうとなさった。


 だが、何度交渉しても、いくら頼んでも、エレクテイス家当主は決して渡そうとせず、虐待を続けたんだ。


 そしてついに、悲惨な事件がいくつか起こってしまった。


 遠くに使いに出され、帰りが遅くなったティリオンさまが、ならず者らに拉致され、金を奪われた上に暴行されかかるという事件。


 タラッサさまが、ティリオンさまをまもるため、夫であるエレクテイス当主を殺害するという事件。


 それからテオドリアスさまが……」 


 すさまじい話の内容に驚愕しているフレイウスの前で、青ざめ、胸に片手をあててうつむき、言葉をとぎらせるオレステス。


「大丈夫ですか、父上?!」


 腰を浮かせたフレイウスを、オレステスがもう片方の手を上げて、とどめる。


「大丈夫だ……体が悪いわけではない。


 だが少し、待ってくれ」


「……はい」


 フレイウスは浮かせた腰を戻した。が、心配して養父を見つめた。


 『アテナイの論理頭脳』と密かに呼ばれ、様々な難問を鮮やかに解決してきた明哲めいてつな養父が、こんな様子を見せるのは初めてだった。


 しばらく間があって、少し顔色を取り戻し、膝に手を戻したオレステスが言う。


「すまない。


 その時の事件のうちのいくつかは、まだ、話せない。


 いつか……時がくれば話そう。


 ともかく、エレクテイスの当主は死に、タラッサさまも……亡くなった。


 そしてティリオンさまが、エレクテイス家の当主となられた。


 ただ、ティリオンさまも、むごい虐待と恐ろしい事件のせいで、心と体に深い傷を負い、長く死線を彷徨さまよわれるような状態だった。


 今はなんとか回復してきてはおられるが、まだまだ心身ともに不安定なことはいなめない。


 おそばにつく者は、対応に十分な注意と配慮が必要だ。


 特に母ぎみのお話は禁句きんくだ。


 母ぎみが亡くなっていることは、ティリオンさまには伏せてある。


 そのあたりの事情は、おまえがこの役目を引き受けるかどうか決めてからの、あとの話になる」


「わかりました」


 悲劇的な過去を持つティリオンの『第一の近臣』という特別な立場になり、まもり、つかえ、教える役目を引き受けた場合の大変さ、責任重大さをかみしめるフレイウス。


 それを察して、オレステスが穏やかな声で言う。


「最初にも言ったが、私は今、おまえの父、として話している。


 だからこれは、将軍ストラデゴイとしての命令ではない。


 なぜなら『第一の近臣』の役割は、命令されて出来るようなことを超えるからだ。


 おまえという人間の全てを捧げることを、求められるようになるからだ。


 まだ、選択権はおまえにある。


 おまえは、好きな方の道を選べる。


 おまえがこの役目を断っても、氏族組織内で不利不当ふりふとうに扱われることはない。


 軍学校を卒業して普通の軍人となり、しかるべき任務につくことになるだろう。


 だが、もしこの役目を引き受けることを決意して、ティリオンさまにお会いし、ティリオンさまがおまえを『第一の近臣』として受け入れられた場合は、おまえの意思では引き返せない道、と覚悟してほしい」


 フレイウスは苦笑にがわらいした。


「なるほど。


 ではもちろん、私が決意したとしても、後でティリオンさまに拒まれる場合もありえますね」


「それはありえる、だが……」


 オレステスの瞳が、深く優しい色を帯びる。


「おそらくティリオンさまは、おまえを気に入ってくださる、と私は思う。


 おまえと、温かく心を通い合わせることのできるかただと思う。


 ティリオンさまとおまえは、分かちがたい心の絆で結ばれ、お互いにかけがえのない存在となるだろう。


 苦労を共にし、幸せを分かち合い、ひとつの目的に向かって一緒に歩んでいける。


 人生でそういう相手を見つけられるのは、万に一つの幸運なのかもしれないぞ」


「父上……」


「ただ、ティリオンさまがアルクメオンの血を引いていることで、否応いやおうなく課せられる将来の責務は、重く、厳しい。


 当然、最も間近でおささえする『第一の近臣』も、重責と大任を負うことになる。


 私の経験から言っても、生半可なまはんかな覚悟や意志力では、とうてい務まらないのは間違いないのでな」


「………」


 オレステスの言葉をきいたあと、うつむいて黙って考え込むフレイウス。


 オレステスは、人生の大きな決断を迫られて、悩む13歳の息子をいたわるようにしばらく見ていたが、やがて立ち上がった。 


「こちらからの話は、以上だ。


 質問がなければ、私は席を外そう。


 おまえはここにいてもいいし、いつものおまえの部屋も泊まれる準備をさせてある。


 返事の期限は、明日の朝までだ。


 聞きたいことがあれば、私は書斎にいる。


 今日一日、ゆっくり考えるといい」

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