氷の剣士 2

 不審気なフレイウスに、オレステスはわずかに微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。


「おまえも知ってのとおり、私には多くの養子こどもたちがいる。


 ゼウクシス、パトロクロス、マイアン、ビアス、ギルフィ、アルヴィ、などなどだ。


 そしておまえもその一人だ」


「はい、父上」


「アテナイの他の将軍ストラデゴイたちも、これと見込んで育てた多くの養子こどもたちを持っている。


 皆、これからの氏族組織の重要な役割を担っていく、有望な若者たちだ」


「はい、父上」


「有望な養子こどもたちは多くいるが、私と将軍たちは、おまえがその中で最高だ、と考えた。


 だからおまえを選び、私が今日、ここに呼んだ」


「父上!」


 フレイウスは驚き、頬を赤らめた。


 予想だにしなかった最上級の褒め言葉に、13歳の彼は非常に動揺した。


「そのような……


 私など、戦場の死体の山の中で泣いていた赤子を、父上が掘り出して助けてくださった、というどこの誰の子かもわからない素性すじょうです。


 ギリシャ人であるかどうかすら、わかりません。


 本来なら最下級の奴隷として扱われても、仕方ないはずの私を……」


「やめろ、私はおまえの口から、そんなことを聞きたいのではない」


 穏やかに、しかし厳しく制されて、フレイウスは、はっと口をつぐんだ。


 確固たる養父の言葉。


「おまえは私の息子。


 私の息子は、全員ギリシャのアテナイ人だ。


 私は、他の者とおまえをへだてした覚えはない。


 どこでそんな話をきいたのかは知らないが、二度とそのことは言うな」


「はい! 父上」


 引け目を断ち切った、歯切れのいい返事。


 肉体のみならず、精神的にも訓練を受けている精悍せいかんな体から、動揺がぬぐい去られていく。


 オレステスは満足して頷いた。


「それでいい。


 そこでおまえをはじめ、氏族組織で育った養子こどもたちは、この私たちと同様、これから氏族組織のあるじお仕えし、力を合わせてこのアテナイを守っていく役割がある。


 おまえも知っての通り、我々は、アルクメオン家を中心とし、長期的な目的を持つ複数氏族の組織である。


 その目的とは、かつてアテナイの黄金時代を築き上げた、かの英雄ペリクレス・アルクメオンさまが言いのこされ、我々に伝えられている言葉どおりだ。


 言えるな、フレイウス」


 フレイウスは頷いた。


「はい。


『アテナイは民主主義を実践じっせんしなければならない。


 だが、死をまぬがれないひとりの指導者以上の、つちかわれ、継続された君主の元で、一致団結して外敵と戦わねば、もはやアテナイは生き残れない。


 ゆえにアテナイの君主となる者は、民主主義を実践じっせんするアテナイの民衆を尊重しつつも、その未熟さや試行錯誤しこうさくごを十分に承知せよ。


 そして、それらゆえの混沌こんとんおちいって国の危機となれば、秩序をもたらし、アテナイをまもって未来へ継いでいかねばならない』」


 一瞬大きく笑み、頷き返すオレステス。


「そのとおりだ。


 我々はその言葉を継ぎ、努力を重ねてきた。


 それがとりもなおさず、ペリクレスさまという、あまりに偉大な指導者を疫病えきびょうで失い、後を埋められるだけの後継者ないまま、ペロポネソス戦争でスパルタに大敗し、大打撃を受けたアテナイを立て直す唯一の方法だったからだ」


 ひとつ息をつき、真剣な表情でオレステスが続ける。


「しかし、これは口で言うほど簡単なことではない。難しい課題だ。


 アテナイ市民は総じて知能は高めだが、個性が強い。


 アテナイ独特の自由な気風きふうの中、てんでんばらばらに考え行動する。


 創造力は高いが、個人主義でわがまま、まとまりがない。


 正直いって非常に扱いにくい市民だ。


 だが、ギリシャ文化、芸術のみなもとともなったその資質を殺してしまっては、元も子もない。


 かといって、そんな個人主義の市民のやり方にただ任せ、行き過ぎた愚政ぐせいを放任するわけにもいかない。


 奇抜きばつではあるが非常識な法律をいくつも作ったり、朝令暮改ちょうれいぼかいを繰り返していては、国力はどんどん衰え、他国に攻め入られるすきとなる。


 特に軍事においては、以前のように、戦いが始まってからも長々と会議をしていたり、敵の目の前で司令官の地位をまだ争っているようでは、今度こそ本当にアテナイは滅亡してしまう。


 アルクメオン家当主とそれにつかえる氏族組織の役割は、民主主義という自由な風を絶やすことなく、このようなアテナイ市民を守って、外敵と戦い、アテナイの未来をつなげていくことだ。


 では、おまえたちのおつかえする大切なあるじのお名前は知っているな」


「はい、テオドリアス・アルクメオンさまです。私は……」


 13歳のフレイウスの声が、澄みやかに響き渡る。


「私は、テオドリアスさまと父上に、生涯の忠誠を誓っております!」

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