テバイ使節団 3

 エパミノンダスの大きい目は、異様なまでにぎらぎらと光っていた。


「ギリシャの頂点に立つのは、俺たちだ、テバイだ!


 テバイがギリシャの覇者になってからでないと、平和にはさせられない!


 そのためには何としても、スパルタの黄金獅子きんじしを倒さねばならない。


 ただし、頭のいい黄金獅子きんじしを倒すチャンスは、たった一度だけだ。


 一度で、奴はこっちの内情をすべて見通す。


 そして、次はこっちがやられる。


 二度目はない。


 『神聖隊しんせいたい』と私の編み出した新戦法の『斜線陣しゃせんじん』は、強い。


 勝てる見込みはある。


 だが、チャンスは一度しかないのだから、慎重には慎重を期さなければならない。


 そこで私はスパルタに、虫、を捜しにきたという訳だ」


「虫? なんだそれは」


 とペロピダス。


 エパミノンダスの目が、ずる賢そうに細められる。


「そう、虫、だ。


 獅子身中しししんちゅうの、虫、ということだ。


 どの世界にも必ず一匹はいるはずだ。


 虫、は小さくてもいい。この私が大きく育ててやるからな。


 甘い言葉で大きく育てて、内と外から一挙に獅子を攻撃する。


 ふふふふふ、この平和会議で、俺たちをスパルタに呼び込んだのが奴の運のつきだ。


 なまじ頭が良かったのも、運が悪かった。


 ただの筋肉馬鹿なら、もっと長生きできたものを。


 スパルタに来て、いよいよ私の計画は完璧に近付いているんだ。


 この私の素晴らしい計画が、ハハハハハハハハハハハハ!!」


 大きく口を開けて哄笑こうしょうする親友エパミノンダスを、ペロピダスはしばらく気味悪そうに眺めていたが、やがて肩をすくめた。


「まあ、やっぱりそういうことはおまえに任せるとしよう。


 おまえが作戦を練り、下ごしらえをし、俺がいくさで指揮して、勝つ。


 それでいままで、ずっとうまくやってこれたんだからな」


 ペロピダスの馬の鼻の先を、黄色い蝶がひらひらと舞っていった。


 それを追って右前方の小さな森にふと、視線をやったペロピダスは、木々の間にきらきらと光るものを見つけ、何だろう、と目をこらした。


 間もなくそれは、見事な金髪の少女の頭であることが分かった。


 膝上までの短いキトン【ギリシャ衣装の一種】を着、小さな籠をたすきにかけている。


 少女の動きは俊敏な小動物のようだった。


 軽やかに茂みを飛び越え、地に伏せ、素早い動きで木のまわりをくるっとまわる。


 何かを探しているようだ。


 躍動やくどうする若い四肢。ピンク色の健康そうな肌。


 ちらりと見えたかわいらしい横顔。


「なんと、なんとかわいい……俺好みだ!」


 ペロピダスの頭から湯気が上がるのを見て、エパミノンダスも首をのばす。


「なんだ、ガキじゃないか」


 つまらなそうに言う親友の横で、ペロピダスの目はすでにハート型になり、森を駆け回る少女の一挙一動を追い続ける。


「子鹿のようだ、子りすのようだ、子猫のようだ、子鳥のようだ、子魚のようだ。


 あああああ、かわいい、かわいい、かわいいっ!


 いきがよくてぴちぴちしてる、抱きしめたい!」


「そういやおまえは……」


 エパミノンダスが鼻に皺を寄せる。


「いつも変にはねっ返りの、じゃじゃ馬娘が好みだったな」


「かわいい! かわいい! かわいい! かわいい! かわいい!  かわいい――――っ!」


「だが、いくら好みでもスパルタの女はやめとけよ。


 奴らは女でも戦士だ。


 スパルタ式に訓練して、鍛えられてる。


 下手をしたら、あっという間に首を飛ばされるぞ」


 親友の言葉の全く聞こえていないペロピダスは、大きく武者震むしゃぶるいして宣言した。


「決めたっ! あの娘を俺の嫁さんにする。


 テバイに連れて帰るぞ!


 いやー、スパルタに来られてよかった。


 あんな可愛いのがいるなんて、俺はホントに幸運だ。


 では、今から口説くどきにいってくる。


 あと、よろしくな」


「おいっ、ちょっとまて!


 おまえは俺たちの警護を放っていく、っていうのか。


 おまえは警護隊長だろうがっ、こら、こらっ!」


 止める間もあらばこそ、森へ向かって突進してゆくペロピダス。


 その後ろ姿を見ながら、エパミノンダスは口を歪めて呟いた。


「ちっ、男が相手にせよ、女が相手にせよ、非常識で見境みさかいのないのは兄弟そっくりだぜ」

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