子供たちの聖地 7

 それから後、ティリオンの頭に焼きつけられた広間の血まみれの光景と、その前に起こったならず者らによる拉致強奪と、暴行寸前の恐怖の体験の場面。


 ぼやけた見知らぬいくつもの風景が、交互に流れては、消えていった。


「困りました。お食事を全く……お口に入れても、噛まれないので……」


「……例のくだで流し込んでも、また全部吐いて……体が、何も受け付けない……」


「……水すら飲めなくなって……このままでは、衰弱死」


「……そんな……頼む、頼む、……何とかならないのか……」


「母親をずっと呼んで……しかし母親は、もう……」


「……生きようとしておられないのです、それで、反応がない…」


「……今度ばかりは打つ手がなく……あきらめていただくしか………」


「……だめだ……だめだ……死なせない!!」


 やがてティリオンは、意味のない、ではなく、何度も、何度も、繰り返し話しかけてくる、声、に気づいた。


 その、声、は『母』という大事な言葉を、繰り返し繰り返し、ずっと続けていたから、ではない、とやっと気づいたのだ。


 それはおじさんの、声、だった。


 やせ細って瀕死ひんしのティリオンを、ベッドの上で横抱きにし、緑色の瞳に尋常ではない強い光を宿した、おじさん、は言った。


「母に会わせてやる、ティリオン!


 母に会わせてやるぞ!


 ティリオン、おまえの母さまのことだ、わかるか? 


 おまえは母に会いたいのだろう? 母に会いたいのだな? 


 ならば、私の言うことをよく聞くんだ。


 私の言うことを聞けば、おまえの呼び続けている母に会わせてやる。


 わかるな?  母さまに会えるんだぞ。


 約束する、母に会わせてやるから、私の声を聞け!


 そして、言われたとおりにするんだ」


 口に押し当てられる木の感触と、生ぬるい液体の感触。


「これを飲め! 飲まないと母さまに会えないぞ。


 母さまに会いたかったら、飲むんだ!


 ほら、飲む。飲むんだ、口を開けて……


 よし、いいぞ! 飲んだ!


 ……よかった……よかっ……うっ……う……


 ……さあ、もっと飲むんだ。もっと飲む。


 必ず、母に会わせてやるから、飲んでくれ……」




「ああ、だんだん良くなってきたな、ティリオン。


 ひとりで立てるのか?! 凄いな!


 言いつけを守って、よくがんばったんだな。


 いい子だ、いい子だ。 おまえはいい子だよ。


 もっとがんばれば、母に会わせてやる。


 そうだ、必ず会わせてやる。


 だからがんばれ、ティリオン」




「ティリオン、聞いてくれ……あれは……不幸な事故だった。


 酒に酔ったエレクテイス家の当主は、転んで……


 自分で……自分を刺したのだ。


 だが、死んだのはおまえの父ではない。


 おまえの本当の父は、この私なんだ。


 ティリオン、私を信じろ。本当の父であるこの私を、信じろ。


 おまえは私の息子。これからは私を、父と呼ぶんだ」




「わかっている。


 母に会わせる、というあの約束は、忘れてはいない。


 だが、おまえの母は……難しい……病気なのだ。


 病気が良くなれば、いつか会える。


 いい子にしていれば、会えるぞ。


 ほら、母さまからのお手紙だ。


 おまえを、励ましてくれている。


 だから、私やオレステス将軍や、教えてくれる皆の言う事をよく聞いて、いい子にしていなさい。


 フレイウスとは仲良くしているか? そうか、それは良かった。


 おまえを守ってくれる彼から、決して離れるんじゃないぞ」




「医学アカデミーに行きたい?


 しかしおまえは、このアルクメオン家の跡取りなのだから、そのような……


 何? 母の病気を自分が治すつもりのなのか。


 ……おまえは優しい子だ、ティリオン。


 わかった。おまえがそれほど望むなら、医学アカデミーに通うことを許そう。


 だが、アルクメオン家の跡取りとしての、勉学や訓練も怠ってはならない。


 でなければ母には……母には……会わせられない。


 いいな……」




「ああ、ティリオン、おまえがずっと待っているのはわかっている。


 私のいいつけを守って、勉学でも、武術でも、芸術でも、優秀な成績を修めているのも知っている。


 だが……まだ……まだ、駄目なんだ。


 まだ母には会えない。


 そのかわり、近いうちに手紙が届くはずだ。


 いつものように、近臣の誰かが渡してくれるだろう。


 もうしばらく辛抱しなさい」




「だから、今日のところは私の言うことをきいて……」




「また手紙が届くはずだから、それで我慢して……」




「だから、もうしばらく辛抱して……」




「ティリオン、まて! 私の話を聞いてくれ……


 ぎゃああああ――――っ!!!!」


 白い部屋に舞い散る、手紙の束。


 祝宴の衣装に返り血を浴びて、18歳のティリオンは、血刀をにぎりしめて立っている。


 血だまりに倒れているのは、エレクテイス家の父ではなく、 緑の瞳のアテナイ・ストラデゴス。


 さしのべられている、震える血まみれの手。


「許してくれ……ティリオン。


 本当は隠したくはなかった……だが、おまえを愛していたから、隠さなければならなかった。


 私は……おまえを失いたくなかったのだ」


 悲鳴するようにティリオンが叫ぶ。


「今さら、たわ言を言うなっ!!


 母に会わせるなどと言って、おまえは……おまえたちはみんな、ずっと私を騙し続けてきた。


 11年間も!  こんな、こんなにせの手紙まで使って……


 絶対に許せない!」


「すまない……すまない、どうかこの父を許して……」


「父だと?!


 おまえなど私の父ではない!


 私の父はおまえが殺したんだ!


 6歳のあの時、私は見た。


 おまえが血のついた短剣を持って、エレクテイス家当主だった父のそばに屈みこんでいたのを。


 そして私が6歳のときに、すでに母は自殺していたのに、嘘をつき、母が生きているかのように装って、私を騙し続けた。


 私を利用して、エレクテイス家の財産横領を目論もくろんだからだ!」


「違う……違う……おまえを利用するなど、そんなことはしてない……


 そ、それに、本当におまえの父は、この私……」


「黙れっ! 私は、おまえなど父親とは認めない、決して認めないぞっ!!


 アテナイ・ストラデゴスっ、おまえは私の父のかたき、母のかたきだ!!」


「ティリオン……信じてくれ……


 おまえを愛している……おまえまで失いたくなかっ……た」


「やめろ――――――――――――っ!!!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る