子供たちの聖地 2

 きき返してすぐ、アフロディアが、彼が平和会議で竪琴を弾くことになってしまった件をきいているのだとティリオンは気づいた。


 沈んだ声で言う。


「仕方ありません。顔が見えないよう、幕の後ろでひくつもりです」


「そうだな。音だけで顔が見えないんだったら、誰だか分からないだろう」


「ええ、アテナイ使節団の者だけなら、おそらく分からないと思います。


 でも……」


 ティリオンの声がさらに沈む。


「でも、使節団についてくる警護兵の指揮官が、もし私の考えている男だとすれば、私の琴の音だとすぐに分かってしまうでしょう」


 アフロディアは、木の根元に腰を下ろした。


 爪を噛みながら、言う。


「琴の音だけで分かるとは、そいつは、おまえのことをよく知っている奴なんだな」


「はい。指揮官が、その男だとすればですが」


 アフロディアの隣に座りながら、ティリオンはあおの目の男のことを考えた。


 (フレイウスは来るだろうか? 


 多分来る……いや、絶対に来る。


 堂々とスパルタに入れる、こんな絶好の機会はないからな)


 ティリオンと同様に考え込みながら、アフロディアがきく。


「そいつは、おまえが琴をひいていると分かったらどうするだろう?」


「踏み込んで、捕らえようとするでしょう」


「そんなことは出来ない。


 スパルタ兵がおまえを警護しているからな。


 そうだ、当日は、クラディウスにおまえの身辺警護の指揮をさせよう。


 もちろん私もおまえのそばについている。


 これなら大丈夫だろう?」


「そうですね……ありがとうございます」


 礼を言ったものの、ティリオンは、それから先のことを懸念せずにはいられなかった。


 それは平和会議で琴をひくことになってから、すでに何度も頭でたどった経緯ではあったが。


 (その場で捕らえられなくても、私がスパルタ王宮にいることがわかれば、フレイウスは後でどんな手を使ってくるか知れない。


 ましてや平和会議が成功すれば、私の身柄の引渡しをスパルタに正式に要求できる。


 私の犯した罪が何かを知れば、クレオンブロトス王とて引渡しを拒まないだろう)


 そんなティリオンの心の跡を追うかのように、アフロディアが言う。


「そいつは、それであきらめて手を引くだろうか?」


「多分、それくらいではだめでしょう。


 後で、他の手をうってくると思います。


 ここに来る前も、私は何ヶ月も、あちこち必死で逃げ回りましたが、奴はあきらめる様子は全くありませんでしたから。


 そうして序々に追い詰められ、最後にスパルタに逃げ込んだ時は、まさしく間一髪でした」


「かなりしつこい男なんだな」


「フフッ、まあ、そうも言えるかもしれません。


 しかし、私の罪の重さを考えれば、しつこく追われても当然なのです」


 寒い表情で両膝をかかえたティリオンの腕に、アフロディアの手がそっと置かれる。


「なあティリオン。その罪とやらは、罰金を払うか何かして許してもらえないのか?」


「だめです」


「そう言わずに……何とか金で解決をつける方法をもう一度考えてみてはどうだ。


 おまえが本当に自由になるためには、それが一番だと思う。


 とはいっても、私には金はないが。兄上さまに頼めば、かなりの額がそろえられると思う。


 たとえ普通の賠償金の倍、いや十倍くらいの金だって、私が兄上さまに頼めばなんとかなるから」


 ティリオンは、激しく首を振った。


「だめです、だめなんです! 


 私のやった事は、金なんかでは解決できません!!」


 膝に顎をのせ、彼は、森の奥の暗闇にじっと目を据えた。


「姫さまのお気持ちは、ありがたく思っています。


 だかこれは、本当に金で解決できる問題ではない。 


 自分でもわかってはいるのです。


 唯一の解決法は、私が死ぬこと。


 アテナイ側に捕らわれて処刑されるか、自ら命を絶つか。


 だまされた悔しさと、簡単には殺されてはやらないぞ、という意地だけで、逃げて生き延びてきたけれど、もう限界かもしれない。


 もともと私は、生まれてきてはいけなかったのだから……


 私が生まれたことで皆が不幸になった。


 だからもう……何もかも終わりにしてしまえば……この苦しみもなくなる」


 いつもは穏やかで知性にあふれたティリオンの瞳に、狂気に似た光がともっている。


 それはアフロディアの背筋に冷たいものを走らせた。


 まるで、タイゲトス山の赤子の泣き声のように。


 アフロディアはティリオンを揺すった。


「ばかな事を言うな!


 この私が、決しておまえを死なせたりするものか!


 おまえはきっと私が守ってやる。


 だからティリオン、何がそんなにおまえを苦しめているのか話してくれ。


 アテナイで、一体何があったんだ?」


 答えず、黙って膝の間に顔を埋める、ティリオン。


「頼む、ティル。この私にだけは何があったか言ってくれ。


 私はおまえを助けたいんだ!」


 アフロディアの必死の言葉も、もうティリオンの耳には届いていなかった。


 彼の心は、最大の悲劇が怒涛どとうのように押し寄せてきた、6歳の恐怖の日に戻っていた。

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