第十一章 子供たちの聖地

子供たちの聖地 1

 残雪もそろそろ消えかけた頃、アフロディア、クラディウス、ティリオンの3人は、スパルタ市の西にある、タイゲトス山のふもとまで出掛けた。


 クレオンブロトス王に頼まれた、アゲシラオス王の薬を調合する薬草を探すためである。


 木々の枝には、そろそろ芽ぶきの兆候があるとはいえ、風はまだ冷たい。


 たれこめる曇天の暗さもあってか、薬草はなかなか見つからなかった。


 それでも馬に乗った3人は、道々の草を注意深く探しながら、進んでいった。


 と、前方に、巨大な木柵の門と、細かな文字を刻んだ石碑のようなものが見えてきた。


 はっとして、アフロディアとクラディウスが顔を見合わせる。


 ふたりは素早く馬首を返して、最後尾さいこうびのティリオンの馬の前に立ちふさがった。


「いかん、夢中になって少し来すぎた。


 戻るぞ。ここから先は、立ち入り禁止だ」


 そう言ったアフロディアの言葉よりも、そのこわばった表情に驚いて、ティリオンが尋ねる。


「どうしたのです? あれは何ですか、姫」


 言いにくそうなアフロディアにかわって、クラディウスが静かに答えた。


「ここから先は、死者の国。


 生きることを許されなかった、子供たちの聖地、だから」


 ティリオンはぎく、として、黒々とそびえ立つタイゲトス山を仰いだ。


 (そうか、あの恐ろしい話は本当だったのか。


 スパルタ人は、体の弱い子供をタイゲトス山に捨てるという……)


 のちの世に、スパルタ教育という名でよく知られる、スパルタ・ポリス。


 スパルタでは、生まれた子供は個人のものではなく、総て国家のものとなる。


 少年たちはわずか7歳で親元を離れ、集団生活に入る。


 そこで、国家の監督と指導のもとに基礎教育を受けるのだが、特に、戦闘のプロを育てるという目的で施される肉体訓練は、非人間的なほど厳しい内容だった。


 たとえ健康な子供でも、訓練中に命を落とすことが少なくなかった。


 そのためスパルタ人は、新生児の選別を行ったのである。


 最初から訓練に耐えられそうにない、虚弱児、すなわち、将来スパルタ戦士になれる見込みのない赤子を、タイゲトス山に捨てたのだ。


 タイゲトス山を抜けてくる風は、ひょうひょうと鳴っている。


 その中に、かなしげな赤ん坊の泣き声が混じっているような気がして、ティリオンはぞっと肌を粟立あわだたせた。


「さ、戻るぞ」


 アフロディアに促され、小さく頷いたティリオンが馬首を回す。


 弱く生まれ、捨てられて、おそらくはけものにでも食われたであろう子供たちのことを思い、3人は息を殺すような沈黙のまま、しばらく馬を歩ませた。


 道を戻りはじめて間もなく、アフロディアが明るさを意識した声を出し、指さした。


「あっ、あの森の中はまだ見てないぞ。


 あそこで探してみたらどうだろう」


「そうですね、あそこはまだ見てない」


 と、ティリオン。


「よーし行こう。


 今度こそ絶対、私が一番に、薬草を見つけてやるぞ!」


 アフロディアが息まき、クラディウスがいたずらっぽく言う。


「でも姫さま、きれいな木の実ばかり好んで拾われていたのでは、薬ではなく、首飾りくらいにしかなりませんよ」


「何を言うか。


 首飾りにする前に、大食おおぐらいのおまえがほとんど食べてしまうから、もうコマにするくらいしか残っていないんだぞ」


 ひとしきり笑いあってから3人は、一度通りすぎた小さな森で薬草を探すことにした。


 道端の木に馬を繋いで、森閑しんかんとした木々の間に入る。


「この絵と、同じ形の葉をした草を見つければいいんだな、ティル」


 ティリオンが紙に描いた草の絵を指して、クラディウスがきいた。


「ええ。でも時期が早いので、あるかどうかわかりません。


 あったとしてもごく小さい芽のようで、落ち葉に隠れて見つけにくいと思います」


「まあやってみるさ。お互い、がんばろうぜ」


 ティリオンの肩をぽん、とひとつたたいて、クラディウスが探しはじめる。


 アフロディアはもう探しはじめていて、少し離れたところできょろきょろしていた。


 ティリオンも身を屈め、落ち葉を軽く払った。


 冬眠から目覚めたばかりらしい虫が、あわてて逃げていった。


 静かな森の中に、3人の落ち葉を踏む音だけが、こそり、こそり、と響く。


 木の根元を念入りに調べていたティリオンは、急に背中をつつかれて、ぎょっとして振り向いた。


 アフロディアが、口に一本指を立て、片目をつむっていた。


 彼女は首をのばして、クラディウスが遠くにいるのを確認すると、ささっと体を寄せてきた。


 そしてささやいた。


「どうするつもりだ、ティリオン?」


「え?」

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