クレオンブロトス王 8

 豪華な長椅子の上の、巨大なクッションにもたれかかり、両腕にスケスケの薄物をまとった側女そばめを抱え、スパルタ将軍フォイビダスはご機嫌だった。


「うははははははは。もっと寄れ、ちこう寄れ。


 おまえたちの可愛い顔をこの将軍さまに、いや、次期スパルタ王によく見せねばいかんぞ」


「キャッ、フォイビダスさまったら、王さまになられるのね。す・て・き」


「いやん、そんなとこ触って、くすぐったいわん」


「ん? くすぐったいとな。どこが、どこがだ?


 ここかな? ここかな?」


「きゃはははははっ、フォイビダスさまったら、えっち!」


「んーっ。こうしてやるぅ、えいえいっ」


「うひょひょひょひょ、もっとやって、もっと」


 嬌声きょうせいをあげる厚化粧の女たちに、赤くなったわし鼻の下を、でれーんとのばす。


 彼の鼻が赤いのは、スパルタ禁制の酒の杯を傾けているためである。


 目の前の大きなテーブルの上には、肉、魚、果物、菓子と、山海の珍味がこぼれ落ちんばかりに山盛りである。


 薄絹のカーテンの張りめぐらされた部屋は、女たちのきつい香料と、食物の匂いがこもってむんむんとしていた。


 こうしてすっかり酔っぱらっていた彼は、外の騒ぎがほんの間近になるまで、気づかずに女たちとたわむれ続けていたのである。


 荒々しい足音と必死の制止の声が、だんだん近づいてきていた。


「お待ちください! お待ちください!」


「お願いでございますっ。今すぐ、すぐにこちらに呼んでまいりますから、どうかお待ちを、うわわっ」


 フォイビダスは首をのばし、ろれつの怪しくなった声で怒鳴った。


「なにぃしてるっ、うるさいぞぉっ!」


 一瞬、廊下の喧噪けんそうが静まる。


 そののち、前にも増して激しく争う音と悲鳴。


 みるみる迫る足音。


「どうか、どうかお気をお静めくださいっ!!」


「お願いでございます。お待ちください、王、王っ!」


 酒杯をあおろうとしたフォイビダスの手が、止まった。


 酔いに濁った目が、まんまるになった。


「おう、だ、と?」


 桃色の薄絹のカーテンが、引き裂く勢いで開けられた。


 肩までの黄金の髪を揺らし、なぜか左手に水差しを持った、簡素な青の長衣のクレオンブロトス王が、大型獣のようにのっそりと入ってきた。


 にやり、と牙をむいて一言。


「よう将軍、夜分にお邪魔するぞ」


 やにわに鋭い動きで、王は、まだ自分の腰にしがみついていたフォイビダスの衛兵の顔に、ひじうちを叩き込んだ。


 折れた歯と鼻血を吹きながら、後方にぶっ飛び、気絶する衛兵。


「今のが、最後まで一番根性のあった奴だ。


 後でめてやれ」


 そう言って、フォイビダスの両側にはべる女たちを、じろり、と見る。


 女たちは驚くほどの素早さで逃げていった。


 酔いが一気に覚めて、顔色が赤青まだらになっているフォイビダスに近づき、クレオンブロトスは、贅沢な食物の満載された低いテーブルに、のっし、と革のサンダルの片足を掛けた。


「こいつが、きさまの夕食か?」


 完全にうろたえ、怯えて、がくがくと頷くフォイビダス。


 クレオンブロトスは、テーブルの上を眺め回した。


「そうか。たくさんあるな。


 まあ食欲のあるのはいいことだ。


 だが量はともかく、この内容は気にくわん。


 質実剛健しつじつごうけんむねとする、わがスパルタの国策にはっ!」


 がらがらがっしゃ―――――ん!!!


 恐るべき脚力で、食物の大雪崩おおなだれとともにテーブルが蹴倒された。


「あわんからな」


 静かに言葉をしめて、倒れたテーブルを無造作に足で押しのけ、さらにフォイビダスに接近する。


 フォイビダスの歯は、かたかたと鳴っていた。


 柔らかいクッションに、これ以上はできないというほど背を押しつけている。


 フォイビダスの目の前に立ったクレオンブロトスの右手が、つい、と伸びて、フォイビダスの硬直した指が持ったままだった酒杯を、奪った。


「こいつは、酒だな」


 顔の前で一度、酒杯をまるく揺らしてから、真っ直ぐに腕をのばして、フォイビダスの頭上で杯を傾ける。


 一筋の流れとなって酒が、フォイビダスの薄くなった茶色の頭に落ち、額、頬、顎、首、そして体へと伝っていく。


 嵐の前の遠雷えんらいを思わせる声。


「一国の将軍ともあろう者が、自分の国で何が禁止されているか、知らんわけではあるまい?」

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