クレオンブロトス王 5

 クラディウスが今日、謁見を願い出たのは、兄カーギルの件についてクレオンブロトス王に礼を言うためと、もうひとつ、アフロディア姫の事だった。


 もちろんあの、アテナイ人の男との。

 

 兄カーギルの事件ともあいまって、彼は、アフロディアの身が心配でたまらなくなった。


 あの怪しげなアテナイ人の男がまだいるかどうかは分からなかったが、もしいるとすれば、アフロディアの身に危害を加えるかもしれない。


 ついに彼は、奴隷村での一件を、クレオンブロトス王に打ちあけようと来たのだった。


 けれど、「アテナイ人のことを喋ったら、一生、口をきいてやらないからな!」というアフロディアの脅し文句が、クラディウスをまだ、ためらわせていたのである。


 何か言いたそうで言えず、うずうずしているクラディウスを、不審そうに見るクレオンブロトス。


 そして王の目が、別のものをとらえた。


「おお、アフロディアか、よく来た!


 おまえもちょっとここへ来なさい」


 開け放たれていた扉からアフロディアが、警戒する子猫のように顔だけをのぞかせていた。


 振り向き、久しぶりのアフロディアを見て、クラディウスの顔が輝く。


 しかしアフロディアの方は、クラディウスの姿を目にして、しまった!  という表情になった。


「兄上、お忙しいのなら、私はまた今度にします」


「いやかまわん。


 ちょうど一仕事ひとしごと 終わったところだ。


 話があるので、おまえを呼びにやろうかと思っていたところだ」


「でも、クラディウスが」


「クラディウスとの話は、おまえにも関係があることなのだ。


 いいからここに来なさい」


 おまえにも関係がある話、と言われて、アフロディアの顔が険しくなった。


 びくっ、と身を固くしたクラディウスを睨みつける。


 さっ、と金色の頭がひっこんだ。


 そのまま外で、ひそひそと誰かと話しているような声。


「何をやっているんだ、あいつは」


 あきれたように肩をすくめる、クレオンブロトス。


 クラディウスはいやな予感がした。


 やがて、いやな予感は的中した。


 威嚇いかくするように胸を張って入ってきたアフロディアの後ろに、キタラ【竪琴の一種】を抱えた、あのアテナイ人の男がついてきたのだ。

 

 クラディウスは目を見張った。


 男はもう、以前の哀れな痩せっぽちではなかった。


 すらりと背の高い、見事なまでに均整のとれた体。


 決して逞しいという雰囲気ではないが、うす緑の上質の長衣に包まれたりんとした姿に、無駄のない筋肉質の体つきがうかがえる。


 青白くこけていた頬も美しい輪郭を取り戻し、それを縁取るつややかな銀髪の流れが、高貴な美貌にさらに輝きを加えている。


 礼儀正しく慎み深い態度で、さらりと王前にひざまずいた動きは、この上なく優雅。


 まさしく、うるわしい天人が地に舞い降りた、という感であった。


 息をのんで見つめるクラディウスの後ろで、クレオンブロトス王も思わず、いずまいをただしていた。


 彼もまた、突如とつじょとして現れた、世にもまれなる美貌の青年に瞠目どうもくし、唖然としていた。


 そんな二人に、アフロディアはちょっと得意そうに言った。


「兄上、こちらはキプロス島出身の、旅の楽士どのだ」


「キプロス島? 旅の楽士?」

 

 問いなおすクレオンブロトス王の声は、常になく高かった。


 アフロディアは一気にまくし立てた。


「そう、楽士どのだ。


 このところ、外へ出られなくて退屈していたら、乳母うばやの知り合いが気晴らしにと連れてきてくれたのだ。


 で、この楽士どのの奏でる楽の音が、それはそれは、それはもう最高に素晴らしいのだ。


 そこで、ここはひとつ、兄上にもお聴かせしようと思って連れてきた。


 お忙しい兄上も、この楽の音を聴けばきっと心安らぎ、お疲れもとれるのではないかと思う。


 ぜひぜひ、聴いていただきたい」


「それはまた、よく気のつくことで、ありがたいが……」


 目を白黒させる兄王の様子は、いつもならば、いたずら好きのアフロディアを何より喜ばせたに違いなかった。


 が、今の彼女には喜んでいる暇はない。


 たたみかけるように言う。


「では聴いてくださるのだな、兄上、今すぐ」


「ああ、聴きするが、仕事があるので……」


「さっき、ちょうど一仕事ひとしごと終わったところだ、とおっしゃいましたな、兄上」


「え? あー、そうだったか?」


 とまどうクレオンブロトスの目が、凍りついたように立ちつくすクラディウスを見た。


 それから、銀の頭を低くしてひざまずく、美しい楽士。


 期待と緊張をみなぎらせて立つ、アフロディアへと移った。


 王は吐息をついて、椅子の背にもたれかかった。


「急な事で、何が何だかよくわからんが。


 まあいいだろう。聴こう。


 ただし、あまり長くならないようにしてくれ」


 アフロディアは飛び上がって喜んだ。


「ありがとうございます、兄上!


 さ、ティル、兄上におまえの楽の音をお聴かせせよ」


 美貌の楽士は一礼すると、長い服の裾をきれいにさばいて、胡坐あぐらをかいて座り込んだ。


 キタラを構える楽士の隣に、そそくさと、アフロディアも膝をかかえて座った。


 たえなる調べが、楽士の白い手からこぼれ始めた。

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