クレオンブロトス王 4

 謁見の許可が下り、クレオンブロトス王の執務室へ通されても、クラディウスはそのままかなり長い時間を待たされた。


 王に裁可を求める大量の書類や手紙で、雑然としている執務室。


 執務机のクレオンブロトス王のまわりには、三人の執務官がとりまき、あれこれと指示を与える王に頷いたり、質問をしたりしている。


 やがて、ひとり、ふたり、と執務官は部屋から出ていき、しかし小声で話す最後の一人が、非常に長かった。


 部屋の入り口近くの隅にある、小机の横で待つクラディウスの耳に、ぼそぼそとした言葉の断片が入ってくる。


「………まだアテナイからは……全く……」


 アテナイ、と言う言葉に、クラディウスは、ぴくりと耳をそばだてた。


「……奇妙な動きが……、わからな……は……着き次第、どこでもすぐ……」


 やっと最後のひとりが出ていった。


 手招きされてクラディウスは、クレオンブロトス王の机の前に立った。


 クラディウスの簡単な挨拶が済むと、王の方が先に言い出した。


「ちょうどよかった。


 おまえを呼ぼうと思っていたところだったのだ、クラディウス」


 王は、机の上に山積みされている書類の束を脇へ押しやろうとし、書類の山が崩れそうになって、あわてて押さえた。


 書類の山を直すのを手伝うクラディウスに、微笑みかける。


「はは……どこも人手が足りなくてな。


 カーギルにも早く戻ってもらわねば、忙しくてかなわん」


 クラディウスの表情が、かげる。


「兄があんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」


「まあ仕方ないさ。


 カーギルでなくとも、スポドリアスの奴は、私が直接、叩き切ってやりたいくらいだったからな。


 カーギルに面会には行ったか?」


「はい、でも、口もきいてくれません」


「また例の、だんまり岩になってるのか?


 弟が心配してるのに、しょうのない奴だな。


 後で私から、よく言っておこう」


 クラディウスは姿勢をただし、緊張した声で言った。


「クレオンブロトスさま、兄は……兄は助かるでしょうか?


 ちゃんと戻ってこれるでしょうか?」


 クレオンブロトスは力強く頷いた。


「裁判は、私にまかせておけ。


 カーギルの無罪は、必ず勝ち取ってみせる。


 もともと、本当に無罪なのだからな。心配するな」


「クレオンブロトスさま、我ら兄弟は、何と言って感謝すればいいのかわかりません。


 本来、臣下たる我々が、クレオンブロトスさまをお助けせねばならぬはずでありますのに、逆にいつも、いつも助けていただいて……」


 うつむいて、筋肉の盛り上がった肩を震わせ始めたクラディウスを、クレオンブロトスが軽くにらむ。


「おいこら。こんなことでスパルタ戦士が涙を見せるな」


「……はい」


「これくらいのこと、気にせずともよい。


 おまえたちは十分、私の力になってくれている。


 ただクラディウス、おまえは変に繊細せんさいで、気の優しすぎるところがある。


 スパルタ戦士なら、もっと堂々と図太く、厚かましいくらいでいいんだ。


 泣いたりなんかするな」


「はいっ、すみません」


 クラディウスが目をしばたいて、光るものを振り払う。


 それを確認してから、クレオンブロトスは言い出した。


「ところで、おまえに頼みがあるのだが」


「はっ、何でしょう」


「アフロディアの事だ」


 その名を聞いて、思わず頬を赤らめるクラディウス。


 クレオンブロトスは机に右手で頬杖をつき、おや? という顔になって、頬の染まったクラディウスを見上げた。


 それから「ほう、そうか」とごく小さく声をあげ、微笑んだ。


 ちょっぴり面白がるような口調で、王が話す。


「実はな、もう三日も外へ出してやっていない。


 おまえは承知しているだろうが、色々と用心すべき状況だったのでな。


 だが、このままずっと王宮に閉じ込めておくわけにもいくまい。


 そこでおまえに、遊び相手、兼、護衛として、そばに付いてやってほしいのだ」


 アフロディア姫に会える! そばにいられる!


 心中にわきあがる喜びと同時に、もうひとつの事にも気づいて、クラディウスの顔は引きつった。


 やはり王は、何もご存知ない。


 三日どころか、姫さまは、一ヶ月以上もずっと王宮から出てきてらっしゃらないのですよ!


 あの活発な姫さまがですよ!


 と、叫び出したくなる気持ちを抑える。


 硬い表情で視線をそらしたクラディウスに、クレオンブロトスの顔も曇る。


「どうした、クラディウス、いやか?」


「あ、いえ、そんなことはないんですが……」


「ああ、この前の事がこたえているんだな。 あの時は急ですまなかった。


 あいつめ、怒って暴れまくっていたからな。


 だが今回は、ちゃんとある程度は事情を説明して、アフロディアを納得させるつもりだ。


 だから、前ほどは手こずらんと思うが」


「いえ、違うんです。そうではなく」


 クラディウスは、ももの前で両手を強く握り合わせた。

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