クレオンブロトス王 2

 ほとんど事故ともいえるこの事件を、フォイビダスが徹底的に利用しようとしていることを知り、クレオンブロトスはきしるような声で言った。


「それならば、私は正式な裁判を要求する。


 正確で、綿密な調査をふまえた上で、のな!」


「結構ですとも、アギスの王よ。


 私も、調査には協力します」


 と、フォイビダス。


 クレオンブロトスは片手を差し出した。


「ようし、いいだろう。


 ではとりあえず、カーギル近衛隊長を返してもらいたい。


 裁判までこちらで監禁する」


 スポドリアスに重傷を負わせたカーギルは、フォイビダス麾下きかの兵に取り押さえられ、エウリュポン王宮の地下牢に入れられていた。


 フォイビダスは楽しむように首を振った。


「残念ですが、それはできません」


「なにっ?!」


「こんなことは申し上げにくいのですが…」


 大仰おおぎょうに眉を下げるフォイビダス。


「加害者カーギルとクレオンブロトスさまは、幼い頃よりの竹馬の友。


 万が一、情に流されるような事があっては、と」


 クレオンブロトスの顔が、みるみる憤怒ふんぬに染まる。


 こぶしをきつく握りしめ、王は怒鳴った。


「きさまっ、臣下の分際で、王たるこの私が信用できんと……私がカーギルを逃がす、とでもいうのか!!」


 ここで下手をすれば、不敬罪で手打てうちにされかねないため、さすがに青ざめながらフォイビダスが言う。


「そ、そこまでは申しておりません。


 ただ、正確な調査に協力しようとしているだけです。


 で、調査にはやはり、加害者への厳しい尋問が必要です。


 それで、竹馬の友として、厳しい尋問を間近に見るのはおつらいのではないかと、アゲシラオスさまの格別のご配慮でして。


 そうでございますよね? アゲシラオスさま。


 アゲシラオスさま?


 あ! ちょっと起きてください、アゲシラオスさま、もし!」


 やまいの老王アゲシラオスは、なんと居眠りをしていた。


 フォイビダスに横から揺すぶられて黄色く濁った目をあけ、ぼんやりとあたりを見回す。


「んん? ああ、なんだ?


 なんだ? 何事だ?


 ああ……そうじゃ、そうじゃ、そうとも」


 玉座からずり落ちそうになり、もぞもぞと座り直す。


 そして何度か頷く。


「なんだか知らんが、フォイビダスの言うとおりじゃ。


 まちがいない」


 アゲシラオス王のあまりに腑抜ふぬけた様子に、フォイビダスは動揺して、何か悟られはしないかとクレオンブロトス王をうかがうように見た。


 だが実は、クレオンブロトス王の方も、フォイビダス以上に激しく動揺していた。


 (これほどアゲシラオス王の衰えがひどいとは……知らなかった!


 最近はずっとせっておられる、とのことだったが、これほどとは思っていなかった。


 どうりで、これではフォイビダスの思うがままになるはずだ。


 私はだった。


 かつては英明王えいめいおうアゲシラオスとうたわれたほどの、立派なおかたであったのに)


 顎に手を軽くあて、クレオンブロトスは考え込んだ。


 (落ちつかなければ。


 アゲシラオスさまの衰えや病の件は、後日、ゆっくり考えればいい。


 今はカーギルを取り戻すことだけを考えるんだ。


 フォイビダスの奴は、裁判までカーギルを生かしておくつもりなど、ないからな)


 フォイビダスが尋問に名を借りた拷問で、カーギルを殺すつもりであることは明白だった。


 今さらながら証拠として、あの夜のスポドリアス配下の二人の刺客しかくの死体を、持ちかえれなかったことが悔やまれた。


 もちろん、アテナイ海軍との戦闘のさなか、死体まで積み込む余裕はとてもなかったのだが。


 考え込んだあと、ややあってクレオンブロトスは薄く笑った。


「よしわかった、フォイビダス将軍。


 アゲシラオスさまの格別のご配慮とあらば、お断りするわけにはいかない。


 おまえにカーギルの尋問をまかせよう」


 急にあっさりと言われて、フォイビダスは目をまるくした。


「はあ、ではそのように」


「ただし、そのかわりに……」


 両手を腰にあて、不気味に微笑むクレオンブロトス王。


「私は、切られた被害者、診療所にいるスポドリアスの事情聴取を受け持たせてもらうぞ。


 おまえも、傷を負って寝ている自分の部下に、正確な事を厳しく尋問するのはつらいだろうからな。


 これはアギス王たる私の、格別の配慮である!


 まあ、おもしろい話をたくさんきいておいてやるから、心配するな」

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