第八章 クレオンブロトス王

クレオンブロトス王 1

 そもそもの事件の起こりは、スパルタ軍艦に火をつけ、補給船で逃げ帰っていたスポドリアス中隊長とカーギル近衛隊長が、道でばったり出くわしてしまったことだった。


 分捕ぶんどった慣れぬアテナイ艦で、分捕ぶんどった時に壊したかいかじの修理。


  食糧不足や見境みさかいなく襲ってくる海賊などなど。


 苦労に苦労を重ね、やっとスパルタに帰った途端、その裏切りの張本人に道で出会ってしまったのだから、カーギルが怒髪天どはつてんをついたのも無理からぬことではあった。


 一方、自分の策略が成功し、クレオンブロトスたちはもう戻らないものと、のほほんとしていたスポドリアスは、あごが外れるほど驚愕し泡を食って逃げだした。


 なりふりかまわぬふたりの凄まじい追逃走劇は、無数の物的被害と、多くのけんかと負傷者と、部隊どうしのこぜりあいまで引き起こした。


 スパルタの街中がひっくり返るような大騒ぎにまで発展してしまったのだ。


 クレオンブロトス王が、長く留守にして心配していた愛妹アフロディアの元へ様子を見に行った、その間に起こってしまった出来事だった。


 スパルタ・エウリュポン王宮、謁見えっけんの間。


 規則的に並ぶ太い大理石の柱の、美しく冷たい広い空間。


 玉座は、中央奥の段上に据えられ、そこに王冠をかぶって座ったアゲシラオス王。


 王は、病で痩せ衰えた体を少しでも大きく見せるため、金糸と銀糸をふんだんに織り込んだ分厚い贅沢ぜいたくな衣装に埋まっていた。


 その右横に、顔で立つのは、エウリュポン王族紋章のついた革鎧を着た、わし鼻のフォイビダス将軍。


 玉座の段下には、玉座までの通路に沿って一列に、紫服しふくの5人の監督官エフォロイ立会人たちあいにんとして並ぶ。


 監督官エフォロイとは、前6世紀のなかばにスパルタで生じたものである。


 いくさに忙しい王たちが、不在の場合の行政の代行者として、特に法の判決を下す代行者としての務めをした。


 その数は5人。


 時がたつにつれ監督官エフォロイは、特権的な強い権力を持つようになってくる。


 監督官エフォロイは、王の法的行状ほうてきぎょうじょうを監督したり、二王家間で争議などが起こった場合、立会人たちあいにんとして同席し、意見を述べたり、事によっては審判を下すまでになっていたのだ。


 今回は、二王家間で争議が起こった場合、に該当した。


 その審判を下す、5人の監督官エフォロイの前。


 年長の王に敬意を表して、玉座の段下に立つ25歳の若いクレオンブロトス王に、72歳の老王アゲシラオスはあくびまじりの、いかにも気のない声で言った。


「帰国したとたん、祖国の平安を乱す騒ぎを引き起こし、何の罪もない士官を追い回して切りつけたカーギルの所業は、軍規に照らし合わせるまでもなく有罪だ。


 ましてや被害者スポドリアス中隊長は、海戦の経験に乏しいそなたのために、フォイビダス将軍が好意でこたびの作戦に参加させた者。


 その中隊長に切りつけるなど、恩をあだで返すもはなはだしい。


 いくらそなたの片腕と頼む男であっても、今度ばかりは、カーギルの実刑は避けられん」


 厳しい内容とは裏腹うらはらに、老王の口調は、あらかじめフォイビタス将軍によって作られた原稿を、ただ棒読みしている様子があからさまに見てとれた。

 

 分捕ぶんどり品の鎧から着替え、アギス王家の紋章入り革鎧とマント姿になっているクレオンブロトス王。


 玉座の段下にあっても、王者の貫禄かんろくに満ちた若い王が、答える。


「アゲシラオスさま、それはあまりの冤罪えんざいです。


 私の報告書にもあります通り、ピレウス港で斥候せっこうの報告を偽った上、味方の艦隊に火をつけて逃げたスポドリアスこそ、極刑きょっけいに値する重罪人。


 スパルタに帰還後の、カーギル近衛隊長の行動は、いささか軽率であったやもしれません。


 が、このたびの作戦で旗艦きかんを預かり、私の身の安全をもはからねばならなかった責任者として、裏切り者スポドリアスに対する怒りは当然のこと。


 その忠誠心をめこそすれ、罪に問うなどとは考えられぬことと存じます」


 スパルタの二つの王家の二人の王の言い分に、5人の監督官エフォロイたちが目配せを交わし合う。


 その5人の内3人までが、フォイビダス将軍によって買収されていることをクレオンブロトスは知っていた。


 玉座の横に立つフォイビダス将軍が、薄笑いを浮かべて口を出した。


「お言葉ですが、クレオンブロトスさま。


 私の調べたところによりますと、艦隊に火をつけたのは実はカーギルである、という報告があるのですが」


「なんだと?!」


「カーギルは自分で火をつけておいて、スポドリアス中隊長にその罪をなすりつけ、口をふさぐために切りつけたのだ、と証言する者がいるのです」


 ここで買収された監督官エフォロイのひとりが、わざとらしくぽん、と手を打つ。


「なるほど、そういうことも十分ありえますな」


 スパルタの黄金獅子きんじしクレオンブロトス王は、手を打った監督官エフォロイを、ぎろり、と横目で睨んだ。


 監督官エフォロイは真っ青になり、硬直した。


 二度と、口をはさむことはなさそうだった。


「フォイビダス、きさま、どこまで……」


 汚い奴なんだ、という後の言葉をクレオンブロトスはこらえた。


 今ここで、5人の監督官エフォロイの前でフォイビダスを罵倒することは、状況を不利にするばかりだった。


 後ろで手を組み、気取って立つフォイビダスは、嬉しそうに目を細めた。


「そのことが事実なら、カーギルこそ王と国家に対する許しがたい裏切り者。


 クレオンブロトスさまにはお気の毒ですが、死刑はまず、確実ですな」

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