それぞれの想い 7 *

 オレステスは、執務机の椅子に座った。


「さっきも言ったように、黄金獅子来襲事件きんじしらいしゅうじけんのせいで、議会は大荒れだ。


 やっと決議させた平和会議参加の、撤回を求める声も多く出ている。


 氏族組織の力を尽くして、反スパルタ派のおさえこみをしているから撤回だけはさせないが、とうてい平和使節団のメンバーを決められるような状態ではないのだ」


「そんな!」


「一般アテナイ市民も、襲ってきたスパルタの黄金獅子きんじしへの怒りに、まだ沸騰ふっとう状態だ。


 ほとぼりがさめるまでは、スパルタへの船便も出せない。


 強硬な反スパルタ過激派を刺激して、実力で妨害され、こちらが内戦になるような事態は避けなくてはならんからな。


 すなわち、平和会議の開催は、早くても来年の春になる」


 フレイウスは青ざめた。


「では、秋と冬の間中、捜索はできないということですか?


 その間ずっと放置しておくと?!」


「スパルタ領内に入れない以上、当然、陸の捜索はできない」


 暗い声で答える、オレステス。


 しかしすぐに彼は、執務机の引き出しから地図を取り出し、机上に広げた。


「ただ、海なら話は別だ。


 海なら何かと制限される事はないので、人数も動員できる。


 航海の季節が終わる前に……秋のうちにスパルタ領から海に出て、船で逃げるつもりなら、ラコニア半島を南に抜けるか、西のメッセニアの港に向かうだろう。


 東のアルゴスに行く可能性は薄いが、それでもテュレアあたりまでは警戒しておくべきだな」

 

 覗きこむフレイウスの前で、オレステスの指がスパルタ近辺の港を指していく。


「スパルタ領内に逃げ込まれた、というおまえの緊急早馬伝令が着いてから、すぐ、これらの港に偽装商船団ぎそうしょうせんだんを率いてあみを張らせに行かせた。


 パトロクロスとゼウクシスが、一番にすっ飛んでいったよ。


 スパルタは陸の国だ。あの近辺から人を乗せて運べそうな船の数も、たかが知れている。


 港に現れるか、海上に出てくれさえすれば、こちらのあみにかかって捕まえられる可能性は高い」


 フレイウスが左手を乞うように差しのべる。


「では、私にも船を与えてください。


 私も船であみを張りに行きます!」


「それは、だめだ」


 首を振る、オレステス。


「現状の詳しい説明をしたのは、こちらも打てるだけの手は打っている、ということをおまえに納得させるためだ。


 追跡の、長旅での疲労もさりながら、おまえにはもっと頭を冷やす時間が必要だ。


 自分でもわかっているだろう」


「………」


 黙って唇を噛む、フレイウス。


 オレステスが言う。


「だいたい、まだ海に出てくるとは限っていない。


 もし海で捕まえられなければ、春からまた、おまえが陸でも捜索をするんだ。


 それまでに気持ちを落ち着けて、休息を取っておけ。


 まずはそのひどい格好を、何とかしてほしいものだな。


 『アテナイの氷の剣士』と呼ばれる男に、そんな姿であちこちうろつかれては、むやみに人心不安をあおるもとになる」


「オレステス将軍……」


「この次、旅立つことになれば、平和使節団、というお荷物もある。


 十分英気を養っておかないと、事情を知らない平和使節団を引っ張って行くだけでも、結構大変だぞ」


「はい……わかりました」


 スパルタへとはやる心を押さえつけ、フレイウスは丁寧に羊皮紙をまるめなおした。


 そしてアテナイ軍将校である彼が、ティリオン捜索のため、スパルタ領内に正式に入れる貴重な書簡、平和会議へのアテナイ参加内諾書、をきちんと箱に仕舞った。



――――――――――――――――*



人物紹介(学問と芸術の盛んなアテナイポリスの人たち)


● フレイウス(25歳)……アテナイ軍の将校で、ティリオンを追っている。

 『アテナイの氷の剣士』と異名をとる剣の達人。


● オレステス将軍(50歳)……『アテナイの論理頭脳』と密かに呼ばれている、頭脳明晰な将軍。アテナイの10人の将軍のひとり。

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