それぞれの想い 3
さて、ため息の数を重ねているのはクラディウスばかりではなかった。
部屋にたった一つしかない、鉄格子のはまった小さな窓から外を見て、アテナイ人ティリオンもため息をついていた。
窓は小さく一つしかないが、ここはなかなか豪華な部屋である。
床にはふかふかのペルシャ
壁には、森林と動物たちを織った、重量感ある見事なタペストリー。
上等の綿が詰められた、ひとりで寝るには大きすぎるベッド。
足の部分に透かし彫りある、丸いテーブルと3つの椅子。大きな衣装棚。
採光の悪さをおぎなう背の高いランプ台が4つ。高級な調度品の数々。
おそらく、身分の高い人質か罪人、あるいは、王室にまつわる特別な事情のある人物を入れておくために造られた部屋であった。
スパルタ・アギス王宮の奥深く隠されたこの部屋で、ティリオンはアフロディア姫によって
ティリオンは焦っていた。太い格子の間から見える外の景色は、秋が刻一刻と深まってゆく様子を知らせている。
厳しい冬が来て、航海の季節が終わる前に、逃亡者ティリオンは、海を渡ってギリシャを離れたいと考えていたのだ。
しかし、矢傷による背中の痛みと微熱が、彼に計画の断念を迫っていた。
たとえここから脱走でき、港までたどり着いて、運良くどこかの船にもぐり込めたとしても、今はまだ長い航海に耐えられる体ではない、と。
こうしてティリオンもまた、ひたすらため息をついているしかなかったのである。
ぱたぱたと何かを取りに行く足音がして、少ししてから、扉の隙間が足先でひっかけて引かれ、次いで外側に向かって蹴られて、扉が全開した。
「あ、また起きだしているな。寝ていないとだめではないか」
食物をてんこ盛りにした大きな盆が喋った。
本当に喋ったのはもちろん、盆を持ってきたアフロディア姫である。
盆の上のものを落とさないようにそろそろと歩いて、彼女はテーブルに盆を置いた。
そして鉄格子の小窓のそばのティリオンに駆け寄ると、腕をひっぱった。
「ティリオン、まだ寝ていなくてはだめだと言ったろう」
「ツッ!」
「あ! すまぬ。痛めたか?」
傷口のひきつれる痛みに顔をしかめたティリオンから、あわてて手をはなすアフロディア。
「すまぬ、すまぬ、大丈夫か?
痛くさせるつもりではなかったのだ。すまぬ」
「大丈夫です。もう何ともありませんよ、姫さま」
アフロディアが開け放したままの扉から、優しそうな顔をした上品な年配の婦人が入ってきた。
婦人の持つ盆には、水差しと杯がのっていて、彼女はそれをテーブルの食物の横に置いた。
それから扉に戻って、内側から静かに閉め、そのままそこに立った。
アフロディアは今度は注意深く、そろっとティリオンの手をとった。
「さあ、腹が減ったであろう。
また私が食べさせてやるから、椅子に座れ」
「あの……」
ティリオンの
起き上がれるようになってここ数日、好意からとはいえ、大量の食物を無理やり詰め込まれるという
「一人で、食べられますから……」
「だめだ」
きっぱりと首を振る、アフロディア。
「おまえは自分でだと、ほんのちょっとしか食べない。
そんなことだと、いつまでたっても体が良くならないぞ。
さあ来い、食べさせてやる!」
姫ぎみの手をやんわりと外し、あとじさりながらティリオンは交渉した。
「では、ではせめて、量を減らしてもらえませんか?
あれの半分でも、私には多すぎるんです。せめて四分の一くらいにしてください。
そうしてもらえれば、なるべく全部食べるよう努力しますから」
アフロディアは、ふん、と鼻を鳴らした。
「何を言うか。
お前のその、よんぶんのいち、とかいうのは、ちょっとだけ、という意味なんだろう?
それじゃあだめだ。
スパルタの男どもは皆、あの盆ふたつは食べるぞ。
だからあんなに元気なのだ。
おまえも早く、元気になりたいだろう?」
「元気にはなりたいです。
しかし姫、どう考えてもあの量は、私には多すぎます」
「つべこべ言わずに、さっさと来い!
その
獲物をとらえるように両手をあげ、迫るアフロディア。
さらに後ろに下がりながら、
「姫、お願いです、お許し下さい。私は一度にあんなに食べられません」
「こら、逃げるな。私は、おまえのためを思って言ってるんだぞ」
「姫のお気持ちだけで十分です。お気持ちだけ頂きます」
「気持ちで腹がふくれるかっ。おとなしく私の言うこときけ」
「ご勘弁ください! 本当にあんなに食べられないのです」
「だから、私が食べさせてやる。元気にしてやる」
「そんな! お許しください、姫」
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