陰謀ピレウス港 5 *

 異常を察知すると同時に、枕元の剣をつかんだクレオンブロトスの目の前で、テントの入り口から黒い影が突っ込んできた。


「王っ、お覚悟!」


 一人目の刺客しかくの剣は、クレオンブロトスが素早く体を起こしたあとの寝台に、深く突き刺さり、二人目の刺客しかくの剣は、王が頭上に掲げた剣と、火花を散らして十字にかみ合った。


 剣をかみ合わせた刺客しかくの腹を蹴って、テントの隅まで飛ばす、クレオンブロトス王。


 そして、寝台に食い込んだ剣を、必死で抜こうとしている刺客しかくの腕を押さえておいて、一気に喉をかき切る。


 喉から血を吹き出して絶命する男をそのままに、蹴り飛ばした刺客しかくの方へクレオンブロトスが向き直った時、入口から黒い影がもうひとつ入ってきて、一閃いっせんのもとに蹴り飛ばされた刺客しかくの首を落とした。


「王っ、ご無事で?」


「何事だ? カーギル!」


 カーギルは、まだ油断なくあたりをうかがいながら、歯ぎしりして答えた。


「やられました。スポドリアスめ、軍船に火を放って、補給船で逃げました」


「なにいっ!!」


 テントの入り口に倒れて死んでいる衛兵の体をまたぎ越え、外に出た二人。


 二人の前には、浜に引き上げて置いてあったスパルタ艦が、激しく炎をあげて燃えさかり、夜の浜辺を赤々と照らしていた。



                 ◆◆◆



 夜がしらじらと明け染めてみると、艦隊の惨憺さんたんたるありさまは、目を覆うばかりだった。


 かろうじて航行できそうな艦は2隻だけで、もともと奇襲などするつもりのなかったクレオンブロトス王の、形ばかりに揃えた8隻の艦隊は、ただの焦げた木材と化してしまっていた。


 燃えかすの散らばる浜、苦渋の色を隠せずに立ちつくす王の足元で、カーギルが両手をついてひれ伏す。


「申し訳ありません。全て私の責任です。


 私の監視が、行き届かなかったばかりに……」


 潮風に黄金のたてがみをなびかせながら、クレオンブロトス王は静かに言った。


「いや、おまえのせいではない。


 昨夜の私の短気な言動が、奴を窮鼠きゅうそにしたのだ」


「王……」


「まさかここまではするまい、という油断もあった。


 まさしく、窮鼠猫きゅうそねこむ、という教訓を、実際に経験できたよ」


 黙ってうなだれるカーギルの背後から、徹夜の消火に疲れた兵士のかすれた叫びが上がった。


「アテナイ艦隊、約20隻、ピレウス港の方角より来ます!!」


 クレオンブロトス王の眉間のしわが、ぎゅっと深まる。


「やはり、来たか!」

 

(あれだけの大火だ。気がつかぬ方がおかしい。


 いよいよ我々が攻めてくるのだ、と思ったのだろう)


 最悪の事態、危機を前にして、クレオンブロトスとカーギルは自然に視線をかわしあった。


 主従関係のみならず、幼い時代を共有し、強い友情で結ばれているふたりの戦士の意思は、それだけで一瞬のうちに伝わり、合意に達していた。


 スパルタの黄金獅子きんじしクレオンブロトス王は、すらりと剣を抜き高く掲げた。


「よし、戦闘準備!


 燃えてしまった艦のかわりに、攻めてくる敵の艦を乗っ取る。


 全員ここで鎧を脱ぎ捨てて重量を減らし、使える2隻の艦を海に押し出せ。


 2隻に乗れるだけ乗るんだ。


 そして、テントもシーツも自分の服も、布という布を全部使って、艦内で長いロープを作れ。


 敵が接近してきたら合図するから、ロープを持って海に飛びこめ。


 それぞれに狙いをつける敵艦を、海中で指サインで指示する。


 息の続く限り潜水で忍び寄って、ロープをかじかいにからませて、航行不能にせよ。


 それから鉄鉤爪てつかぎづめを使って侵入し、白兵戦に持ち込むんだ。


 白兵戦にさえ持ち込めれば、へたれアテナイ人など、我々スパルタ人にはものの数ではないぞ!


 敵艦を制圧したら、敵の鎧と武器を奪って装備せよ。


 それから船べりに捕虜を並ばせて、盾がわりして脱出だ。


 わずかばかりの海戦術を鼻にかけるアテナイ海軍に、スパルタ戦士の本当の恐ろしさを、たっぷりと味あわせてやれっ!!」


「オオオオオ―――――――ッ!!!!」


 士気高く、大きくときの声を上げる兵士たちのなかにあって、クレオンブロトス王は胸中でただひとり、悲痛に叫んでいた。


 (ああ、平和会議への返事をもっと早くにくれてさえいれば、こんな事にはならなかっただろうものを! 


 なぜ? なぜ返事をよこさないのだ、アテナイ・ストラデゴスよ?!)



――――――――――――――――*



【※アテナイ・ストラデゴス とは、役職名です。都市国家アテナイの、10人の将軍たちを束ねる、将軍長のことです】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る