出会い 7

 村の家々の間をぬって、逃走するティリオン。


 痩せてぶかぶかになった長衣のすそ難儀なんぎしながら、わらを積んだ荷車をひとつ、ひらりと飛び越えた。


 ちら、と後ろをうかがうその目に、軽々と荷車を飛び越してくるアフロディア姫の姿が映る。


 (信じられん。なんてお転婆てんばだ! 本当にこれが王女か?)


 アテナイでは、上流階級の娘ほど家の外へ出ることさえまれで、厳重に監視され、おとなしくしとやかさ第一に育てられる。


 ティリオンは、たかが女と甘くみて、スパルタの姫ぎみに目つぶしをくわせなかったことを後悔した。


 小屋根を乗り越え、塀の割れ目をくぐり、誰かの家の中を走り抜け……


 白熱した障害物競争は続く。


 身軽さと駿足しゅんそくでは誰にも負けないつもりのティリオンだったが、どうやらスパルタの姫ぎみは、それにまさるともおとらぬ健脚けんきゃくの持ち主らしかった。


 これでもか、これでもか、と難しいコースを選んで走るティリオンに、ぴたりとついてくる。


 振り払うどころか、ティリオンのすその長いだぶだぶの着物も災いして、ふたりの間は徐々に縮まってきたようだった。


 (だめだ、このままでは追いつかれる!)


 一軒の納屋なやの壁に、ずらりと立てかけてある農具に目をつけたティリオンは、駆け抜けざま、それらをばらばらと倒し道にばらまいた。


「くそっ!」


 ののしり声を発しつつも、アフロディアが巧みによけて、なおも追いすがろうとするところへ、野菜を満載した大きなかごを投げつける。


 (これでどうだ!)


 期待に満ちたティリオンの前で、アフロディアの剣が抜かれてひらめき、かごと野菜がきれいに真っ二つに断ち割られた。


 ティリオンは、エメラルド色の目を見張った。


 (たいした腕前だ。とても女とは思えない……)


 驚きの表情のアテナイ人の前に立ち、アフロディアはにやり、と笑った。


「アテナイ人め。反乱者め。逃げられはせんぞ!」


「待ってください! 私は、反乱者などではありません!」


「嘘をつけ!」


 剣を大きく振りかぶり、スパルタ人はアテナイ人に襲いかかった。


 間一髪、それをかわしたティリオンが地面を転がり、落ちていた三又みつまたすきをつかんで、くるりと起き上がる。


 アフロディアの鋭い第二撃が、すぐに飛ぶ。


 だが今度は、アフロディアが驚く番だった。


 自信をもって繰り出した彼女の剣は、アテナイ人の構えた三又鋤みつまたすきの、刃と刃の間に、がっきとはさみ込まれたのだ。


 そのまま、ひょろひょろしたアテナイ人が軽く手首を、くいっ、とひねると、あっけないほど簡単に、アフロディアの手から剣が離れた。


 びっくりして、後ろへ飛びすさるアフロディア。


 その足が、さっき自分が真っ二つに断ち割って散らばった野菜で、ずるりと滑った。


 武器を失い、尻もちをついた姫ぎみは、敵の報復攻撃を予想して青くなり、身を固くした。

 

 けれど、敵は攻撃してこなかった。


 アフロディアの落とした細身の剣を、道の端に蹴り、自分の三又鋤みつまたすきもその上に、ぽい、と投げ捨てると、ティリオンはため息まじりに言った。


「本当に、反乱など知らないのです。信じてもらえませんか?」


 もともとは『反乱ごっこ』だったはずのいきさつを、アフロディアは思い出した。


 あらためて不思議そうに美しい青年を見る。


「では、なぜ逃げたのだ?」


「アテナイ人と知られれば、それだけで殺されると思ったからです」


「しかし、名乗り出たのはおまえだぞ」


「あの時は、仕方なかった。


 私が名乗り出なければ、あの男は殺されていた」


 いまいましい末息子と、親切にしてくれた村長夫婦を思い出し、複雑な表情をみせたあと、ティリオンはぴくりと耳をそばだてた。


 アフロディアの名を呼ぶスパルタ兵の声と足音が、近くまで迫ってきていた。


 白い鳥が飛び立つように身をひるがえし、彼は逃走を再開した。


「おいっ、待て!」


 跳ねおき、後を追って駆け出そうとしたアフロディアの目が、道端に捨てられた自分の剣にとまった。


 15歳の少女の、金色のまゆの内側で、経験したことのない奇妙な感情が湧いた。


 彼女は、剣を拾わずに走りだした。

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