美しき逃亡者 2

 リウマチの母親に湿布薬をはり、包帯をまこうとした医師ティリオンは、手元の包帯が足りないことに気づき、眉をひそめた。


 補充の包帯は、後ろの棚にある。だが……


 おそるおそる振り向いたティリオンに、居並いならぶ娘たちが、熱烈なとびきりの笑顔をみせる。


 彼女らと真っ向から対峙たいじするはめになったティリオンは、その熱気にたじたじとなり、次にすっかり困ってしまった。


 小さく狭いこの診察室では、今日は特に数多く押しかけてきた彼女らを迂回うかいして、包帯のある棚までたどりつけそうになかったからだ。


 けれど、彼女らの真ん中を通り抜けるのは、以前の例から騒ぎを引き起こすもとになることはわかっていた。


 べたべたと体にさわられたり、服や手や髪を引っ張られたりするのは、二度とごめんだった。


 やむなくティリオンは、ためらいがちに言った。


「すみませんが……どなたか、そこの棚の包帯を取ってくれませんか?」


 すると、それは見事なほど一斉いっせいに、ティリオンの視線を追って娘たちの頭が、くるり、と回った。


 ティリオンは自分が、とんでもない失敗をしでかしてしまったことを知るのに一秒もかからなかった。


 キャ――ッ! ワ――ッ! という悲鳴ととも、どっと棚に殺到さっとうした彼女らが、激しく争いはじめたのだ。


「あたしよ、あたしよ、あたしが取る!」


「何いってんのよ、このブス。頼まれたのは、あたしなんだからねっ!」


「違うわっ。先生は、あたしの方を向いて言ったのよっ!」


 興奮した口争いはすぐ、つかみ合いの大喧嘩になった。


「どいてよっ、どけよっ、えええい、どけっていってんだよ!」


「いたたたたっ、やったわね――っ!」


「ほんと、厚かましい女ねっ、あんたってはっ!」


「ちくしょ――っ、このお邪魔虫! あたしがとるんだよっ」


 あわてて両手を上げて、ティリオンが叫ぶ。


「皆さん、待って……待ってください!


 私はただ、ちょっと包帯を……


 ああっ、もういいですから、取らなくていいです。


 自分で取りますから、やめてください。


 どうか喧嘩はやめてください!」


 しかしもはや、のぼせあがった娘たちは聞く耳を持たなかった。


「この! この! この!」


「あたしが、あたしが、あたしが!」


「邪魔、邪魔、邪魔、どきなさい――っ」


「きいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 今も昔も、げに恐ろしきは女の争いである。


 ばらばらばらっと、木屑が激しく降りはじめた天井を仰ぎ、はっとティリオンは青ざめた。


 もともと貧しい村人たちからさえ見捨てられた、ぼろい木の小屋だった。


 ギギギイィィィと、床が不気味にきしみ、あちこちでバキバキと、木の折れる危険な音がはじけた。


 ついに診療所全体が、頼り無く、ぐらぐらと揺れはじめる。


 これから起こる不幸な事態を予測して、ティリオンは、唖然としている少年の肩を押した。


「早く、外に出なさい!」


と命じ、自分もリウマチの母親を抱き上げて外に飛び出した。

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