スパルタ王宮にて 5 *

 おどかされ、腹を立てていた上、ずっと待たされていたカーギルは喜んだ。


 すぐ弟クラディウスに向かって、秘かに手指を動かしサインを送る。


 戦闘のプロとして、厳しいスパルタ教育を受けたスパルタ戦士は、上官の手と指の動きだけで作戦行動がとれる。


 サインを読み取ったクラディウスの顔が、恐るべき任務に引きつった。


 兄カーギルにしめ殺されかねない目で睨みつけられ、ようよう悲壮な覚悟を決めて、そろそろと王の馬に接近する。


 準備よし、と見て、クレオンブロトスが言った。


「分かった、分かった、アフロディア。


 それならばいったん降りなさい。そして自分の馬をつれてきなさい」


 兄の奇妙に優しくなった声に、勘のいいアフロディアはいやいやをした。


「いや! 降りたらそのまま、置いていくつもりでしょう? わかってるんだから」


「ううっ、全くおまえという子は……


 では、とにかく反対を向け。


 まさか、向かい合わせのこの恰好のままで、兵たちの前に出る訳にはいかないだろう?」


 アフロディアは、疑いの目で微笑む兄を見たが、仕方なく、ごそごそ体の向きを変えようとした。


 そして次の瞬間、見事に、下で待ちかまえていたクラディウスの腕の中に落としこまれた。


 きゃあっ! というかわいい驚きの悲鳴が、すぐに怒りの大声にとって変わる。


「あにうえ――――――っ!!」


 弾けるように飛び上がり、またもや兄の足に飛びつこうとするアフロディアを、クラディウスが素早く、しっかりと抱きかかえる。


 怒鳴るアフロディア。


「クラディウス、きさまっ、何をするかっ、無礼者!」


「お許しくださいっ!」


「こらっ、離せはなせはなせ、馬鹿――っ!」


「お許しくださいっ、お許しくださいっ」


「クラディっ、この裏切り者めっ、畜生、こうしてやるっ!」


「いででででで! お、おゆるし……ぎゃああ――――っ!!」


 殴る、蹴る、ひっかく、噛みつく。


 殺される寸前の獣の抵抗か、と思われるほどの暴れ方だった。


 いくらやんちゃ姫とはいえ、男で、年上でもあるクラディウスの手からは逃れられない。


 それでも、スパルタ女子年齢別格闘技選手権じょしねんれいべつかくとうぎせんしゅけんの連年の優勝者アフロディアは、かなり善戦していた。


 幼なじみのふたりは、土ぼこりと怒声と悲鳴をあげて戦った。


 ある程度予想してはいたものの、それをゆうに上回るアフロディアのすさまじい暴れ方。


 真っ赤な顔をして「お許しください」を連発しながら、非情な上官の命令遂行に必死の、クラディウスの健気けなげな姿。


 ふたりの兄はしばし、感心して見とれ、やがて同時に、ぷっと吹きだした。


 クレオンブロトスは笑いながら手を振った。


「それではクラディウスよ、悪いが、妹をよろしく頼むぞ!」


 かわいそうなクラディウスは、返事をするどころではなく、アフロディアの、とても王女とはおもえぬ罵声ばせいが返ってきただけだった。


 クレオンブロトス王は外門に向けて、三たび目になる馬首をめぐらせた。


「すまんな、クラディウス。許せよ、アフロディア」


 小さく言い、負い目を断ち切るように、手綱をぴしり、と小気味よく鳴らす。


 ひづめの音に、アフロディアが動きを止めた。


 哀れなクラディウスの両頬を、両手でひねりあげたまま、口をぽかんとあけ、兄王と近衛隊長が駆け去る姿を呆然と見る。


 涙混じり、悔しさ一杯の金切り声が響き渡った。


「兄上の嘘つき――っ! 兄上なんか大嫌い――っ!


 兄上のばか――――――っ!!!!」



――――――――――――――――――*


 人物紹介(二つの王家のある、二王制軍事国家スパルタの人たち)


● クレオンブロトス王(25歳)……二王制軍事国家スパルタの、アギス王家の若い王。

 強くたくましく、賢い王で、スパルタの黄金獅子きんじしとも呼ばれている。


● アフロディア姫(15歳)……クレオンブロトス王の妹で、じゃじゃ馬姫。


● カーギル(26歳)……スパルタ軍、近衛隊長。クレオンブロトス王の腹心の部下。

 クラディウスの兄でアテナイ人嫌い。


● クラディウス(18歳)……カーギル近衛隊長の弟。アフロディア姫の幼馴染。

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