第二章 スパルタ王宮にて

スパルタ王宮にて 1 *

 ドーリア式の重厚じゅうこうな円柱の並ぶ、スパルタ王宮の廊下。


 その廊下に、スパルタ王女、アフロディア姫の甲高い声が響きわたる。


「兄上! 兄うえ――――――っ!!」


 あきらかに、腹を立てている姫ぎみの声。


 仕事をしていた宮中の召使いたちは、動きを止め、目配せをかわしあった。


 ぱっ、と素早くそばの部屋に飛び込む者。


 ささっ、と、柱の陰や彫刻の像の後ろに身を隠す者。


 人の姿が消えて、がらんとなった大理石の廊下を、姫ぎみの怒りの叫びと、凄い早さで走ってゆく足音が通り過ぎる。


「兄上ーっ、兄上はどこにおられるのかっ!


 兄うえ――――――っ!!」


 怒りの声が十分遠ざかってから、出て来た召使いたちは、訳知わけしりの顔を見合わせ、ププッと笑いあった




               ◆◆◆




 スパルタ王国、秋晴れの空の下。


 クレオンブロトス王は、王宮の裏庭に立っていた。


 大柄な逞しい体に、スパルタ・アギス王家の “太陽と獅子” の紋章の革鎧を着て黒いマントを羽織っている。


 かすかに聞こえてきた声に、あごをあげる。


 さっき降りてきたばかりの、王宮の広い階段の奥を探るように見た。


 さらに耳をすませて、妹姫のアフロディアの声、と確認し、精悍せいかんな顔をしかめる。


 かたわらの近衛隊長に言った。


「まずいな。もう気づかれてしまったらしいぞ、カーギル。


 ふーっ、あれ、には全く困ったものだ」


 クレオンブロトス王がため息をつき、首を振ると、幅広い肩まで流れ下っている黄金おうごんの髪が、日の光にきらめく。


 まさしく、黄金色おうごんいろ、としかいいようのない見事な髪。


 琥珀色こはくいろの瞳。


 王者の風格たっぷりの、筋骨逞きんこつたくましい体。


 スパルタの黄金獅子きんじし、と。


 スパルタの人々は誇りと敬意をこめて、他のポリスの人々は畏怖いふをもって、25歳の若い王をそう呼んでいた。


「はい。まこと、困りましたな」


 頷いて同意する、近衛隊長カーギル。


 彼は、大柄な王よりさらに頭ひとつ分背が高い、いかつい大男である。


 スパルタ式で徹底的に鍛えぬかれ、陽に焼けて浅黒く、戦車のように硬い大きな体。


 筋肉のより合わさった太い首のうしろで、無造作にひもで縛った黒髪まで針金のように硬そうだった。


 スパルタ近衛隊の軍鎧をまとったカーギルは、左頬の大きな傷痕を歪め、小声でごちた。


「何をぐずぐずしているんだ、クラディウスの奴め……」


 間もなく、赤い布のバンダナを額に巻いた黒髪のスパルタ青年兵が、軍馬を3頭、引き連れてやってきた。


 早く来い、とカーギルが手を振り、馬を急がせて青年兵が駆けつける。


 馬が到着し、ややあわて気味に馬に手をかけるクレオンブロトス王。


 王の踏み台となるため片膝をつき、腕を交差して組む、赤いバンダナの青年兵。


 その青年兵に、クレオンブロトス王は言った。


「まずいことになった。もうアフロディアに気付かれた。


 クラディウスよ、おまえはここに残って足止めをしろ。


 私の帰還まで、あれ、の面倒をみろ」


「ええっ!!」


 クラディウス、と呼ばれた赤いバンダナの青年兵が、濃い灰色の目をく。


 組んでいた腕がゆるみ、王の足がすべった。


「おいっ!」


「申し訳ありませんっ」


 腕を組み直しながら、クラディウスは泣きそうな声をあげた。


「そんな! 姫さまはもう、俺の手にはおえませ……


 いえ、いえ、その、お言葉ですが、王よ、そのお役目は私などの手にはあまる、と存じます」


「おまえはあれの、幼なじみではないか。何とかしろ!」


「困ります、無理です、どうかご勘弁くださいぃぃ」


「そんな情けない声をだすな。


 きさま、それでもスパルタ戦士か。


 これは王命だ!」


 厳しく言って、組み直された腕の踏み台から、ひらり、と馬にまたがるクレオンブロトス王。


 とはいえ、さすがに少し気がとがめた。



――――――――――――――――*



 ここで『ギリシャ物語』の時代について、ごく簡単に説明させていただきます。


(ご考までに、です。

 以下、お読みにならなくても、ストーリーに差しつかえありません)


 紀元前433年頃 ペロポネソス戦争が起こる。

(ペロポネソス同盟盟主スパルタ VS デロス同盟盟主アテナイ)

   ⇩

 長い戦争なだけに、色々なポリスがからみあい、紆余曲折うよきょくせつあり。

 ペロポネソス戦争の途中で、アテナイの指導者ペリクレス、疫病で死亡。

   ⇩

 紀元前404年頃 スパルタ勝利、アテナイ降伏。

 約30年にわたるペロポネソス戦争が終結

   ⇩

 コリントス戦争が起こる。

(スパルタ VS コリントス、アルゴス、テバイ、アテナイの四大ポリス同盟)

   ⇩

 9年後、コリントス戦争終結。

 スパルタ勝利、四大ポリス同盟敗北。

   ⇩

 ペロポネソス戦争が終わってから、30年以上、ギリシャの筆頭ポリスとして、スパルタが力をもつ。

   ⇩

 紀元前372年 ← いまここです。『ギリシャ物語』『ギリシャ物語 外伝 ~旅のはじまり~』


 スパルタ、強いですねー。

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