第十三章 獅子への奸計

獅子への奸計 1

 ギリシャ全体平和会議のため、続々とスパルタに集結して来た、各ポリスの使節団たち。


 彼らのもっぱらの話題は、酒や娯楽のないことと、遅れてくる、というアテナイ使節団のことだった。


「なんでも、アテナイ使節団の団長が船酔ふなよいのひどいかたで、船を使わず陸路でこちらへ向かっているので、遅れているのだとか」


「アテナイからずっと陸路で?!


 アルカディア山脈一帯は、山賊と盗賊ぬすっと巣窟そうくつだぞ!

 

 それを越えてくるのか?」


「ほとんど気違きちが沙汰ざたですな」


「そんなややこしい団長なら、選び直せばよかろうに」


「ところがそうすると、アテナイ人のややこしい議会の、ややこしい会議をまたいくつも開かなくてはならないそうで、もっとややこしくなるんだとか」


「全くアテナイ人てやつは……」


「とにかく、まだ何日もかかるらしい」


「大遅刻だ」


「こんな、酒もろくな娯楽もない、めしの不味い国でずっと待っていなくてはならんのか?


 一体いつ着くのだ!」


「わからん、とんだ迷惑だ」


「うーっ、せめて、くいっ、と一杯やれればなあ」


「酒が禁止だなんて、何が楽しみで生きているのやら」


「全くスパルタ人てやつは……」


 使節たちは、溜まり場でぶつぶつとこぼし合っていた。


 けれども、テバイ使節団の宿舎では、エパミノンダスとペロピダスが上機嫌だった。


 ただし、ふたりの機嫌のいい理由はそれぞれ違ったが。


「聞いてくれ、エパミノンダスよ。


 例の姫ぎみな、やっぱり俺に気があるぞ。


 毎日、俺の顔を見にやってくるんだ!」


 ペロピダスがそう言って、机に向かって羽ペンを動かすエパミノンダスの肩を揺する。


 迷惑そうにしながら、エパミノンダスが返す。


「アフロディア姫のことか?


 あの森の中で、他の男と抱き合ってたんじゃなかったのか?」


「いやいや、きっと俺を見て気持ちが移ったんだ!


 そりゃそうだよな。


 あんな青い若造より、俺のほうがずっといい男だ。


 そうだ、あの若造も俺をよく見にくるぞ。


 きっと、悔しくてたまらないんだろうな。


 じっと俺のことを恐ろしい目で見てやがる。


 ふん、あんな奴ににらまれてもどうって事ないが。


 それより、へへへへ……ああ、姫。かわいい姫、俺の姫」


 ペロピダスは、アフロディアの意図を完全に誤解していた。


 クラディウスの止めるのにもかかわらず、森での話をどこまで聞かれたかと、心配でたまらなかったアフロディア。


 彼女は幼なじみの目を盗んでは、ペロピダスの様子を見に行っていたのである。


 クラディウスがペロピダスを監視している理由も、もちろん同じであった。


 そんなこととはつゆ知らないペロピダスは、うっとりと天井を仰ぎ、自分に気のある姫ぎみについて語った。


「なあ、エパミノンダスよ。俺の姫はそりゃあかわいいんだぞ。


 体よりおっきな剣を、こう斜めに背中にしょってやってきてな、俺に言うんだ。


『おまえは会議の終わる日まで、おとなしく宿舎でじっとしてろ。


 でないと叩っ切ってやる』ってな。


 好きな俺の居場所を、いつも知っていたいんだよ。


 男前おとこまえの俺がうろうろして、他の女に目をつけられるのを心配してるんだよ。


 かわいいだろ、けなげだろ、感動するだろ!」


 ひとりで勝手に盛り上がっているペロピダスを無視して、エパミノンダスは書きあげたばかりの書簡に、乾燥用の砂をかけた。


 しばらく待ってから、ふっ、ふっ、と息をかけて砂を飛ばす。


「ようし出来た。


 これで秋には、黄金獅子きんじしの首をいただく!」


 親友の言葉に盛り上がりからさめて、不安そうに振り向くペロピダス。


「秋? 今年の秋か? いやに早いな」


「ああ、どうやら俺には、とびきりのツキが回ってきたらしいからな」


 エパミノンダスはにんまりと笑った。


「虫だよ、虫。


 予想もしなかったほどの、とびきりでかい虫がかかったんだ。


 こんな絶好の機会を逃す手はない。


 その上、遅れてくるアテナイ使節団のおかげで、今や、虫、との細かい打合せも済んで、あとはこいつを使うだけさ。


 黄金獅子きんじしを追い詰める、この書簡をな」


 エパミノンダスはこぶしをつくり、意気揚揚と言った。


「俺はやるぞ! ペロピダスよ、


 黄金獅子きんじしを倒して、ふたりでギリシャをまるごと手に入れようぜ!!」


 言うことがいつも大きい親友に、ペロピダスは顔をしかめた。


「おまえはそう言うけどな、俺にはギリシャを手に入れるどころか、そう簡単にあの黄金獅子きんじしが倒せるとは思えんし……」


 情けなくペロピダスの眉尻が下がる。


「それにあの黄金獅子きんじしは、俺のかわいい姫の兄貴だ。


 こいつはまずいぜ。


 エパミノンダスよ、俺……俺な、アフロディア姫と結婚したいんだ。


 本気なんだ!」

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