第十章 臆病楽士

臆病楽士 1

 平穏な毎日が続き、冬の季節もゆっくりと過ぎようとしている、よく晴れた日の昼。


「アフロディアはどうした?」


 アフロディア姫の部屋を訪れたクレオンブロトス王は、掃除をしていた侍女に声をかけた。


「まあ、クレオンブロトスさま。申し訳ありません、このような恰好で」


 腕まくりを下ろし、膝をつこうとした侍女をおさえて、手を振る。


「よいよい、そのままで。


 アフロディアはどこへ行った?」


「はい、クラディウスさまと、楽士さま……と、3人で遊びに行っておられます」


 楽士さま、のところで、若い侍女の頬が、ぽっと赤らむ。


 クレオンブロトスは小さく肩をすくめた。


「3人で、仲良くやっているのか?」


「はい、それはもう」


 侍女は大きく頷いた。


「それは、それは、とても仲のおよろしい3人さまでらっしゃいますよ。


 どこへ行くにもご一緒で、いつも楽しそうに笑ってらっしゃいます。


 姫さまがご機嫌良く過ごしてくださるので、こちらも被害がなく、助かります」


 言ってしまってから口を押さえた侍女に、クレオンブロトスは苦笑した。


「そうか、被害がないのは結構なことだ。


 どうりで私の所にも、苦情が来なくなった訳だ」


「すみません。


 私、余計なことを言ってしまいました。失礼しました」


「かまわん、本当のことだからな。


 それで、3人はいつ帰ってくるかな?」


「もうお昼ですので、昼食にまもなくお帰りになると思います」


「では、ここで待つとしよう。おまえは仕事を続けよ」


「はい、ありがとうございます。あと少しで終わりますので」


 侍女はクッションを持って、窓の外でぱんぱんとはたき始めた。


 アフロディアの部屋は、さながら武器庫である。


 大小さまざまの剣、盾、槍、斧、弓、矢、鎧、等々が、所狭しと並べられている。


 なかでも、クレオンブロトスでも振り回すのに苦労しそうな、特大の斧が、どでっ、と大きく幅をきかせていた。


 クレオンブロトスは一抹いちまつの寂しさを覚えながら、部屋の真ん中、赤い絨毯が敷いてある上の、丸テーブルの椅子に腰かけた。


 (そうか、私が構ってやれずとも、機嫌良く過ごせるくらい成長したか)


 平和会議の開催が決まって以来、クレオンブロトスの仕事は日々、増加の一途をたどっていた。


 仕事に忙殺され、自分の食事すらままならないこともあるほどで、彼は、ずっと放ったらかしにしていた妹の事を案じていたのだったが。


 テーブルには木のカップが3つ置いてあり、底に飲んだあとの果汁らしい残りがこびりついている。


 よく見るとカップには、それぞれ3人の名前の頭文字かしらもじが彫られていた。


 (とても仲の良い3人、か。


 だが、あの楽士の美しさは、やはり問題だな。


 アフロディアは大丈夫だろうか?


 今はクラディウスが付いているから、大事はないと思うが、あの楽士、このままずっと王宮に置いておくのは、やっぱり良くないかもしれん。


 それにあの緑色の目、どこかで見たような気がする)


 掃除を終えた侍女が、暖炉にまきを数本追加し、テーブルのカップを回収して、一礼して出ていった。


 きれいになった妹の部屋を見回したクレオンブロトスの目に、部屋の棚の上から、きらりと光るものが映った。


 近寄ってみると、以前アフロディアに土産みやげとして与えた、銀の短剣だった。


 大切に手入れされているらしく、磨かれた銀色が美しい。


 柄元つかもとにはめこまれた大粒のエメラルドも、相変わらず澄んだ美しい光を放っていた。


 クレオンブロトスは、指で頭をかいた。


 (ああ、これだ。


 これと同じ色の瞳だったんだ。


 それでどこかで見たような気がしたんだな。


 変に疑って、あの楽士には悪いことをした)


 短剣の下には、植物の絵と、細かい文字の書かれた書類の束のようなものがある。


 勉強嫌いの妹の物とはとうてい考えられないそれを、クレオンブロトスは取り上げた。


 読み進んでいくにつれ、彼の口から感嘆の呻きがもれはじめる。


 (これは凄い! 薬草の詳しい知識がぎっしりだ。


 薬の調合法と効能も、驚くほど綿密に書かれている。


 これだけのものは初めて見た!


 これがあれば、今まで治せなかった病人でも怪我人でも、治せるかもしれん。


 救えなかった命が救える。


 この書類は素晴らしい宝だ!


 そうだ、アゲシラオス王の病も、これなら治せるかもしれない。


 だが、どうしてこんな物がここに?


 アフロディアは、どこからこれを持って来たのだ?


 まてよ、この紙は王宮で使っているものだ。


 すると、どこからか持って来たのではなく、誰かがここで、これを書いたのだ)


 笑い声と、ばたばたという足音が近づいてきた。


 アフロディア、クラディウス、ティリオンの3人が、ふざけ合いながら、もつれるようにして入ってきた。


 3人の着ている暖かそうな毛織の服は、色違いのおそろいで、アフロディアの黄金の髪にはなぜか、季節はずれのテントウムシがたくさんとまっていた。

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