第四章 出会い

出会い 1

 その日の昼過ぎ、突然スパルタ軍が村にやって来ても、村人たちはとりたてて驚きはしなかった。


 この奴隷村はスパルタ市の目と鼻の先、といってもいい位置にある。


 今までも、支配者スパルタ軍は、税を取るために農作物の収穫量を調べに来たり、領地の武装巡察用ぶそうじゅんさつようの水や食料を仕入れたり、休憩をするために立ち寄ったりしていた。


 時には、スパルタ市では禁じられている酒を少々、めに来たりもしていたのである。


 軍事国家スパルタでは、市民が酒を飲むことが厳しく抑制されていた。


 それは他のポリスと違い、スパルタが例外的に、市民の数に比べて奴隷の数が圧倒的に多かったから、である。


 かつてスパルタが最も人口の多かった時期でも、市民権を持つ18歳以上の男子の数は8千人~1万人程度。


 その家族である女子供を合わせても約5万人ほど。


 それに対し奴隷の数は、約25万人とも言われていた。


 少数市民でこれだけの数の奴隷を支配するために、国民皆兵こくみんかいへいとなり、最強のスパルタ戦士軍団を作り上げた、スパルタ。


 この国では国家の繁栄と安全が、とりもなおさず、最強兵士たるスパルタ市民が常時、でいることにかかっていたからである。


 ともあれ、スパルタ軍の到着した時点では、この村でそれに怯えたのは、出発を一日遅らせてしまったティリオンだけだった。


 閉鎖的傾向へいさてきけいこうの強い、軍事国家スパルタという場所で、無保護の外国人ほど危険な立場はない。


 怪しまれただけで、すぐ首が飛ぶ。


 スパルタ人は、何かもめごとが起きると、まずもめごとの相手を殺してから、もめごとの処理をどうするか考える、というような民族だった。


 かつてのペロポネソス戦争勃発せんそうぼっぱつの当初など、スパルタ人は敵国アテナイとその同盟国の者だけでなく、中立国の者まで、誰であろうと出会ったが最後、無差別に殺しまくっているのである。


 ティリオンとしては、


「大丈夫ですよ。先生はもうこの村の一員なんですから、誰も何も言いやしません」


と、にっこり笑い、到着した部隊の指揮官に挨拶にでかけた村長と、スパルタ人に慣れている村人の好意をあてにするしかなかった。


 が、村人の慣れた予想は見事に裏切られた。


 スパルタ軍はいつものように、農作物の調査や補給や休憩をしなかった。


 ただ黙々と、村人全員を狩り集め始めたのである。


 何の説明もないまま、女子供も病人も容赦ようしゃなく、村人たちは村の中央の広場に狩り集められた。


 広場の一角にある、牛、馬、豚、ヤギ、時には、人をつなぐ金属の輪をはめこんだれんが壁の前に集合させられた人々は、不安と恐れにすくみ上がった。


 ここしばらく、たいした暴力沙汰ぼうりょくざたがなかったせいで、落ち着いていた村人たちであったが、本来、奴隷の身分となった者が、さしたる理由もなく殺されたり、不具ふぐにされたりすることは珍しくなかったのである。


 苛酷かこくな時代であった。


 心臓病の長老に付き添い、村長のかみさんのかげに隠れながら、ティリオンも広場に行くしかなかった。


 れんが壁にもたれて座らせた長老の横にかがみ、じっとうつむいて、目立たぬようにしているしかなった。


 村長のかみさんが太った体で、ずっとかばって隠してくれているのが、ありがたかった。


 村人の不安げにささやき交わす声が、あちこちから聞こえてくる。


「あたしらをどうするつもりなんだろう? まさか殺されるんじゃないだろうね?」


「わしたちは、何もしていないのになあ」


「いよいよいくさが始まるんで、兵士にするために若い男を集めに来たんじゃないかな」


「おいらはいやだぜ! いくさなんていきたくない」


「俺は子供が生まれたばかりなんだ、勘弁してくれよ」


 なかでも、一人の男の言った言葉によって、急速に皆の緊張は高まった。


「おい、あいつらを見ろよ。


 あれはしたの奴隷兵や、傭兵ようへいなんかじゃない。


 全員、正真正銘しょうしんしょうめいのスパルタ市民、スパルタ兵ばかりだ!」


 言われてみれば確かに、集められた村人たちを見張る10名ほどの兵士は、頭部に赤い羽飾りの付いた大きな頬あてのある、立派なかぶとである。


 スパルタ軍鎧の上から、体全体をすっぽりとおおう長い黒マント。


 全員、死神のような、スパルタ市民兵士特有の凄味すごみのあるいでたちであった。


 普段はこういう姿をした、生粋きっすいのスパルタ市民兵士の上官に対し、その5倍から10倍の人数の奴隷兵士の部下という割合で隊が構成されているので、これますます不気味だった。

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