第6節(2/2)

 少し歩くと、焚火の灯りはすぐに届かなくなった。夜空が曇り、木が生い茂っているせいで、辺りは真闇だ。それでも昼間のように物を見わける人狗はともかく、龍宮で生来の異能を磨いた〈望月〉ですら、目の前もほぼ見えなくなっていた。

 雲景が、「なぁ……」と情けない声で言うと、〈望月〉は小袿こうちぎの袖から青白い光球を舞い上がらせ、三人の背後の空に漂わせた。

「雲景、これでどうかしら?」

「ありがとう、だいぶ良くなったよ。これなら少し先を歩いても安心だ。――野分丸、我らの龍宮巫女と人狗のために、案内あないに立とうではないか」

「ああ、いいとも」

 柳丸の背に揺られていた鳶は、静かに飛び上がり、雲景の手甲を当てた右腕にとまった。

 野分丸は、簡単に道を見つけ出した。それは、田三郎が避けた、大勢の足で踏み固められた道だった。視界を確保するためか、道に近い木が明らかに間引かれている。

 間引かれた木。切り株すら残っていない。いつか芽吹いた木々の中から、間引かれた木。誰の記憶にも残らない。

 ――では、間引かれた子どもたちは……? おれと同じように、紫緒と同じように、あちら側に追い出された子どもたちはどうなった? 今日出会ったあの子たちはこれからどうなる?

「政綱。余計なことはもう考えないで」

 〈望月〉が言った。政綱の頭で始まっていた仕方のない繰り言は、彼女の声に押し止められた。

「あなたは彼らにまだ道があることを示した。それでいいのよ。最良の一手だった。いまあなたが考え始めたことは、全て余計なことだわ」

 政綱は、微笑んで言った。

「御許も考えてるんだろう? 違うか?」

 〈望月〉は、ちらりと横目で政綱を見て、ふっと笑った。

「情けって厄介よね。時には、己の身を守ることすら過ちだと思わせる。自分の無為無事の陰では他人が苦しんでいると、非難がましい目で見てくるんだもの。でもわたしは無視することを学んだわ。全てを同じものさしで測っても、なんの意味もない。それで全ての問題が解決することなんて、絶対にあり得ないの」

「わかってる。御許の言う通りだ」

 政綱はうなずき、口を閉ざした。

 それからしばらく、黙ったまま歩き続けた。尾根道の両側は、いつの間にか崖のような急坂になっていた。麓まで黒々と広がった森と、その向こうに人里の灯りが見えた。すっかり夜中になっているものと思い込んでいたが、まだそれほど遅くはないのかもしれない。

 野分丸からそれを教えられたらしい雲景が、振り向いて言った。

「見ろ。あの灯りの集まり方はきっと宿場だな。運のいいことに、そう遠くない。ここひと月の旅も終わろうとしている今夜だ。一緒に酒でも呑もうじゃないか」

 それだけ言うと、雲景はふたりの返事を待たずに向きを変え、また歩き始めた。

 政綱は最初、雲景の言葉をそのままの意味として受け取った。しかしすぐに言外の気遣いに思い至り、ふんと鼻で笑った。

「気に入らないわね」

 〈望月の君〉は唇を尖らせたが、そこから何事かをまくしたてるでもなく、眉根を寄せてため息をついた。

 今度は何で怒らせた? ――そう思いながら、その疑問を表情には出さずに、政綱は〈望月〉の顔を見た。彼女は言った。

「時々だけれど、わたし、あの生意気な雲景を見習うべきだと思うの。彼ってあなたを慰めるのが上手――人間のくせに。わたしはまだまだね」

 そう言うと、顔にかかった長い髪を指先で払った。

 政綱は笑って〈望月〉の肩に腕を回した。

「いや、ずっと気が楽になった。ありがとう、紫緒」

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