第51話 地獄の穴(3)

 一瞬、強い旋風つむじかぜが吹き、ルイのぼろぼろになったコートが舞い上がった。そして、空中を滑るように白いシャツ姿のルイの肩へと戻っていった。


 コートがあったところには深い穴が開いていた。それまで、黒田がいたところだった。


 あのコートが爆発の衝撃を防いだのか――

 俺は唾を飲み、穴を凝視した。


 穴の上の空気が動いているかのように見えたのだ。それは気のせいでは無かった。細かい塵や爆発で生じた煙がゆっくりと回っていた。


 次第にそれは、黒くて細い円錐えんすい状の雲のように変化し、激しく渦巻いていった。天井にある天窓を突き破ったそれの表面では、細かい雷光が音を立てながら爆ぜている。


 まるで小型の竜巻だ。

 天井から上がどうなっているかは分からないが、おそらくはあの空を覆う黒いドームに繋がっているのだろう。


「ぐろう ざむが だぎど ばぐだ がむあ……」

 悪魔がしゃがれた声で呪文を唱え始めた。


「めぎど そどむ ごもら……

 我が神、サタンよ。

 地獄を巡る偉大な力を現世うつよへ転移させたまえ。

 回れ! 反転魔法陣よ!」


 悪魔が叫んだ。

 穴を貫く黒い竜巻が太くなり、回転する速度も増した。


 ビキ、ビキ、ビキッ……

 穴の周囲に音を立ててひびが入り、崩れながら大きくなっていく。そして、その周りには魔法文字が出現した。

 俺は乾いた風の音が強くなっていることに気づいた。風は穴に向かって強く吹いている。


 穴へ吸い込まれていく不吉な気味の悪い風に、俺は身震いした。決してただの穴ではない。全てを引きずり込む禍々しさを感じた。


 周囲の温度が一気に下がり、穴の周囲がドロドロの青や黒、黄、赤の原色が混じり合った空間に変わっていく。


「これは地獄へ通じる穴だ……」

 悪魔はそう言うと、ブラック・マンバのメンバーらしき者を一人捕まえ、穴の方へ放り投げた。


 男は目を見開いて床に指を立てたが、ジリジリと穴の方へと引きずり込まれていく。

「嫌だ! 助けてくれっ!!」

 男は穴の入り口で地面に指を突き立て、吸い込まれるのに必死で抵抗する。


 突然、真っ黒な腕が幾つも穴の中から伸び、男を掴んだ。


「や、止めて……くれっ!!」

 無数の腕は、懇願する男の口を塞ぎ、太い爪で顔を引き裂きいた。

 男が穴に一気に引きずり込まれ、穴の奥から言葉にならない悲鳴が微かに聞こえた。


 悪魔の体が一瞬大きく膨らんだ。

「ふふふ……」

 悪魔は笑った。


 その時、怒号のような声がフード・コートに響いた。

 後ろを振り返ると、何かに取り憑かれたような顔をした大勢の人が、他の客たちをかき分けながらこちらへ向かってくるところだった。


「ひゃははははっ!! 生け贄がたくさん走ってくるわ!」

 悪魔が狂ったように笑った。

 走ってくる人たちの背中には、真っ黒な邪霊が貼り付いている。


「み、みんな止まれ!! 行くなっ!! 行くんじゃないっ!!」

 俺たちは止めようとしたが、狂ったような顔をした人々は言うことを聞きそうにない。


「くそ! メンバーたちは塩だ。ありったけ浴びせろ!!」

 俺は叫んだ。

 スカル・バンディッドのメンバーたちは、我に返ったかのように人々に塩を浴びせた。


 塩をまともに食らった人はその場に突っ伏すように倒れ込んだが、それでも、たくさんの人が俺たちの間をすり抜け、穴へと飛び込んだ。


「ぐははははっ!!」

 悪魔が笑う。人々が飛び込むたびにその体は大きくなった。そして、地獄へ通じる穴もその大きさを増していった。


 すると、穴の縁から赤黒い肉の塊のような者が這い出てきた。それは、大きな蜘蛛のようなシルエットに変化しながら、尻から白い糸を吐き出し、地獄の穴へ糸をかけ始めた。


 黒田かっ!?

 微かに残った服の布地に見覚えがあった。顔らしき場所にある口の中から、小さな赤い目をした蝙蝠が覗いている。

 俺はかつて黒田だった者を睨んだ。


 悪魔は背中にある大きな羽を羽ばたかせると、穴の中に張られた蜘蛛の巣の上に降り立った。



      *



 く、く、く、く…………

 悪魔は声を出さずに、ほくそ笑んでいた。

 恭一と契約をしたことにより悪魔の力を取り戻した。そして、反転魔法陣によって魔力の強化も進んでいる。

 全ては計画通りだった。


 この事件によって、ブラック・マンバは社会的には葬られるかもしれない。だが、大悪魔となった自分と恭一は、暗黒の王としてこの国の地下に君臨する。半グレやヤクザ、外国マフィア、更には真っ当な大企業の顔をしたフィクサー、利権を漁る政界の黒幕たち――

 恭一を全ての悪人たちの頂点に立たせ、全てを操るのだ。


 そのためにも、まずはコイツらを殺さなくてはいけない。

 悪魔は巨大な蜘蛛の巣の中心から、竜一と死神ルイを睨みつけた。

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