第11話 危機

「ふうっ」

 由里子の足音が消えると、浩二は大きく息を吐いた。


 顔の下から、皮が一枚めくれるように、一気に怖い表情が現れる。こんな表情は俺もこれまで見たことがなかった。


「竜一くん、このままゆっくり眠ってていいよ……」

 浩二が静かに言った。


「チームは……俺たちスカル・バンディッドのことは、大丈夫。メンバーの皆と力を合わせてブラック・マンバとの抗争にも勝つよ……そして、ゆくゆくは、オレがリーダーになる」


 浩二がボリボリと音を立てて頭を掻く。

 その目は狂気に取り憑かれたかのような光をたたえていた。背中に貼り付いている邪霊の色も、より黒くなっているように思える。


「もちろん由里子さんのことも、心配しなくていい……俺が守るから。だから、安心して、そのまま眠っていてくれ……」

 浩二の背中にいる邪霊の右手が動いた。


 背中の毛が逆立つ。

 浩二の右手に、リンゴをむいたバタフライナイフが再び現れたのだ。浩二は右手首につながっているチューブに手をかけた。


 邪霊の影響を受けているとはいえ、まさか切るつもりか?

 俺は焦って飛び出そうとして、思いとどまった。


 浩二の右手がブルブルと震えるのを見たからだ。右手を動かそうとする意思と、止めようとする意思が拮抗しているかのように見えた。


「だめだ……こんな……」

 浩二が激しく首を振る。

「世話になった竜一くんに俺は何を……」

 硬い音を立て、ナイフが床に落ちた。


「竜一くん。俺……本当は不安で仕方がないんだ……」

 そう呟いた浩二の顔は、泣きそうに見えた。汗をだらだらと流しながら、歯を食いしばっている。


 ――と、俺は目の前にスマホが落ちていることに気づいた。俺のスマホだ。誰かが気を利かせてスマホを充電させたまま、ベッドの下に落ちたのだろう。充電器と繋がっている。


 あることを思いついた俺は、スマホを開こうと画面をスワイプした。

 手を思い切り開いて人差し指でタッチし、パスコードを入力する。猫の手なので、何ともやりにくいが、頑張って操作した。


 スマホを開くと、あるアプリにタッチする。由里子と遊びで入れたアプリで、テキストを打ち込んで再生すると、あらかじめ録音しておいた声で音声が流れる機能があるのだ。


「浩二……」

 突然、聞こえた俺の声に、浩二がびくっとした。


 チューブから手を離し、周りを見回す。

 そして、「気のせいか?」と呟いた。


「気のせいじゃないぞ」

 再び、スマホから音声が流れた。

 浩二の目線がベッドに寝ている俺の体に注がれた。目を瞑っているのを確認して、ひきつったような顔になる。


「だ、誰だ? いたずらすんじゃねえっ!!」

 浩二は、カーテンをめくり、ドアを開き、竜一の布団をめくった。


「胸を張って生きていくんだろ? 一時の気の迷いに惑わされるんじゃない」

「竜一くん? 竜一くんなのか?」


「ああ。そうだ」

「竜一くんが倒れてから、ずっと辛かったよ。チームの皆んなも元気がないんだ。俺がこんなだから幻覚を見てるのかな……なあ、竜一くん。早く目を覚ましてくれ。起き上がってくれよ!」


 浩二は眠っている俺の体を揺らした。目からは涙を流している。

 そこに、女性の看護師が入ってきた。浩二の大声に反応したのだろう。


「あ、あなた……。何をしてるのっ!?」

「な、何でもないっす」

 浩二は慌てて床に落ちたナイフを拾い上げると、部屋から逃げるように出て行った。


 廊下を駆けていく音が遠ざかっていく。

 俺は大きく息を吐いた。


 浩二があんなにおかしくなるなんて……。

 邪霊に対する怒りがふつふつと湧き上がった。この姿を見られてもいいから飛びだしてやっつけておくべきだったか。


 そこまで考えて、俺は首を振った。冷静に考えて、今日のところは仕方が無い。浩二の邪霊はいずれ必ず剥がしてやる。


「不良の友だちなのかしら……ここにもバイクの事故で入ってきたみたいだし、あんなナイフを持った子が出入りすると困るわ」


 看護婦がブツブツと文句を言う声が聞こえてきた。文句を言いながらも、布団を俺の体にかけ直し、カーテンを直し始める。


 ここを出るなら、今しかない。

 俺はスマホと充電器を口でくわえ、素早く病室から出た。途中でゴミ箱からはみ出しているコンビニのビニール袋を見つけ、スマホと充電器を突っ込む。


 俺は大きく息を吐くと、人目に付かないよう病院から脱出した。

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