第9話 家族

 病院と実家。どちらを先に行くのか少し迷ったが、まずは実家へ寄ることにした。自分の体の様子を見ることよりも先に、母と妹の様子を確認したかったのだ。


 実家は古い一軒家で、死んだ親父が遺したものだった。母と喧嘩して家を出る前までは、母と妹のさちと三人で暮らしていた。母との喧嘩は些細なことが発端だったが、後に引けずに出てしまったのだった。


 俺は家を出てからは、飲み屋街のバーでバイトをし、古いアパートで暮らしていた。元々、バイトしていた店の系列店で雇ってもらったのだった。高校を卒業したら正式に職につこうと考え、バーテンの見習いのようなことをしていた。


 親父が死んでから、女手一つで育ててくれた母には感謝しかなかった。だからこそ、今回の事故で心配をかけているだろうことが気になった。そして、妹の幸。親父がいなかったせいで俺にべったりだったから、なおのこと心配なのだ。


 歩いていると、チームのメンバーのことも頭をよぎる。あの事故がなければ、あの晩も皆で集まるはずだったのだ。

 不良チーム「スカル・バンディッド」のリーダー、九条くじょう竜一りゅういち。それが俺だった。ここいらでは『喧嘩無敗のキング』で通っている。


 通り名は周りが勝手に言っているだけで、特に喧嘩っぱやいわけではないと自分では思っている。売られた喧嘩から逃げなかった結果、気がつくとそんな通り名がついていたというのが実感だった。そして、いつの間にか多くの仲間に囲まれていた。不思議と喧嘩の後は仲良くなることが多かったのだ。


 家庭のことや勉強のこと、曲げられない主張。チームには、様々な理由で学校にも社会にもなじめない奴らが集まった。腕っ節には自信があるが、弱いものいじめや犯罪には興味がない気持ちのいい奴らばかりだった――


 考え込んで歩いていると、いつの間にか家の前まで来ていたことに気づいた。緑色の屋根の木造二階建て。見慣れた狭い庭と小さな玄関。ただでさえ小さな庭の半分ほどを大きな桜の木が占めている。

 家を眺めていると、あの事故が起こってからそんなに経っていないはずなのに、懐かしい気持ちになる。


 俺は人気ひとけが無いことを確認すると、意を決して敷地の中に入った。玄関のすぐ横にある小さなスペースに真っ黒なカワサキのゼファーが駐まっていた。


 ゼファーっていうのは、西風という意味があるらしい。空冷四〇〇CCの四サイクルエンジンで、直列四気筒の奏でる排気音がたまらなく好きだった。九十三年式だが、調子は至って快調だ。


 親父が俺に残した唯一の形見で、俺の愛車だった。虎徹を避けようとしてけたせいで、タンクは凹んでいたが、致命的な故障をしているようには見えない。


 バイクのタイヤやチェーンにも悪いところはない。派手に転けたと思っていたが、ブレーキやクラッチのレバー、ステップやペダルも曲がっていなかった。


 シートに飛び乗ると、冷たいタンクに前足を置き、メーターを見た。やはり、タンクの凹み以外に悪いところはなさそうだった。また、下に降り、細かいところまでチェックしていると、人の気配を感じ反射的に隠れた。


 現れたのは、母と妹の幸だった。

 幸は、ジーンズ生地のミニスカートにTシャツ、スニーカーという格好だ。ほっそりとした華奢な体にカジュアルな服装が可愛らしい。いつものように、長い髪の毛を両脇で三つ編みにしていた。


 ロングスカートをはいた母は、少しやつれているように見えたが、一応は元気そうな顔だった。買い物から帰ってきたところなのか、買い物袋を二つ提げている。

 俺はバイクの影から二人を観察した。笑顔で話をする二人は思いのほか元気そうで、俺は一安心していた。


「お母さん、買い物袋持つよ」

 母が鍵を鞄から出すのに手間取っていると、幸がそう声をかけた。


「ありがとう」

 幸が、母の渡す買い物袋を受け取るのを微笑ましい気持ちで見つめる。


「あれ?」

「どうしたの?」

 母が幸に訊いた。


「なんか、バイクの感じが……気のせいかな、少し動いているような気がして……」

 幸がバイクを見つめて言った。


 俺は見つからないように、バイクの影で息をひそめた。


「行く前と変わらないと思うわよ」

「そっか、気のせいか……」


 そう言って頷く幸の顔は、少し悲しそうに見えた。

 母が玄関のドアを開けた。幸が買いもの袋を持って後からついていく。


 堪らない気持ちになって、幸の後ろ姿を見送っていると、突然真っ黒な影が、幸の背中に貼り付こうとするのが見えた。

 俺は、反射的に幸の背中に駆け寄ると、大きく跳び上がった。


 右手と左手でワンツーのようにパンチを繰り出す。

 虎徹の小さな手に重なるように、俺の霊体の拳が打ち出され、邪霊を直撃した。


 邪霊が「ぐゲっ……」と呻き、空へ飛んでいく。

 俺は地面に着地すると、素早くバイクの影にまた隠れた。


 幸が一瞬、こちらを振り返った。

 俺は冷や汗をかいて、息を潜めた。


 幸は首を傾げると、母の後をついて家の中へと入っていく。


 邪霊め。油断も隙も無いぜ……。

 二人が無事に家に入り終わるのを見届けると、俺は大きく息を吐いた。


 実家に背を向け道路に出ると、もう一度、家を振り返って見つめた。そして、体のある大学附属病院に向かって走り出した。

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