第8話 依頼

 俺は祠の前で項垂れていた。由里子の前から逃げ出してしまったことで、落ち込んでいたのだ。


「ちょっと、いいか?」

 背後から声をかけられ振り向く。

 そこにいたのは、あの黒いコートを着た死神だった。


 大銀杏が風に揺れ、祠の上に落ちる木漏れ日も揺れている。

「何の用だ?」

 俺は死神に向かって、不機嫌に言った。


「頼みたいことがあってね」

 死神は淡々とそう言った。


「頼みたいこと?」

「ああ。もちろんお礼はする」


「お礼か……まあ、その内容は気になるが、その前にお前のこと、そのものも気になるぜ」


 俺は死神を睨んだ。

 真っ黒なコートに黒い長髪。顔の色は白く、彫りの深い顔立ちだ。この暑い季節に変な格好ではあるが、見た目は普通の人間のようにしか見えない。


「私は、管轄しているこの地区で、死んだ者たちが速やかに死後の世界に行けるようにサポートをしている。それが仕事なんだ。さっきみたいに成仏できない霊を死後の世界に送ってやるようなことだな」


「ふうん。死神って、人の魂を鎌で刈り取るのが仕事だと思ってたぜ」

「それは人間の作ったイメージだな。死者の魂が円滑に死後の世界に行くようにすること。それが私の仕事なのだ。だが、今、別件の仕事を抱えていてね」


「別件?」

「ああ。あの邪霊のことだ。最近、この街に多く集まっていてね。その原因を調査し、場合によっては駆除しなくてはならないんだ」


「あれか……虎徹が言っていたが、最近やたら見かけるそうだぜ」


「邪霊は人間のよこしまな思念や、怨念を残して死んだような魂の残滓ざんしから生まれる陰の気を持った存在でな。本来、ぞろぞろと生まれるようなものでは無いんだ」


「あの子どもも野良猫も、そしてあの中年の親父も、邪霊に操られておかしくなっていたな。人の邪悪な部分をあおっているように感じたが……」

「鋭いな。それは勘違いではない」

 死神は息を吐き、髪をかき上げると、俺の目を見た。


「邪霊は、一言で言えば憑いた人間を邪悪にする幽霊なんだ。最初は憑いた人間にも気づかないくらいの影響しか与えない。だが、心の中の悪い部分に、少しずつ影響を及ぼしていって、最終的には凶悪犯罪を起こさせたりする。最初は薄い灰色のような色だが、さっきの子どものように、ほとんど支配されるところまでいっていると、真っ黒になるのさ」


「だが、なぜ、あいつらは増えているんだ? 本来、そんなに多くはないんだろう?」


「それを調査しているのさ。だが、恐らくだが、奴らの生まれる場所。いわゆる巣のような場所があるはずなんだ」


「そこで増えているということか。なんでそんな場所がこの街に?」

「まあ。それも含めて調査中だ」


「頼みたいことっていうのは、その邪霊絡み何だな?」

「ああ、そうだ。単刀直入に言う。今はまだ調査中だが、奴らの生まれる巣が分かったら倒すのを手伝って欲しいんだ」


「え。マジか? 俺なんかが役に立つか?」


「先ほどの邪霊との戦いは見事だったよ。二件ともほぼ完璧にやり遂げたじゃないか。それに、地縛霊の子どもを成仏させたときも、機転が利いていて感心したしな」

 死神は真面目な顔で言った。


「まあ、そうか……。確かに、虎徹の鳴き声は凄いな」

「いやいや。魂の力で邪霊を殴りつけるっていうのも十分に凄いさ。もう少しコツを覚えたり訓練をする必要はあるが、君たち二人には魔の者と戦う才能がある」

 死神が自信満々に言うのを見て、俺は肩をすくめた。


「そうか? まあ、依頼を受けるかどうかはさておき、お礼って言うのは何なんだ? 生半可な見返りじゃ釣り合わないぜ」

 俺は少しふっかけるように訊いてみた。


「今、虎徹の中にあるお前の魂を元の体に戻すっていうことじゃだめか?」

「え。本当か!?」


 俺は思わず死神の顔を見返した。

 元の体に戻れる。それは抗うことのできない引き換え条件じゃないか。


「戻れるのか?」

「少し準備は必要だが、戻せると思うよ」

 死神は淡々と答えた。


「だが、俺の体は?」

「お前の体はな……」

 死神が俺の目を覗き込むように見た。


「意識不明のまま、城北大学附属病院に入院してるよ。お前の彼女……由里子さんは、そこへ行く途中だったんだ」

「そうだったのか……」


「今すぐに返事をしなくてもいい。その体の持ち主の虎徹の意向もあるだろうしな……」

 死神が笑った。


 すると、突然、強風が吹き始めた。


 びゅうううう!!

 風が強くなり、落ち葉や埃を巻き上げて、大きな旋風つむじかぜになる。


 旋風は瞬く間に、死神の体を覆い隠した。


「おい、もうちょっと……」

 俺が呼び止めようとすると、


「私は調査を続ける。また、会おう」

 言葉だけを残し、死神は旋風とともに消えていった。


「さて、ゆっくりしてる場合じゃなくなったな」

 俺は病院と実家のある方向を見て、呟いた。

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