第4話


「あんたも大きくなったね」

 氷の入ったグラスに注がれた麦茶は陽の光を通して黄金色の影を縁側に落とす。

「最後に婆さんと会ったのが、俺が中二の時だから一、二年くらい前かな」


 婆さんは俺の隣に腰を下ろして、団扇を煽ぐ。

「ふぅ、全く。孫はもう少し婆さんに顔見せてもバチは当たらないよ。こっちだって老い先短いんだからね」


 俺の知ってる婆さんはこんな自虐をするような人間じゃなかったが、時の流れは人を変えるもんだ。

 俺はふと、縁側から仏間を振り返る。長押に飾られた幾つかの遺影の中の一つ。一番左に祖父の顔を見た。物言わぬ写真の中の彼も五年前は生きていた。

「俺は母さんに似たんだろうよ」

 そう言って俺は麦茶を煽る。婆さんも遅れて遺影に目をやって、正面の庭の方に向き直る。婆さんの目はここではない何処か遠くを見ていた。


「あんたの爺さんも、ゆり子も皆勝手だよ。自由って言えば聞こえはいいかもしれないがね。ちっとは残される側の事も考えて欲しいもんだ」


 爺さんは兎も角として母の身勝手さは俺も拓人もよく知っている。そして、その身勝手さは俺達にも受け継がれただ。だからこそ俺は何も言うことが出来ない。

 そんな俺のモヤモヤとした想いを感じ取ってか婆さんは溜息を一つ吐いた。


。この家の流れを汲むあんたには、外からこの家に入ってきた私とは違うものが見えてるんだろう」

 婆さんは少し手を伸ばして扇風機のスイッチを入れる。背の低い扇風機はゆっくりと首を降り始めて、風鈴が揺れた。涼やかな音が鳴る。

「あぁ、わかってるさ。きっと私には私の役割がある。そのために私はまだ此処に居るんだろうさ」

 見えてるものとか役割とか、それが同じか違うかなんて俺にはまだ分からない。

 俺はふと脳裏によぎった事を婆さんに話すかどうか迷って、結局話すことにする。


「拓人は、爺さんが見えるそうだ。…少なくとも俺には見えない。母さんも見たことはないって言ってたよ」

 婆さんは俺の顔を凝視して、少し間を置いて「そうか」と小さく呟いて麦茶のグラスに口を付ける。麦茶は減っていないように見えた。



「……転入手続きはこっちでやれることはやっといたよ。一応学力見るためにテストもしなきゃいけないんだと。大変だね、高校生も」

 あぁ、と言おうとして拓人が走ってきた。

「兄ちゃん、カブト捕まえにいこー」

 何処で見つけたのか麦わら帽を被って、あからさまな虫取り少年という格好で拓人が俺の服を引っ張る。ええい、やめろ! 伸びるだろ!

「今から行っても取れねぇよ、それに今日は荷解きだ」

「えぇー、カブトカブトカブトー!」

「明日な、明日の朝。目覚まし5時にセットしとけ」

 ごねる拓人をいなして俺は立ち上がる。

「じゃあ、今日はタクトも早く寝ないとね」

 婆さんが拓人を宥めて、その隙に俺は立ち上がって奥の部屋へ。カッター片手に既に運ばれていたダンボールの巣窟へ立ち向かおうか。




 甘い蜜、朽ちた木と土の酸っぱい匂いに囲まれた早朝を抜けて、昼。


 転校する学校に書類提出やら学力を確認するためのテストとやらを受けに向かう。昨日散々迷ったのに今日はあっさりとバス停に到着する。ほぼ一本道であった。

 ただバスには乗らずにそのまま歩いていく。この道の先にこれから通うことになる不埜高校があった。

 午前は晴れていたが正午を過ぎてから急に空が厚い雲に蓋されて酷い雨に見舞われる。折り畳み傘を取り出した。おろしたてのシューズは無惨に水溜まりや泥に汚れる。撥水スプレーがせめてもの救いだ。


 夏休みだが、生徒はそれなりの数居るようで慣れない制服や昨日見たのと同じジャージの群れと共にそしてこれまた見慣れぬ校門をくぐり抜ける。

 ツナギを着用した作業員らしき大人に職員室の場所を聞き、フラフラと向かう。

 職員室の引き戸は開かれており、俺は一番出入口の近くに席を置く壮年の男性教師に手短に要件を伝えると男性教師は一人の女性教師を指さす。軽く頭を下げ礼を済まして女性教師の席まで向かう。


「すみません」

 声をかければ女性教師は回転イスに座ったまま此方を振り向いて二、三秒程フリーズした後、

「あぁ、もしかして転校生の子か」


 教師は妻木と名乗った。フルネームを名乗ってくれたが、下の名前は窓に叩きつけるぬるい飛礫の音に邪魔されて聞き取れなかった。

「えーと、一応五教科分は学力見たいんだけどー、理科と社会は選択があるから。っとその前にプリントとか書類渡しとくね。ソレ教科書購入表ね。高校の隣にある赤井書店って店で──」

 教師は淡々と事務報告をすまし、俺も合いの手や茶々を入れることなく機械のように等間隔で頷くことを繰り返す。


「じゃあ、そろそろ行こっか」

 教師は立ち上がるとイスにかけてあったカーディガンを羽織り何かしらのファイルとプリントの束を片手に持って歩き出した。俺はその後ろを着いていく。

 職員室のあった棟から濡れた渡り廊下を抜けて別の棟へ。階段を登りすぐ左手の教室。プレートには「1年4組」と刻まれている。

 教師と共に教室に入ると、好きな席に着くように促されたので教室の中央あたりの席に腰掛ける。

「これウチの高校の期末テスト、まずは国語からね。その次英語で最後数学。鐘が鳴ったら始めて。終わったら声掛けて、筆記用具大丈夫?」

「大丈夫です」

「うん、じゃあそろそろ始ま──」

 キーンコーンカーンコーン。話を遮るように鐘が鳴った。

「じゃあ、始め」

 プリントを裏返して名前を記入する。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る