第2話

 広島県 水好市 不埜町 鴫。不埜町は島根県に隣接する総人口二千人弱の町で主力産業は農業である。中心地である上不埜は出雲街道沿いの宿場街として栄えてきたとされる。

 対して鴫は元が河原者や山窩の民が集って出来たとも言われており、それ故か他所との交流が少ない孤立した集落であった。小さな村ではあるが、日本の限界集落によくにあるような古い民家や高齢の老人を通りで見ることは少ない。というか鴫、鴫村は限界集落ではない。

 そも限界集落とは人口の半分以上が六十五歳以上の高齢者となった集落を言うのだが、鴫は先述のように高齢者が少ない。俺が生まれる少し前に山崩れが起きて集落が飲み込まれて国から援助金や義援金で集落は新しい姿に生まれ変わったらしい。交通の便は頗る悪いと言わざるを得ないが、町の設備はそれなり新しく、住めば都かどうかはまだ分からないが、それなりにいい町並みに思える。



 とりあえず地図アプリを起動してバス停から移動しはじめる。目的地である婆さんの家は鴫の中でも真東にある。知らなかったが、近くに神社があるらしい。

 降り注ぐ灼熱の陽光は道路に照り返されて俺らを襲う。猫やら鳩と一緒に木立の影を渡り歩くようにジグザグジグザグ。


 どうやら区画整理でもしているらしい。いくつかの通路は通行止めで今歩いている道もアスファルトは黒く輝いて湿ったような柔らかさを靴裏から足に伝える。

 援助金や義援金が今なお続いているとは思えないが、よくもまぁ新道を敷けるものだ。こうなるとスマホのナビは使えないので記憶を頼りに田舎道を廻る。


 暫く彷徨ってようやっと見覚えのある道に出た。この道を真っ直ぐ行って小さな商店のある角を曲がる、のだけど、……ふむ。道を間違えたかな。先程までアスファルトで舗装された道を歩いていたのに、いつの間にか田圃の間の畦道に立っている。後ろを振り返る。変わらず田圃が広がっていた。

「拓人、俺たち何処から来たか分かるか?」

「ううん。……あ」

 拓人は小さく頭をふって、それから周囲を見渡して何かを見つけたようで、道の先を指さす。俺はその小さな人差し指が向く先を視線で追った。



 ……人、女性だろうか。百メートル以上先に黒い長髪に白い服、顔は見えない、後ろ姿なのか。

 歩いているのだろうけど酩酊しているのか左右に揺れている。


 ゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆら。


 …流石に陽炎とかではないだろう。意識がしっかりしているかも怪しいが、大丈夫そうなら道を聞いてみようか。

 そう考えながら歩き始める。少し進んである事に気づいた。

 てっきり前の女性(と思しきソレ)は俺たちと同じ方向に進んでいるのかと思ったが、どうも違うらしい。距離が縮まるのが早い。長髪で顔が隠れているのか。白い服と合わさって、サダコとかカヤコの類に見えなくもない。

 虫の知らせというかきな臭さを感じて引き返すことも視野に入れるが、振り返って延々と続く畦道を見れば、この日差しの中を宛もなく彷徨うのはキリがないと思う。


 そんでもって再度歩き始める。彼我の差が五十メートル程に縮まる。で、また気づく。歩いていない。ここまで近付けば足の爪先が此方を向いていることも分かっている。辺り一面が田圃のせいで違和感に気づくのが遅れたが、しかし、やはり距離の縮まり方がおかしかった。

 俺は立ち止まると隣を歩いていた拓人も止まった。


 女は今畦道が交差した辻にいる。そこから動いていないように見える。確かに足が上下しているのだけど、現に俺たちが立ち止まると一切女との距離が近付かない。どうもその女はその場で足踏みしているらしい。


「ねぇ、あの人何してるのかな?」

 拓人もどうやら気づいたようで俺に疑問を投げかけてくるが、そんなことは俺も知らん。酔っているのか、異常者なのか、或いは俺らが知らないだけで新種の案山子かもしれない。

「…兄ちゃん、なんか怖い」

「なんか歌っとけ。楽しい歌」

 怖がる拓人の頭をポンポンと叩いて、手を握ってやり歩き出す。拓人は怯えた目で俺と女を何度か交互に見たあとスゥ、と息を吸い込むのが分かった。


「もーいーくつ ねーるーとーおーしょーおーがーつー♪」


 夏空の下、正月を望む歌が高らかに響く。

 確かに俺が歌えと言ったのだけど、あまりにも場違いというか季節違いというか、漂っていた雰囲気がぶち壊れるのを肌で感じた。


「ふふっ、寝すぎじゃねーかな」


 俺は少し笑って、狭い辻道のど真ん中で未だに足踏みしている女に向き直る。先程まではある種の不気味さを纏っていたその行為が今ではムードを壊されたことに対して地たたらを踏んでいるようにしか見えないのが可笑しい。


「すみません、道を訊ねたいんですけど」

 女は無言で足踏みを続ける。


「酔ってます? 大丈夫ですか?」

 女は無言で足踏みを続ける。


「ここって鴫ですよね?」

 女はやっと足踏みをやめて頷いた。


「稲生邸宅に行きたいんですけど」

 女は辻道の俺らから向かって左を指さす。


 …ふむ。俺は空を見上げた。太陽は少し左にある。次にスマホを見た。ロック画面に映された時刻は二時を少し過ぎたあたり。

「ありがとうございます」


 俺は礼を言うと辻道を右に進んだ。

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