'93

「日替わりモーニング、ホットコーヒーでお願いします」


 木製の椅子に座った私はそう注文した。



 ここは大学生時代から頻繁に通ってるお気に入りの店で、大阪に帰ってきたら必ず寄っている喫茶店だ。新梅田食道街という梅田駅に近い商店街にあるので、店内にはサラリーマンや大学生らしき集団、デート中のカップルなど様々な人々で賑わっていた。


 数時間前に一仕事終わった私は、先ほど電車で大阪に戻ってきたので、とりあえずここで腹ごしらえをすることにしたのだ。


 食事が届くまでの間、何もせずにただボーっと過ごそうと思い、瞼を閉じると数日前のことが脳裏に浮かんだ。



    ◇    



 1993年7月18日。


 奈良県某所。旧軍の飛行場跡地に建設された、民間軍事会社N.S.M.S.社の施設に私は居た。ある作戦に参加するためである。



 真っ白な部屋で身体検査を受けていると、白衣を着た女性の研究員が私の前にやってきた。



「今回のミッションは、90光年先に漂流している巨大宇宙生物G-93に窒素爆弾を落とし、地球に戻ってくる作戦です。今回乗っていただく宇宙船にはワープ装置を積んでるので、作戦自体は30時間と12分25秒で終わりますよ」



 私の身体検査データを確認しながら、そう説明してくれた。彼女曰く、この作戦が成功しなかったら、巨大宇宙生物G-93は12年後に地球に到達するそうだ。



「ところで、ウラシマ効果は知ってますよね?」


「大学で特殊相対性理論を軽く学んでたんで、それなりには……」


「それなら話が早いですね。今回の作戦終了後、ここに戻ってくるのは西暦2023年7月20日午前4時16分になります。大丈夫ですよね?」



 頭ではわかっていたことだったが、改めて言葉で説明されると、自分に起こることなんだということを意識してしまい、少し決意が揺らぎそうになった。



「はい。大丈夫です」


 軽く瞼を閉じた後、私はそう答えた。あの日、たとえ自分がどうなろうとも、この星に住む人々の暮らしを守ると心に決めたのだから。



 検査が終わり隣の部屋に移ると、一枚の誓約書を渡された。作戦確認書兼免責同意書だ。こういった特殊な作戦の前には毎回署名することになっている。




「30年後だと、もう私はこの施設にいないかもですね」


 誓約書を私の手から受け取った彼女は微笑みながらそう言った。誓約書に目を通している彼女はどこか寂しそうな顔をしていた。


「よし! これで準備は完了しました。では第三会議室の方に向かってください」


「ありがとうございます」


 会議室に向かうために扉を開けると、背中の方から彼女の声が聞こえた。ギリギリ聞き取れるくらいの声量だった。



「……ご武運を」



    ◇    



 喫煙者には厳しい世の中になったようだ。屋内では原則禁煙らしいし、喫煙所の数も減っているらしい。店に入る前、私の煙草が入った胸ポケットを見たと思われるご年配の男性が、そうした事情と、ここの喫茶店は今でも喫煙OKであることを教えてくれた。



「灰皿もらってもいいですか?」



 食べ終わった皿を下げてくれていた給仕さんにそう伝えた。


 灰皿を待っている間、キオスクで買った新聞を読むことにした。



 斜め向こうのボックス席に座ってる大学生らしき4人組の、夏休みの旅行先はどうしようかと盛り上がっている声が聞こえてきた。


 給仕さんが机の上に灰皿とマッチを置いてくれた。私は軽く会釈をし、煙草を胸ポケットから取り出した。


 マッチで火をおこし、口に咥えた煙草に火を付けた。口から吐き出された紫煙は、天井へと向かっていった。

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