この道

渡邉 一代

第1話

 朝起きると、既に彼は家を出ていた。といっても別にここから引っ越ししたわけでもなく、家出をした訳でもない。ただ仕事で朝早くに出なければならなかったらしく、私が起きると彼の姿がなかったのだ。

 彼と一緒に暮らし始めて二年になるだろうか、最初の頃はただ一緒にいるということ自体に心をときめかせていたが、そのときめきは今はない。

 この部屋を決めるのに二人で不動産屋を回ったり、部屋にあった家具を探したり、調理器具を買いに行ったり、装飾品を選んだり、一つ一つどれをするにしても楽しいと感じられていた。でも今はない。

 お互いに仕事をしながら、一緒に掃除したり、ご飯作ったり、洗濯物を畳んだり、どれをするにしても笑顔だった。でも今はない。

 

 私は今一人家にいる。仕事が休みだからいるのではないし、リモートワークでもない。今は専業主婦のように家事を主に請け負っている。それは仕事をしていないからだ。

 仕事を辞めてから半年だろうか、身体の状態も落ちついてきた。急に足や両腕に痛みを生じるようになってしまい、手には強張りもあってパソコンの入力も思うようにできず、病院に行くことになった。検査をしても数値に異常は見られない。それでもしかしたらと思う病気があるらしく、専門の医師を紹介してもらい行くことになったのは七ヶ月くらい前だろうか。

 検査して異常がないのに、そんな病気があるのかと思うだろう。私も当時はそう思っていた。でも身体に実際に不調がある。そうなると原因を知る為に藁をも掴む思いで縋りたくなる。

 紹介されたクリニックはとても混み合っていた。私より若い人もいるし、年齢が近い人、年配の人もいる。流石に子供はいないようだが、クリニックの外まで人がいた。

 待ち時間2時間だっただろうか、名前を呼ばれて診察室に入ると、初老の男性が白衣を着て座っていた。

 紹介状の内容を確認し、問診をしてから身体の様々な部位を確認された。そして診察の結果出された診断は、線維筋痛症という病気らしかった。

 痛みがきついこともあり、薬も出されたが、当時は仕事で非常にストレスが溜まっていたので、改善は見られなかった。一時休んで復帰することも考えたが、この仕事をしている限りは例え復帰したとしても、同じことになってしまうだろうと思い、彼に相談をし退職という道を選んだ。

 彼は収入については私を食べさせるくらいは問題ないと言ってくれていた。それで私は家事を無理のない範囲内で行うことになった。

 実は病名がわかった時、彼に別れてくれてもいいよと言ったこともある。けど、彼はすぐさま私に向き合って、『俺はお前と居たいし、病気だから見捨てるなんてできない。お金の心配はするな。』そう言って私を自分の胸に引き寄せ抱きしめた。

 

 私は最近ウォーキングによく出かける。近くにサイクリングコースがあり、そこをみんな歩いている。

 コースは川沿いにあるので、季節毎の装いを見せてくれる。普段から買い物に行く時にも自転車に乗りながら通り抜けることもあり、馴染みがある。

 春は川の土手沿いに桜の花や菜の花が咲き乱れる。お弁当を持った人が御座を敷いて花見をする姿も良く見かける。私も彼と二人並んでこの道を歩いて花見を楽しんでいた。虫達も生き生きと空を舞っている。花から花へ蜜を求めてってところだろうか。

 桜が散ると葉桜になり、花見の為に御座を敷いていた場所には雑草が生い茂ってくる。ただいつの間にか刈られて整備されるので、そうなると四つ葉のクローバーを探してみたりの楽しみがある。春から夏にかけたある日の夜は、川から花火が上がることがある。近くなのでマンションのベランダからもはっきりと見える。そう言う時はベランダでビール片手に見ていたこともある。ただ今は薬を飲んでいる為に酒類を飲むことは難しい。

 夏になると、夏の風物詩である蝉達が土から這い出してきて羽化をし、私はここにいるのよと知らせるように鳴き叫ぶ。人間にとっては暑苦しいと思わせる音だったりするが、生きる行為なので何とも言えない。

 たまに子供がアミをもち、虫籠を肩からかけて追いかけている姿も見るが、私も小さい頃は近所の子達と虫取りに行ったのを思い出す。カブトムシを探しに行ったりもしたなぁ。中々見つからなかったけれど、それも懐かしい思い出だ。

 この頃のウォーキングは、日差しがとても暑く、水分をとったところで体に熱がこもってしまって熱が出るので、早朝や日が陰ってきた時に行くことになる。それでも帰ると汗びっしょりになり、即シャワー浴びてスッキリさせる。

 夏から秋にかけては、まだまだ暑いが草木も枯れてきて、葉の色も少しずつ緑色から黄色に変わっていく、と言ってもまだ緑が多かったりする。この頃はススキや彼岸花がぽつぽつと咲き始める。

 この頃だろうか、段々と身体の痛みも改善してきた。彼にもその事は話してある。彼も喜んでくれてはいるが、最近仕事が忙しいらしく私のことまでは構っていられないらしい。

 昨日夕方頃にウォーキングに出かけた時、リードを外した小型犬が走って私のところまで走ってきて、尻尾を振って飛びついてきた。私は腰をかがめて撫でてやったら、私の周りをしばらく回っていた。飼い主さんがすみません、人好きなんですって言っていた。ただそのままだと散歩にもならないだろうし、私も立ち上がりそのこに「お父さん呼んでるよ。」って言って、飼い主のところに走ったのを見てから、振り返らずに自分の行く方向に歩き始めた。

 この日は、私より少し上の女性とすれ違ったり、ウォーキングスタイルの年配の男性が後ろから来て私を抜かして行ったり、若い学生がジョギングしてる姿を見かけたりした。

 ウォーキングを終えて戻ると、汗びっしょりで来ているTシャツも体に張り付いている。シャワーを浴びるとスッキリするけれど、シャワーから出ると少し肌寒い。

 

 彼からLINEが入っていた。『帰ったら大事な話がある。だから家にいて。それと晩御飯は作らなくていい。』そう書いてあった。

 とうとう私といるのが辛くなってきたんだろう。私もそろそろ自分の道を考える時が来たのかもしれない。そう思いながら、気持ちの整理をするために今日もウォーキングに出かけることにした。

 ウォーキングには汗を拭うタオルと携帯、帽子とマスク、家の鍵を持って出かける。

 空は今日も快晴。一歩一歩足を進めながら、自分の気持ちを整理する。これからどうやって生活していくか。実は最近になって、ちょっとした収入を得る事ができるようになってきた。それはブログだ。ちょっとしたことを書いているだけなんだけど、見てくれる人がいるみたいで収入が得られるようになってきたのだ。だから一人になったとしても、何ら問題なく生活をすることは出来る。住む場所は、一人暮らし用の部屋を探すのか、ただ保証人がいるから、申し訳ないけどそれは彼に頼み込むしかないなぁ。

 私には親兄弟はいない。いないというか、どうしているかがわからない。彼らは私が高校の卒業を待ってすぐに、私の前から消えてしまった。荷物も何もかも持って出ていたので、卒業式が終わって帰ると家は売家となっていた。携帯も繋がらない状態だった。

 幸いにも今日卒業したら、就職先の寮に入ることになっていたので、家が無くなったとしても問題はないのだけれど、動揺はした。

 両親は親戚付き合いもしない人だったので、連絡をつける人といったら、後は兄しかいないが、兄も電話が繋がらなくなっていた。

 そこからは寮に入ったので、食事も出してくれたし、生活はできた。事情を話すと驚かれたけれど、普通に接してくれたのでありがたかった。

 ただこの職場も六年程経った時に、社長が会社を畳むことになったということで、辞めることになった。

 彼とはこの職場にいる時に出会った。といっても同じ職場の人ではない。職場の人に成人してからお酒も飲んだことがないと話をした時、飲みに連れて行ってくれた時に、たまたまその人の友人が彼と一緒に同じ店に来ていて同席したのがきっかけだった。

 話して見ると真面目でいて、その話す姿に一目惚れした感じだ。職場の人に連絡先交換したらと言われて、そこからちょくちょく二人で会うようになり、彼からの告白により付き合うようになった。

 彼に仕事のことや家のことを話すと、だったら一緒に住もうと言ってくれた。幸い仕事は社長の紹介で新たなところに行く事が決まっていたので、生活するのは問題なかった。ただその職場も辞めてしまったのだが。


 夕方彼が帰ってきた。

「ただいま。」

「お帰りなさい。」

「寿美ちゃん、ここ座って。」彼の表情は少し強張っていた。私は朝から覚悟はしていたので、ダイニングの椅子に腰を下ろし、彼の言葉を待った。

「大事な話があるって言うのは見てくれた?」

「…うん。」

「あのさ、付き合ってもう四年近く経つじゃない。」

「うん。」

「僕のことどう思う?……あっ、聞き方悪いか。僕のこと今でも好きでいてくれてるかなぁ?」

「えっ、うん。付き合ったときから気持ちは変わらないよ。ただ、私が病気になって、ひろくんに負担が行ってしまって、申し訳ない気持ちがある。」

「ああ、病気になったのは仕方ないし、僕が家計を負担してるのは何とも思ってないし、いずれはそうなる時もくると思ってたから。」

「んっ?どういうこと。」

「あのさ、前に進めないか?」

「それは、別れるってことだよね。」

「えっ、違う違うよ。」

「…。」

「寿美ちゃん、僕と結婚してください。そういう前に進めるってことなんだけど。」

「…。別れじゃなくて、結婚?」

私は力が抜けてしまった。そして目から涙が流れていた。彼はそんな私の姿に驚き、私の方に回り側にきて抱きしめてくれた。

「不安だったんだね。最近忙しくてあまり話もできてなかったからそう思わせてしまったのかも知れない。けど、僕はこれを君に渡す為に頑張ってたんだ。」そう言うと、ポケットから小さな箱を取り出し、私の前で箱を開けた。

「受け取ってくれるかい?」

「はい。よろしくお願いします。」

不安だった気持ちが一気に涙として放出された為に、スッキリしていた。

 それから私達は食事に出かけた。その時に私は今日私が思ってたこと、私の覚悟を話していた。ブログのことを話すと、知ってると言われた。彼も見ていてくれたようだ。そして、これからもこの生活を続けていこうと話をした。子供については授かれば授かった時だけど、今は薬を飲んで落ち着いている状態だから、まだ考えないようにしようと言ってくれた。

 食事をした後、夜に川の近くを通ると、真っ暗だけれど、月明かりで水面が揺れているのが見える。真っ直ぐな一本の道。山の方から海に向かっているこの道、一筋の流れから始まりそれが段々と大きくなり一つの流れをつくる。人が迷いながら一つの人生を生きるようだ。

 私の側にはこれからも彼がいる。そしてまたここからこの道が繋がっていく。未来についてはまだわからないが、この道をこれからも繋げていきたいと思う。


 今日も私はウォーキングに出かける。今日の空は快晴。清々しい気持ちで歩くことができている。

 

 

 


 

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この道 渡邉 一代 @neitam

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