第四話 遥かの小さな涙

 結局正式な転換の報せの10日後には迎えが来て、ヴィテナとライネは大急ぎで準備する羽目になった。


 からころからころ鳴る喧しい黒のキャリーケースを引きずって、ヴィテナは基地ヘリポートへと向かう。飾り気がないのはご愛嬌で、顔馴染みならヴィテナが生まれ持った稀な髪色を目立たせたいからだと知っている。

 幸い、空軍の紺色のダークな装いには映える。


 見送りで馴染みがくれた贈り物の数々は色彩豊かだったけど、彼女は寧ろ上機嫌だった。


 どうやらあの黒い最新天使の事は伝わっていなくて、皆ヴィテナが撃墜されたことで左遷になるのだと勘違いしていた。

 説明も確かにできたけれど、涙を流して悲しむ顔を隠し撮りできたので満足だ。


 ヘリポートの外縁にひと足早く付いた彼女は、ささやかなプレゼント達をケースの上に置く。

 次いで携帯端末を取り出した彼女は、例の泣き顔添付ファイルを全員に送信する。


「怒ってる!」とか「覚えとけ!」の返信なら可愛い方で、「消さないとこれをばら撒くよ」と一昔前にウメボシなるものを食べてひぃひぃ言ってる写真を見せられて脅されたりした。今頃それで盛り上がっているんだろうか、そうだとしたら嬉しい。


 そうこうしているうちに、背の高い紺色が近づいてきやがった。

 多分ライネだ。でも多分と言ったのは顔が見えないから。


 沢山の大きな箱類を抱えている。サンタのようだ。でなきゃブラックな職場の運送業者。


「…おはよう」


 一応ライネらしき何かに声をかけたが、返って来たのは「ぐがぼぉ」と言う溺れたような奇声だった。恐らくは「おはよう」。

 クッキーの類を貪っているらしい。意地汚いやつめ。


「…プレゼント、多いね」


 一泊喉を鳴らす音がしてから贈り物をケースの上に置く。


「嫉妬した?」


「蹴るよ」


「ごめんて」


 いつもの冗長な流れだ。

 これも、贈り物も、基地の中で安眠を取れる日常も、全部が全部、おかしいのだ。

 戦争なのに、命の奪い合いなのに、こんな代理戦争が成り立ってしまって人間の命がめったに失われないのに、誰もが平気な顔をして笑えている。


 狂ってる。口癖になってしまった。

 開戦から一世紀、最早人類は魔女の遺品に縋り付き真似事をしているのに過ぎない。


 そもそも何を目的とした戦争なのか、それすらも薄れて遠のいているだろう。

 開戦時を知る人物なんて、今じゃそうそう会えやしない。


 人命が失われないのは良いことだけれど、代わりになにか、国は心のようなものを失っていっているんじゃないか。

 最近はずっと、その事を考える。


「お」


 隣で携帯端末を弄っていたライネが顔を上げた。

 気づけば微かに、空気を伝って唸る回転翼機の気配がする。


「じゃ、行くかね」


 んーっと伸びたライネと欠伸を噛み殺したヴィテナは、風圧に吹き飛ばされないようしっかりと荷物を抑えながら搭乗の準備をした。

 前後に2つ配置されたタンデムローター式の重輸送ヘリは空気を引き裂く音を立てて派手に着陸した。


 後部ハッチがひらいて、輸送科の徽章を胸に持つ壮年の士官が出てきた。ヴィテナはちょっと身構える。

 階級は彼女らより少し上の大尉、白髪混じりの如何にもな人物だ。なるほど自分たちはそれ程重要な積み荷らしい。


 今更ながらすこし緊張に苛まれるが、それの先にある目的を掴むまで彼女は俯くわけには行かない。


 ケースを抑えたまま敬礼をする。

 唸るローターに押し負け、髪が嬲られる。折角梳いてきたのに。


 輸送科の案内役はなにか叫んだ。

 こんな環境ではまともに人の声も聞き取れない。


 推測するに「話は中で」とのことなので搭乗を急いだ。


 荷を押し込みインカム付きのイヤーカフを頭に載せた。

 中でもローターの騒音というのはあり得ないほど響くため、機内の会話でもイヤーカフとインカムは必須である。


 車両一つ分は余裕で入る機内は思いの外寒く、冬用のコートを取り出して輸送担当者と軽く挨拶をしたら、もう遥か上空であった。

 円形の窓から眼科に見える基地は既にミニチュアサイズで、遠ざかっていくそれはからっとした秋空に包み込まれていた。


「どうしたの」


 横を見るとライネが顔を引つらせていたので、意地の悪いヴィテナは嬉々とした内心を悟られないように、精一杯真面目な顔で言った。


「高くて怖くて、でも見納めに最後まで見届けたくて、でもやっぱり怖いよほんと泣きそう」


 お前より航空科の名の方が泣きたいぞ、と笑っておいた。

 そしてこいつは高所に慣れてないのだ。普段戦場の空を駆けながら光線で好き放題やってるヴィテナとは違うのだ。


 インカム音声越しでとんでもなく情けないやつだが、必死に見送るこの旧友の姿に彼女はどこか暖かくなるのだ。


「そういえばさ」


 ありがとうの意は中々伝わらないけど、垣根と裏表のない頼れる良いやつだって思ってることは伝わっていると良いな。


「なんでライネは着いてきたの」


「なんでって…なんでだろう。なんでだと思う?」


「知るか」


 のほほんと答えた彼につい声が出た。

 変なところでこういう流れになるから掴み所がなくて、それでも人と心から仲良くなれる存在だ。


「逆にヴィテナはなんで?下手したら一生試験部隊に拘束されるままだよ。出世もしにくいし、臨時の救援要請はひっきりなしで忙しいと思うし」


 じゃあ本当になんでこいつは着いてきたんだと耳を、いやインカム音声を疑いたくなったが、それがライネっぽいというか、彼にあっていた。


「…これ、かな」


 ヴィテナは虚しさに抗いながら、右側の胸ポケットを撫でた。

 そこには彼女の目的と、決して満ちることのない未来への渇望が込められていた。

 なんとなく事情を知っているライネは陰りを落とした。


「そっか、弟くんの」


 うん、と小さく呟いて、つい涙が零れそうになるのを全力で堪えた。


 彼女には2歳下の弟が

 彼女が14、弟が12の時に彼は天使適性を見出され、特別従軍扱いとなった。

 初めのうちは検査や研究の焦点となるだけで、アルシュカ家最大の誇りであった。ヴィテナも内心、その才能に舌を巻いていた。


 が、日が経つ毎に家にいる時間は少なくなり、とうとう場所も知れぬ軍の設備へ行ったきり、帰ってこなくなった。

「皆で待とう。必ず帰ってくる」。父と母と三人でそう決めたのに、帰ってきたのは空の棺だった。泣いた、激昂した、困惑した。

 今でも覚えている。前線にて戦死をした事を伝えた軍人が、心底悲しそうにしてたのを。


 ――どうして、どうしておまえたちがそんなかおしてるんだ。


 両親はあらん限りの手を尽くして弟の死を追った。

 生きているはず、なんて思いに答えは来なかった。軍部は黙殺したのだ。


 復讐なんて無益なものはしない。両親の様に時の流れに絶望して匙を投げるようなこともしない。

 ただ真相を知りたかった為に、ヴィテナは従軍し、天使関連の実験部隊各所を探りまわった。


 今回もそれの一環に過ぎない。


 手に持つのは軽い写真でも、彼女にとっては最も重いものだった。

 古い邸宅の庭で、快活そうな白い髪の少年が歯を輝かせて笑っている、ただそれだけの写真。


 まだ、探すから。諦めて、ないから。

 彼女は目頭を抑えた。


 空は相変わらず流れ、ローター音は煩い。

 一つ、ライネは哀しみを湛えた似合わない瞳でこちらを見ていた。

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