第三話 泣き所

 骨を打つような一定のリズムが廊下に響く。

 軍の敷居なら見ずともわかる、女性士官のローヒールが立てる音。


 しかしこの音は異質で、どこか乱暴であった。

 特に異色の組み合わせだ。


 片方はその女の士官。

 雪の、少し青がかった白い髪を一つに束ね、薄い化粧とともに整然たる面持ちで歩む姿は迫力があった。

 肩につけた特殊航空科中尉の徽章と、嵐雲のような紺の軍服一式は目立たずとも、白い肌と特異な雪色の髪が明暗の差でシャープに映る。


 西方連盟ウェスタル正規空軍所属の、ヴィテンナ・アルシュカことヴィテナには半裸で徘徊しようとしていた面影はなく、誰もがそんなことを思わないだろう。

 とろんと溶けかけていた金の眼は正面を見据え、近寄らせないという視線を発し、癖の付いていた髪は丁寧に梳かされきっちりと結ばれている。


 まさに完璧で、在るべき姿だろう。


 だがそんな彼女の醜態を知っていて、且つ自身も赤く染まった頬から失態を晒している男がいた。


「ごめんてヴィテナぁぁ」


 前を堂々歩くヴィテナはそこにライネがいないかのように振る舞った。

 先程とは別人のように毅然とした彼女の後を追いかけ、何度も謝罪を口にする。


 じんじんと痛む頬を押さえてライネは間延び口調で呼びかける。

 しかし端くれとしての面子から、ふやけた態度に反し格好は常識的だ。瑠璃の正装に、ヴィテナと同じ階級の中尉の徽章を飾る。ただ、ヴィテナが付ける天使の翼のようなデザインの特殊航空科のものではなく、天使の天冠を意味する円環のデザイン。つまりは航空技術科である。


 通常戦闘機であれば機付きの整備士が整備や調整を担当するが、異質な兵器である天使は特殊技術科の技術士官が担うのだ。


 ふとヴィテナは廊下を行き交う他の兵士を見る。

 ヴィテナ含め、操演士アクターと呼ばれる士官は首に金のチョーカーを巻いている。


 ――使


 チョーカーを身に着けた士官は操演士アクター、文字通り天使を操り演じる役目と数奇な運命を背負う者であった。


 かの大発明家魔女の開発した、模造人型遠隔兵器アンドロイドには制御者が必要となる。

 なんでも魔女革新期、完全自律プログラムを入れ、無人による操作を試みたが失敗したことが原因と言われている。


 それから、量子遠隔操作の可能な接続器ドレッサーに神経を通し、戦場の外から蹂躙を為す救済の光。

 仮初の命を与えられ、人を超越した力を手に入れ、それでいて命を奪う兵器の本質が、ちっぽけな人間一人によって象られている。


 それが天使で、ヴィテナだ。

 歪で、戦場で死ぬことすらままならない命がヴィテナだ。


 今日もこの基地の誰かが天使になり、神の御使いとして死に、またここに舞い戻る。

 軍としてなら上々で、人としてならあまりにも惨い摂理に反するスパイラル。


 ヴィテナの冷めた金の瞳は見えた目的地に向けられた。


 かつ、かつ、かつ、かっ!


 高い音が止まる。

 立ちはだかるは高い扉。一端の操演士アクターの部屋とは違い、瀟洒で凝った准将のオフィス。


 金と螺鈿が主張しない程度に飾り付けられた、豪奢で大きな扉に近づいた。

 ちらりと振り返ればライネは襟をチェックしていた。


 こいつめ変わり身の早い。ちと誂ってやろうと思ったのに。


 ヴィテナも自身の服装を見直し、肩に付いた塵を払うとノックした。


「失礼しますイウレア准将、ヴィテンナ・アルシュカ特殊航空中尉及び、ラインカイネ・シュール航空技術中尉です」


「…入れ」


 礼を欠かさず入室する。

 重厚で、一切の緩みと弛みが許されない空間だ。

 如何にこの年で尉官に繰り上がったヴィテナとライネでも、あらゆる非礼を働いてはいけない執務室だ。


 准将は国章の掲げられた机の上の電子書類を眺めていた。

 影では「仕事の鬼」だの「厳しいお父さん」だの、親しみを込めて言われている顔がこちらを向いた。

 厳格な雰囲気の中、所定の位置まで進むと、息のあった敬礼をした。


「さて、まずは良く戦ったな、アルシュカ中尉」


「はっ」


「そして良くデータを集めてくれた。……奴らが第5.0世代相当の天使を開発していたとなれば、由々しき事態だ」


 准将は、取り給え、と応接用の机にあった端末を指した。

 ライネが取りヴィテナは電子書類を受け取ると、顔を大いに曇らせた。


 真っ黒な天使、つい二時間ほど前相見えた敵だ。

 天使技術でこちらに劣る〈東方機構イェストム〉の最新鋭天使は、不思議なことにこちらの天使技術と同格であった。


「……シュール中尉、君の見解はどうだ」


「……現状、〈東方機構イェストム〉にここまでの技術があるとは思えません。間諜や盗用から伝わったのではないでしょうか」


 准将はライネの頬を見たが無視したらしい。

 不格好に、不対象に腫れたそれを無い事にして、いっそ清々しいまでに報告を続けた。


「それにこの超高熱超高圧熱線砲ビームキャノンの制御機構や、無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングの推進系、あと動力伝達液パワーパッケージの循環の仕方がうちと似ています。詳しいことは分解やスキャナに通さないと分かりませんが、恐らくはうちと関わりのある技術が使われてますね。特に自爆機構はうちの十八番ですから、かなり怪しいです」


「なるほど…。既に参謀本部には伝わっていて、君の結論とほぼ同じ答えを出した。脅威度はかなり高いな、今後我が軍の主力の第4.5世代天使が危険に晒される」


 量子通信によって、敵の自爆までを観測しデータを送っていたヴィテナの天使は、あの黒い天使の全てを送信していた。

 彼女の前に姿を表した事が運の尽きである。機密性による初激の脅威は著しく消えたと言える。


「参謀本部はこの敵性第5.0世代天使のシリーズを〈アルマロス〉と呼称する旨を伝えてきた。この際なんでも良いが、こちらの第5.0世代の性能で撃破可能なことはアルシュカ中尉が示してくれたな」


「は」


「勿論実験投入中の7番型〈レミエル〉を失ったのは痛いが、今回は功績で処分は帳消しにする。それと、これの評価を受けて二人とも配置転換の誘致が来ている」


 え。そんないきなり。

 天使に触れる士官は、その適性の狭さもあって数が限られる。神経の接続適性や動作センス、その他諸々を問われる狭き門で、それでも圧倒的に強い。

 一機の有無で戦場が一変する性質と整備性の難易度故に、配置の転換は珍しい。


「我々二人とも、ですか」


 ライネが聞いた。

 専属の技術士官とはいえ、そこまで付いていく理由も推測できないし、お払い箱なら後方に下げるだけで済むはずだ。


「新発足の実験部隊だ。今まで内容も然程変わらない。アルシュカ中尉の観測していた7番型〈レミエル〉の後継機、8番型〈イェレミル〉のテスト部隊だよ。シュール中尉は7番型の経験を買われた」


 息を飲んだ。多分、ライネも同時に。

 天使は一機毎に適性者が違う。ヴィテナが選ばれたということは、それは抜擢されたという誉れであること。或いは、またも呪いに掛けられるということ。


「やるかやらないかは君たち次第だがね」


 天使は、その出典神話に準えて命名がされる。

 堂々たる七大天使と謳われたあとの、8体目。不吉な予感が胸を刺すのはライネも同じだろう。


 しかし、彼女には目的が在る。

 それは軍や狂った代理的な戦争の垣根をも超えて、その先に何としてでも掴みたいものが在るのだ。

 為すまで彼女は抗い続けるだろう。絶対的な力を手にし、空を駆け続けて。


「……私はやります、やらせてください」


「彼女が行くのなら、僕も行きます」


 無責任に軽く言ったライネをヴィテナは驚いて凝視する。

 このふわふわとした態度のいけ好かない奴は、行かねばならない理由などないはずなのに。


 私と違って、囚われていないはずなのに。


「良し、ではヴィテンナ・アルシュカ中尉並びにラインカイネ・シュール中尉を第1080試験部隊に転属する。祖国の強き盾となり、義務を全うせよ」


 准将は立ち上がる。

 ほとんど同時に敬礼が交錯した。


 報告と転換用の紙面での書類を受け渡すと、ふと思い出したようにイウレア准将は言った。


「シュール中尉、それにしても何故君の頬は赤く?」


 ヴィテナは内心気味よく笑った。

 彼女の半裸を覗いて、と言い笑われてしまうが良い。

 ライネはあぁ、と撫でて、好青年らしい笑顔で言った。


「恋です」


 ヴィテナは上官の前という事を忘れて、思い切り脛を蹴った。

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